浄土宗の関東十八檀林の寺であった鴻巣市にある勝願寺です。檀林とは各宗の重要な学問寺です。
ここには5年前に二回参拝しています。
門を入り、最初に目に入ったのは小松姫ののぼりでした。
大河ドラマ「真田丸」が放映され、一気に勝願寺に参拝者が増えたのです。
先ずは御本堂参拝です。
小松姫や真田信重夫妻だけでなく、なぜか千石久秀の墓もありました。
左から小さい墓石が千石久秀、真田信重室、真田信重、小松姫。
小松姫は真田信之室で本多忠勝の娘です。この地で亡くなり分骨が納められています。
千石久秀は、ここの地で病気のため亡くなりました。
伊奈忠次・忠治の墓もあります。
一角には多くの石仏が祀られていました。
一石六地蔵もあります。
境内のお地蔵様。
鴻巣市は人形の町としても知られています。
人形塚がありました。
人形供養も行われています。
勝願寺とは関連がないのですが、書かせて頂きます。
さて、何故二度も行ったのかと言いますと、鴻巣市は頼光四天王の筆頭「渡辺綱」の生地であるからです。
うっかり怖い渡辺さんに「綱の生地である鴻巣に行った」と話すと、「私も連れて行って ! 」の厳命です。
渡辺綱 豊原国周一條戻り橋の場
渡辺姓の人は鬼も恐れるので、節分に豆まきをしなくて良いと伝えられるのですから、とても逆らえませんでした。
Aさんに運転手を依頼して、鴻巣駅で待ち合わせました。
ご存じではない方も多いと思いますが、綱の父・源宛は21歳で現在の鴻巣市箕田(みだ)で亡くなりました。
港区三田説もありますが間違いです。
幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。
長じて地名の渡辺を名乗り、渡辺姓の祖となったのです。
三人で綱の父・源宛関連の場所を巡りました。(勝願寺は渡辺綱とは関連ありません)
市内の宝持寺には、全国渡辺会と嵯峨源氏顕彰会による先祖代々供養墓がありました。
ここには5年前に二回参拝しています。
門を入り、最初に目に入ったのは小松姫ののぼりでした。
大河ドラマ「真田丸」が放映され、一気に勝願寺に参拝者が増えたのです。
先ずは御本堂参拝です。
小松姫や真田信重夫妻だけでなく、なぜか千石久秀の墓もありました。
左から小さい墓石が千石久秀、真田信重室、真田信重、小松姫。
小松姫は真田信之室で本多忠勝の娘です。この地で亡くなり分骨が納められています。
千石久秀は、ここの地で病気のため亡くなりました。
伊奈忠次・忠治の墓もあります。
一角には多くの石仏が祀られていました。
一石六地蔵もあります。
境内のお地蔵様。
鴻巣市は人形の町としても知られています。
人形塚がありました。
人形供養も行われています。
勝願寺とは関連がないのですが、書かせて頂きます。
さて、何故二度も行ったのかと言いますと、鴻巣市は頼光四天王の筆頭「渡辺綱」の生地であるからです。
うっかり怖い渡辺さんに「綱の生地である鴻巣に行った」と話すと、「私も連れて行って ! 」の厳命です。
渡辺綱 豊原国周一條戻り橋の場
渡辺姓の人は鬼も恐れるので、節分に豆まきをしなくて良いと伝えられるのですから、とても逆らえませんでした。
Aさんに運転手を依頼して、鴻巣駅で待ち合わせました。
ご存じではない方も多いと思いますが、綱の父・源宛は21歳で現在の鴻巣市箕田(みだ)で亡くなりました。
港区三田説もありますが間違いです。
幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。
長じて地名の渡辺を名乗り、渡辺姓の祖となったのです。
三人で綱の父・源宛関連の場所を巡りました。(勝願寺は渡辺綱とは関連ありません)
市内の宝持寺には、全国渡辺会と嵯峨源氏顕彰会による先祖代々供養墓がありました。
拙ブログで扱う「一条戻橋」で鬼女に呼び止められたのです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3eadea8c939505b8f390c1c43d966598
源氏の名刀・鬚切で鬼の片腕を斬りおとします。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/46d6e49d16c97d7e552a934f17722456
私も京都だと思っていました。
もののはじめiinaさんも、Yahoo!ブログだったのですね。
Yahoo!で知り合ったブロ友は、殆どがアメブロに移りました。
今後ともよろしくお願いいたします。