芹沢光治朗の自伝的大作『人間の運命』
の中で、主人公の次郎はこう語っている。
「子ども心に、財産とは何であろうか、
その財産を神に捧げたいということは
どういうことか、貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう意味か、
必死に考えた。自分は貧乏であると
知っているが、そのために裸足で
学校に行き、一片のさつまいもを
弁当にしても、教室で学んだり、
運動場で騒いだり、下校の途上喧嘩
をしたりして、幸せである。
貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、
未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。
それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」
今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。
寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。
でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?
の中で、主人公の次郎はこう語っている。
「子ども心に、財産とは何であろうか、
その財産を神に捧げたいということは
どういうことか、貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう意味か、
必死に考えた。自分は貧乏であると
知っているが、そのために裸足で
学校に行き、一片のさつまいもを
弁当にしても、教室で学んだり、
運動場で騒いだり、下校の途上喧嘩
をしたりして、幸せである。
貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、
未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。
それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」
今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。
寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。
でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?