コン・モート

九十九里平野からよしなしごとを。

最終日

2022-05-29 13:12:35 | 日記

ちょっと間が空いてしまいました・・・・

最終日

前日の秋芳洞、寂れていたのが寂しかったです。

素人なりに考えてみると、交通の便がイマイチ、洞内が暗いetc。

明るすぎるのは✗としても、足元がおぼつかないお年寄り(当然わたしらも含みます)にはキツイ。

ホテルは良かった。

食事はちと高かったですが、味も雰囲気もOKでした。

翌日、空港までのバス乗り場がスマホで場所は分かったものの、道路の何方側かは分からず、結局ホテルでタクシーを呼びました。

予想より安い・早い!

宇部空港はローカルなエアポートでした。

バラがとても綺麗!

駐車場は無料。

お年寄りがたくさん来ていましたが、楽しんでおられたようです。

 

滑走路は1本、何よりも本数が少ない。到着・出発共に10便で、到着した機がそのまま出発便になります。

これが折り返しで羽田空港行きとなります。

私らが乗ったのは、エアバス社製でした。

各シート毎にモニターがあったりとか、行きの便よりは新しかった。

ゆったりしていました。

ただwifiが混んでいたのか、使えませんでした。


羽田の駐車場代は4000円ちょっと。

無事に高速にも乗れたし、アクアラインも風が無かったしで快調でした。


今回は60年ぶりの帰郷でしたが、移動が忙しかったものの、とっても楽しい旅行になりました。


二日目その2

2022-05-25 12:53:34 | 日記

メインの「秋芳洞」へ。

山陽本線で下関から2時間の「新山口駅」ここからはバス。

バスは30分とかなりかかります。

小学生の時の遠足がここでした。

当時はとても賑わっていましたが、寂れてしまっていた。

閉まっているお店ばかり、GW明けとは言え、人も少ない。

入り口もこの大きさに水量、スケールの大きな鍾乳洞なんですけどね。

洞内の画像は失敗ばかりなので、掲載無しです。

とにかく歩きましたた。おまけに暗い中での上り下、年寄にはキツイです。

半端ない疲労感でした。エレベーターで「秋吉台」へ。

 

一面に広がるカルスト台地は良かった!

ここの広々とした感じも良かった。

ここで食べた昼食代わりのソフト、これが美味しかった。


再びバスで「新山口駅」。

JR西日本の車両はこちらにないものばかり。

新幹線も見られました。ちらっとですが。

駅前にはなるほどなホール。

駅は在来線のふるーい感じと、新幹線の近代的なのが同居。

在来線で宇部、思ったより小さめな駅でした。ここで乗り換え、「宇部新川駅」ここのホテルで二日目の夜を迎えました。

 


二日目その1

2022-05-17 12:36:47 | 日記

二日目メインというか唯一の目的地は「秋芳洞」。

朝食前に「巌流島」が見たいという奥さんのリクエスト。

片道30分歩きました。

6時前にホテルを出てブラブラと。

フロントのお姉さんも、途中釣りしていたオジサンも、「遠いよ!」

往復1時間、でも楽しかったです。

子供の頃は無かった、そもそも下水道なんてね。

泊まったホテルです。

ビジネスホテル、悪くは無かったです。

部屋のテレビはネットに繋がっていて、ヒロシちゃんねるとビッグバンドライブを見ました。

港には関釜フェリー。

結構大きなフェリーだと思ったら、日本海を渡るんだからね。

今日の目的地は「秋芳洞」。

交通の便が良くなく、2時間掛かりました。

新山口駅まで山陽本線、そこからバス。

どちらもガラガラ、バスには私ら含めて4人。

 

 

 


初日その4

2022-05-16 16:11:44 | 日記

生家の思い出を味わい、ふるさとの海を眺め。

タクシーを呼んで下関駅へ帰りました。

水門が通れるという運ちゃんの話どおり、時間も料金も思ったより掛かりません。

駅の食堂でお昼、日替わり定食でした。

名前を忘れてしまった魚の唐揚げ、これが美味かった!

流石という感じ。

またタクシーで「唐戸市場」まで。

ここはテレビにも取り上げらたりします。

ただ、午後は取引?は終了、閑散としてました。

規模はでかいです。

2階が食堂街で、そこの寿司屋でテイクアウトしました。

そとのテラスからの「関門橋」。

当初は乗る予定だった連絡船。

門司港と下関を結んでいますが、今回は時間の関係で割愛。

寿司は保冷バッグと保冷剤込み。

またまたタクシーで駅まで。荷物を出してホテルまで。

部屋からの下関駅。

大きな駅の割に、ちょっと古い。

収益の問題か・・・

 


帰郷の旅 その3

2022-05-15 08:55:22 | 日記

下関駅からバスで彦島へ。

父の会社の正門。

この守衛所の前で、父と同時に転勤したSさんが見送りを受けていました。

これは無かったけれど、既に古い・・・

この左手、フェンスの中私が生まれた家があったと思われます。

多分、良く行った駄菓子屋。

彦島八幡宮

この狛犬の前足に手を回している写真がありました。

これははっきり覚えています。

これもはっきり覚えています。

当時はこんなに草生しては無かったけど。

通っていた小学校。

昭和36年の夏休み、8月12日に一家転住。

小学校ちかくの海水浴場。

九十九里とはえらい違い、静かな波と綺麗な海。

当時手漕ぎボートもありました。

それくらい波静か。

これは無かった。

はっきりと記憶しているものもあれば、見ておぼろげな記憶が蘇って来たものも。

記憶の襞がプルプルした時間でした。