【コラム:】
一休禅師は、自分に示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。
「この庭を見て美は“もの”に
なく、ものともの、ものと心が
通じ合う陰翳(いんえい)のあ
やの中に見出すことができる。
山水画でも、墨の滲みとか
かすれを生かして、己が心の中
の風景を描くものが人の心を
衝つのであろう・・・。
心も栄養も摂らないと枯れる。
心の食事には法喜食と禅悦食
がある。
法喜食は、教えを聞いて心の中
に喜びが湧き上がること。
商売でも学問でも芸術でも、何
もかも忘れて打ち込んでゆきと
き、人は深い歓喜に包まれるも
のだ。
自分と対象が一つになり切った
と感じるとき、禅悦食をいただ
くことになる。
命が輝くときなのだ。
命は他の命、他のものとのつな
がりの中で生きている。
自分を滅して、人のためにする
ことこそ禅悦食なのだ。
それは自分のためである。その
ことによる喜びで自分の命が輝
くように、命はつくられている
のだから。
このことを常にわきまえてすれ
ば、必ず新しい道が開けようぞ」
どれだけ儲けたかよりも、どれ
だけ人の心を楽しませたかが
大切です。
そうすれば、人生は貧しくとも
もっと充実したものになるはず
です。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業121年』
一休禅師は、自分に示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。
「この庭を見て美は“もの”に
なく、ものともの、ものと心が
通じ合う陰翳(いんえい)のあ
やの中に見出すことができる。
山水画でも、墨の滲みとか
かすれを生かして、己が心の中
の風景を描くものが人の心を
衝つのであろう・・・。
心も栄養も摂らないと枯れる。
心の食事には法喜食と禅悦食
がある。
法喜食は、教えを聞いて心の中
に喜びが湧き上がること。
商売でも学問でも芸術でも、何
もかも忘れて打ち込んでゆきと
き、人は深い歓喜に包まれるも
のだ。
自分と対象が一つになり切った
と感じるとき、禅悦食をいただ
くことになる。
命が輝くときなのだ。
命は他の命、他のものとのつな
がりの中で生きている。
自分を滅して、人のためにする
ことこそ禅悦食なのだ。
それは自分のためである。その
ことによる喜びで自分の命が輝
くように、命はつくられている
のだから。
このことを常にわきまえてすれ
ば、必ず新しい道が開けようぞ」
どれだけ儲けたかよりも、どれ
だけ人の心を楽しませたかが
大切です。
そうすれば、人生は貧しくとも
もっと充実したものになるはず
です。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業121年』