群馬県にあるJR信越本線
「横川駅」の「峠の釜めし」。
これを開発したのは、
老舗の駅弁屋「荻野屋」の
女主人・高見沢みねじさんと、
その妹の田中トモミさんで
ある。
みねじさんは、終戦直後の
1945年(昭和20年)12月
荻野屋に嫁いできたのだが、
当時は食料難のため、荻野屋
も休業同然の状態。しかも、
6年後に夫に先立たれ、
悪戦苦闘するが、それでも
駅弁は思うように売れなかった。
特色のある駅弁をださなければ
と思っていたときに、益子焼きの
セールスマンがやってきて、
いまでは有名になったあの
素焼きの小さな釜をすすめた。
ひと目で気に入り、
釜めしの駅弁をつくろうと
思い立ったのである。
「峠の釜めし」と名づけたのは、
古代に、下野国の防人が、
碓氷峠を越える際に土器で
自炊したという、「碓氷軍機」
の故事に由来する。
こうして生まれた「峠の釜
めし」は、横川駅で
1957年(昭和32年)11月
に発売された。
当初は、白いふつうのご飯の
上に具をのせたもので、1日
50個ほどしか売れなかったが
「文藝春秋」で紹介されると、
たちまち評判になった。
旅客からのアドバイスもあり、
現在のような炊き込みご飯
の釜めしになり、売り上げは
8倍に伸び、いままでに1億
個の販売が達成された。
味やデザインとともに、
列車が発車するとき、社長を
はじめとする販売員全員が
頭を下げるというのも、評判の
理由の一つだった。
現在は、横川駅の構内売店のほか、
長野新幹線で社内販売がおこな
われている。
余談ですが、セットでつく
おつけもの入れの材質は、昔
板目の箱で哀愁がありました。
(今、プラです)