ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム[お見合いの行動力学

2015年09月15日 05時05分19秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

◆ファトジェニックの法則
1、写真より実物のほうがい
いということは、まずない。
注:免許証は例外

2、だから、写真を見て「こりゃ
ダメだ」と思ったら、会うだけ
ムダである。

◆お見合いの法則
断りにくい人からの紹介ほど、
話しが進む不思議?

◆以心伝心のナゾ
お見合いをして、こちらから
断ろうと思っている矢先に
先方から断られる。

◆場数のほうそく
見合い相手は回数を重ねるほど
レベルダウンする。

しかし、農協主催の
中国の女性との集団見合いだけ
は別。

◆お断りの法則
「私にはもったいないご縁で・・・」
という言葉の真意は、「あんたな
かと結婚したら、私の人生もった
いなさすぎるわ」ということである。

◆見合いの結婚の法則
「妥協」と「あきらめ」という言葉
を受け入れた人だけがたどり
つく悟りの境地。

◆見合い結婚と恋愛結婚の共
通点(SNS含む)

どちらにしても、問題は結婚して
からである。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム『反省は ほどほどに』

2015年09月14日 05時05分48秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

反省とは
 過去を引きずって
 過去に生きること

過去を反省すればするほど
笑顔と生きるよろこびを
失ってしまう

どうしても反省する必要が
あれば 百分の一秒だけ
反省しよう

そうしてお互いに間違いと
気づいたら

素直に「ごめんなさい」と誤り
許しあい
かばいあい
理解しあい

過去はすっかり水に流そう

オーケストラは 演奏を終えた後
では もう楽器の調子を合わせま
せん

毎朝
 あなたも私も 昨日のことは
すっかり忘れ

新しい気持でスタートしよう


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム「トワイライト  ~夕暮れ便り~」

2015年09月13日 03時58分08秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

ほんの迷いを 旅の空の
風に散らそうとして

また、新しい思い出と迷いを
かかえてしまいそう

小さな煩悩なんて、けし飛びそう
な壮厳な落日を見て

ひととき 無になりそうでも

それこそ生きてきた時間から
見ると ほんの一瞬で

すぐ夜が来て また日は昇る

大人になりきれない時期は

ささいなことでも 一日ひとつは
小さな刺を

かかえてしまうようで

そして 同じように 
こちらからも誰かに その刺を

感じさせているのかもしれない

ひとり旅は解放感とともに、
その反動の物思いも増える


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム『かなしい』こと

2015年09月13日 02時40分11秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

年齢に関係なく
人間にとって一番 悲しくて
苦しいことは

好きになった人から
「好きよ」と言ってもらえない
ことです

お父さんが元気が無いのは
「好きよ」とお母さんが言わない
からです

お母さんが悲しい顔をして
いるのは
「好きよ」とお父さんが言わない
からです

子どもたちが悲しいのは
「好きよ」お父さんとお母さんが
言わないからです。

人間にとって一番 うれしくて
楽しくて 幸せなことは

好きになった人から
「好きよ」と言ってもらった
ときです

みんなの目が輝いています

「好きよ」というひと言は
どんな高価な金やダイヤモンドで
も代用できないのです。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム 『温かいところ』

2015年09月12日 05時01分54秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

鯛を買ってきた。
きれいにあらってから刺身を
作る。内臓だけを見て、「この
鯛は汚い」と、ケチをつけて

捨てる人はいない。内臓はそっと
捨てるもの。

人の欠点も同じこと。

他人とのつき合い方も、相手の
長所とだけつき合えばよいので
ある。相手の欠点、短所に、

お互いに触れなければ、相手を
嫌ったり傷つけてしまうこと
はないのである。

相手が傷つきやすい子どもで
あればなおさらのこと。
子どもは、欠点を指摘される
と、

冬の荒野に放り出されたような
気持になってしまう。

家庭とは、温かいところである。
あたたかい家庭とは、欠点をやさ
しくカバーしあえる場所のこと
である。

欠点は、カバーされると、
スっと消えてゆく。

ヒトの欠点に触れないようにする


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『自分の最大の敵は自分』

2015年09月11日 05時08分48秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

自分にとって

一番怖いことは

 

自分が他人の目で

自分の欠点を責めたてて

 

自分の存在を否定すること

 

自分にとって

一番心強いことは

どんなことがあっても

 

自分が自分の味方になって

自分を守ることです。

 

自分にとって自分は

自分の安住地で

なくてはなりません

 


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『おだやかな構図』 -アーカイブスー

2015年09月11日 04時54分41秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

恋や愛に図式があるとしたら

複雑で入り組んでいないほうが

いいに決まっている

 

シンプルだけれど やわらかに

穏やかに

 

調和のとれた心具合に越したこと

はない

 

特に 暮らしていくとしたら

なおさら

 

素のままで 無理もしない

心具合は

 

作ろうとして出来るものでも

ない

 

ごく自然に ふたりの調和

空気 呼吸

 

なじんでいけば 目に見えない

赤い糸というより

 

もっと自然な 運命 結びつき

 

ゆるやかな 時と愛は進み

 

確かめなくとも 確実に

ふたりの空間ゆるがない

 


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『両国駅近くの酒場にて』

2015年09月11日 04時44分07秒 | owarai

酒場にもいろいろあって、
若い女性を売り物のクラ
ブもあるし、

もっと大人の女性がいて
話題で楽しめる酒場もある。

この話は、後者で聞いた話。
「あのね。うちへ来るお客さん
でね、おスモウさんなんだけど、

超早漏の人がいてね、それで
いつも悩んでいるのね」

その相撲取りが、そこの店で、
ほかの客から、それならこれ
これのクスリが効く、あそこに
濡ればけっこう長持ちする、

と教わり、さっそくそのクスリを
買い込んでデートをしたんだ
そうだ。

そしてホテルへ。

「でね、さあっていうとき、その
クスリを取り出し、彼女に背を
向けて、あそこに塗ったんで
すって」

すり込むように塗ったという。
「そうしたらね、塗ってるうち
に出ちゃたんだって。ほんとよ。
この話ほんとばんだってば。

だって、そのオスモウさん、真剣
に悲しそうにそういうんだもん」

はたき込みや肩すかしどころ
の話ではないのだ。

この相撲取り”独り相撲”を
とっちゃったのだ。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『たのしく』

2015年09月10日 06時36分45秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年祝で
早朝割引を実施
am6;30~8:30まで』

【コラム:】

欠点や短所があっても

いいではないか

 

泣いても 笑っても

たった一度の人生だ

 

神経を太くして

生活は 楽しくやろう

 

知らぬまに 幸せがやって

くる

 

悲しいときも

失意のときも

 

楽しいように ふるまっていると

いつのまにか 幸せがやってくる

 

幸せの神は

笑顔に惹かれてやってくる

 


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『助けるヒトのほうが幸せだ』。

2015年09月08日 09時08分21秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

【コラム:】

仕事という言葉は、「事に仕える」
と書く。
自分を無にしてツカエル心で
やると、いい仕事ができる。

威張ることが喜びである人は、
愛も知らないし、いい仕事も
できない。

謙虚な人ほど、人に多くのも
のをあたえるのだ。

助けられる人よりは、助ける人
のほうが、“しあわせ”だ。

恩をうける人よりは、これ
ほどこす人のほうが、感謝される
よりは、

感謝するほうが、喜びは深い。

京都のある有名どころでは、便所
掃除を行(ぎょう)の中核にすえた。

座敷の清掃をしたあとよりも、
トイレのそれのあとのほうが、
気持のスガスガしさはまさるようだ。

より深く「自分が洗われる」ためで
あろうか?


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム『酒場にて Ⅱ -10秒死なせてー』

2015年09月08日 08時53分47秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

10秒死ぬということは、つまり、
仮死状態になることである。
ということは、すなわち気絶で
ある。性的興奮の絶頂で、

つい耐えきれなくなって気絶
してしまう。

しかし、こういう場合、気絶とは
失神という。失神のほうが感じ
が出る。気絶では、どうしても
”いい気持”が伴わない。

「死ぬう、死んじゃう」といいなが
ら、仮死状態になった女性を、
この目で見たことがない。
10秒死なせた経験がないのだ。

ただ、物の本によると、失神する
のは一部の女性で、いくら攻め
方やテクニックがうまくても、
失神しないのが大部分という。

テンカン症の女性に失神が
多いそうで、失神というのは
一種のテンカン症状だという
ことである。

「あら、じゃあ、私も失神できる
わね」
といったのが新宿のオカマ。

「だって私達、性テンカンして
いるから、素質ありよ」・・・!?


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム「いつも、抱いていてほしいのです」。

2015年09月07日 08時33分57秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

子どもに好かれるあなたへ。
子どもに好かれる人は、男性
にも好かれます。

子どもは観察力、洞察力がすぐ
れています。

言葉の表現以上に、視覚とか肌の
感覚を求めているからです。

子どもは、あまり難しい言い回し
を控えて、自分の年齢にあった
話し方をされることが好きです。

優しく、厳しく、変化のある人が
好きです。

いつも、自分の位置から、観察さ
れたがっています。
いつも、抱いていてほしいのです。

顔、手、肩、胸、膝、お尻、そして、
足元を見ています。
ガッシリとした靴は嫌いです。

子どもが求めるものは、男性が
求めているものと同じなのです。

 


ブリュー・ミュージアム コラム /ディ・ブレイク ―アーカイブス―

2015年09月06日 04時22分00秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

夜明けは やわらかに 残酷

小さな時の積み重ねも 
消えていきそうな朝がある

愛して刹那(セツナ)
一晩が終わる刹那 
そして一日が始まる刹那

悲しみも凝縮して そして拡散する

幸福感は 不幸と不幸のはざまに
一瞬よぎり

瞬間 しっかり握らないと
てのひら逃げていく

そこはかと ままならない想い
かかえても

愛が そのはざまから 見えたなら
それでいい

クールなのかウエットなのか
わからないままで

愛と区別のつかない恋も ある
のだと

短くも はかなくも 美しく

蝶の ひとひらの 羽のように


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ店長コラム相手の態度は、自分の「心の鏡」。

2015年09月05日 08時59分36秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~ヤナギダ~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

古代ローマのオーガスタ皇
帝は、皇后との夫婦仲がきわ
めてむつまじく、家庭において
はすべてが皇后のいうがままで、

すこしも逆らうことがなかった
そうだ。やさしくて、善良な夫
だったわけだが、

もとより、皇帝は恐妻家ではなく、
皇后はカカア天下式に夫を支配
したわけではない。

にもかかわらず、夫を「自由自在
にあやつる」というふうであった。

皇后には夫を支配する意図など、
カケラほどもなかったのだ。

反対に従順であることのみ努めて
いた。その徳へのリアクションと
して、夫のほうも、従順になった、
ということであった。

つまり、夫の姿は、彼女のそれの
“写し”であったわけである。

もしこの皇后が支配欲の強い女性
で、“女上位”式に皇帝を支配しよ
うとしたのであったら、

夫はこれの“写し”となって夫婦
仲にヒビが入り・・・ということ
になったはずである。

つまり、この皇后は、「やさしい夫
をもつ」という妻の幸福、女のしあ
わせを、自分で創りだしたわけで
ある。

こういう男と縁を結んだことが幸運
・・・というだけのことだけでは
なかったのだ。

やはり、モンテーニュがいったよ
うに、夫は妻にとって(その逆も
また)人生の材料にすぎず、

これに彫刻をしてゆくのは自分
自信である。

幸福を刻むのも自分、不幸を彫る
のもまた自分なのだ。

人生において「自分が効く領域」
は、常識で思うよりはるか以上
に大きいようだ。