2024年5月21日 大阪市教育委員会との協議を終えて
日頃より力強くバックアップしていただいている皆さまに心より感謝申しあげます。また、先日の市教委との協議には、会場参加とオンライン参加合わせて34名もの方にご参加いただき、本当にありがとうございました。
オンラインでは、大阪以外、海外からの参加もいただき、大阪固有の問題ではなく、教育そのものの問題だと捉えていただいていることの証だと感じています。
この活動は、決してぼくの個人的な名誉回復のための闘いではありません。「闘い」というと「敵」がいる訳ですが、敢えて「敵」がいるとすれば、それは教育への不当な介入をしている「権力」であり、それを許してきた「自分自身」です。
あの「提言書」も、全市小中学校全面オンライン授業を突然発表した松井一郎前大阪市長に対する憤りよりも、今までにも同じようなことが繰り返されてきたことに「仕方がない」とやり過ごし、子ども、保護者、教職員に対する責任をごまかしてきた自分自身への怒りの方が大きかったのです。
ですから、「文書訓告」に処した教育委員会を「敵」にして叩きたい訳ではなく、教育基本法に謳われている「不当な支配に服することのない」教育であってほしいとの願いから教育委員会との「対話」を求めているのです。
子ども、保護者、教職員に向き合い、子どもの「最善の利益」を考えた教育行政を主体的に行う、政治的中立性と独立性を備えた教育委員会であって欲しいのです。
大森特別顧問と市教委幹部職員とのメールのやり取りから決定的な事実が明らかになっても、尚、自らの非を認めず、形式的で空虚な答弁を繰り返す教育委員会の姿勢は、残念でなりませんが、協議に出席している職員の方が、縦に統率された組織の中で個人の意思で答えることができない苦しさも理解できます。
ですから、自分の責任で発言できる立場の人に協議の場に出てきていただきたいのですが、ひょっとして現教育長でさえも、それは無理なのかもしれません。つまりは、松井前大阪市長、大森特別顧問と直接話さなければ、本当のところは何もわからないのかもしれないと思ったりもします。
「文書訓告」に書かれている理由に納得がいかないので、「職務上の義務違反」が何であるのか、何が「信用失墜行為」なのか、今までに何度も尋ねているのですが、その度に「文書訓告」の文章をそのまま繰り返すだけという回答が続いています。
教育委員会においてどのような話し合いがもたれ、「文書訓告」が決まっていったのか、その過程を明らかにしてほしいのですが、手続き的な不備はないとの回答に終始し、「対話」が成り立たないのです。
2022年2月18日の大阪市会教育子ども委員会で、北野妙子委員の質問に対して当時の教務部教職員服務・監察担当課長は、「地方公務員法第33条が規定する信用失墜行為に該当するかどうかについては健全な社会通念に基づいて個々の場合について判断することになると広く理解されています。」と述べていますが、たくさんの市民の方が「提言書」を支持してくださったことを、市教委はどのようにとらえたのでしょうか。
市教委は「関係法令等に基づき適切に対応します」とよく言いますが、「適切」だと判断するのは、教育委員会側であり、何でも自分たちの都合の良いように判断できるということが「適切」の正体なのです。
市長の政治的パフォーマンスで勝手に公表したオンライン授業であり、それを諫めることができないばかりか、学校現場が混乱することを承知で追随した教育委員会こそ、信用失墜行為を犯したのではないかと思います。それは、教育委員会の誰かの責任ということではなく、教育委員会の組織構造、組織風土の問題であると指摘したいのです。
校長であるぼくもその一端を担ってきた一人として、反省しなければなりません。組織に埋没することなく、個人として主体的に物事を考え、行動していくことこそが、教育公務員としての職責であるはずなのに、できていなかったのです。
学校とは、子どもや保護者との直接の関りによって「教育」を行う場です。そして、教育委員会は、その「教育」が滞りなく行われるように学校を支援する「教育行政」を行うところです。子どもたちが安心して楽しく学校生活を送ることができるように「学校」と「教育委員会」が力を合わせて、お互いの役割を果たしていくことが必要です。
しかし、残念ながら、今、学校が教育行政の末端機関のようになり、上意下達で従うだけの関係になってしまいました。
あの「提言書」は、大阪のこれまでの「共に学び、共に育つ」教育を知っている者なら誰でもが思う、教師として当たり前の意見を言っただけのものです。「文書訓告」処分を受けて、ぼくが黙ってしまったら、意見を言ったこと自体を処分の根拠として認めてしまうことになります。
民主主義を自ら手放すような無責任なことはしたくありません。主権者としてこの社会に責任をもつための自らの闘いだと考えています。
例え小さく無力であったとしても、一緒に声をあげていただける仲間が一人でもいる限り、これからも声をあげ続けていきます。「無理せずボチボチ、楽しく」をモットーに。
今後ともよろしくお願いいたします。
2024年5月26日
久保 敬