「6・11原発いらん!関西行動 第2弾」でいただいた「Nさんをとりもどすその辺にいる人たち救援団」(仮)のビラを以下にご紹介します。
転載歓迎とのことです。
Nさん救援のお願い!
6月6日の朝、扇町公園で野宿生活をしているNさんは公園利用者とトラブルを起こして大阪府警に逮捕されました。わたしたちはこれを出来事として見逃すことはできません。なぜならNさんが野宿生活をして病者であるため、今後、一般事件とはちがう刑罰が下される可能性を危惧しています。この事件にいたるまでにNさんはテント村で幻覚や幻聴があったり、わたしたちとトラブルを起こしていました。このことは大阪市の巡回相談員も知っていました。しかし、Nさんのつれあいさんにアレヤコレヤと言って押しつけて帰っていく対応でした。一般の人が病気になれば病院に行くことができるのに野宿者は病院に行くことができない状態です。大阪市は野宿生活をやめて入院をするなら医療保護を認めるという方針を変えていません。いま野宿者は『無料低額医療制度』によって通院をする状態です。Nさんが当たり前に通院できるのであればこの事件は起きなかったのです。これを差別行政と言わずして何と呼ぶべきなのでしょうか!
このまま弁護士が用意できないまま裁判所と検察だけですべてが決められることは、Nさんにとって不利なものとなります。そこで問われるのは事件でなく--二度と事件を起こさないための刑罰でなく--野宿者であり病者であるNさんの人格が問われる--二度と事件を起こさないための治療!--ことになるのです。それは社会の安全のために一人の人間を社会から合法的に抹殺していくことに他なりません。裁判所も検察も野宿者であり病者の一人が社会から抹殺されたとしてこの社会が関心を払うはずもないことを確信しているでしょう。わたしたちはナチス時代、ユダヤ人だけでなく身体障害者、病者、同性愛者、野宿者等が社会の安全と公共のかけごえによって抹殺されていったことを想起しなければなりません。そして、あの名言をきかなければなりません。
--泥棒は、盗みという歴然たる犯行を行った人間である必要はない。その性格が彼を泥棒たらしめるものであれば、彼は泥棒なのである。彼は本質的に泥棒なのだ。
ニクソン大統領
多くの友人たちがNさんの病気から、釈放すると何をしでかすかわからないと言います。しかし、病者が犯罪を起こすかどうかなどわたしたちにわかるはずがありませんし、実際に新聞やテレビで事件を起こしているのは病者よりも圧倒的に健常者の方が多いではありませんか!わたしたちはNさんとこの社会で共にあることを望みます。Nさんの救援活動に圧倒的注目と支援をよびかけます!
保安処分攻撃を粉砕するぞ!
すべての野宿者、病者はNさんを見殺しにするな!
このビラをコピーして多くのなかまたちに回してください!
救援カンパの振込み先は
00930-6-139747
大阪キタ越冬実
通信欄に
「Nさん救援カンパ」 と書いて下さい。
連絡先
「Nさんをとりもどすその辺にいる人たち救援団」(仮)
(電話番号略)
---
引用おわり。
以下、連帯表明。ただし、このブログ主(くろまっく)の個人的な見解であり、「Nさんをとりもどすその辺にいる人たち救援団」(仮)とは一切関係ありません。責任は筆者にあることをお断りしておきます。
Nさん救援カンパのお願い
私たちのだれもが、〈野宿〉や〈心の病〉と、無縁である保証はありません。今日においては、かつてないほどそうだといえるでしょう。
Nさんがどんなトラブルを起こしたのかについて、私は知りません。野宿者や支援者団体の内部でも議論があったらしいのは、本文にあるとおりです。公園利用者の方の心身に傷を残すようなことがあったとしたら(そんなことはないと祈りたいが)、Nさんと一緒に心から謝罪いたします。
ただビラを受け取っただけで、連帯と支持を表明する私は、〈無責任〉のそしりを免れないでしょう。しかし野宿者や病者の問題について、私たちが知っているのは氷山の一角です。なぜ多くの人々が野宿生活をしているのか、また病者がどんな生活を送っているかは、知らされることもなく、人々は考えようともしていません。
私はいま、Nさんが野宿者・病者というだけで誰の理解も得られず、ごく限られたグループにしか支持されないことを憂慮しています。このたたかいを孤立した野宿者と少数の支援者の共闘のまま、終わらせてはいけません。もしこの事態を許しておけば、「放っておけば凶悪犯罪が増加するぞ」「子どもたちを守れ」と、警察国家・監視社会を承認してしまうどころか、それらを強化しかねない、その他大勢の大衆とのあいだの深刻な離反を拡大するばかりになるからです。
池田小事件や秋葉原事件以降、「不審者」として摘発の対象になってきたのは、知的障害者、精神障害者、そして野宿者たちです。刑務所には軽微な犯罪を犯した障害者、病者、認知症も含めた高齢者であふれています。しかしそこにはどれだけ厳罰を必要とするような「凶悪犯」「テロリスト」「性犯罪者」が、どれだけいるというのでしょうか。犯罪発生件数ではむしろ減少しているのです。
参考:刑務所は障害者の安息の場なのか
http://www20.big.or.jp/~ent/konnakoto/konnakoto_keimushowa.html
私の希望は、野宿者や病者がお互いに助け合うこと、世論とコミュニケートすること、そして彼らの意志と正当な権利要求が貫徹されることです。
いま私たちは、震災の被災地では、復興に向けて、新自由主義で分断されてきた勤労大衆が、信頼と絆を修復し、復興に向けて、ふたたび手を結びあう姿を目のあたりにしています。これはすばらしいことです。
どうかその支援の手を、Nさんにも差し伸べてください。
一緒に生きましょう。
Nさんに弁護士を、医者を、仲間を。
Nさんを取り戻すために、ぜひ皆様の温かいご支援ご協力をお願い申し上げるものです。
2011年6月13日
くろまっく(オメガブロガー)
転載歓迎とのことです。
Nさん救援のお願い!
6月6日の朝、扇町公園で野宿生活をしているNさんは公園利用者とトラブルを起こして大阪府警に逮捕されました。わたしたちはこれを出来事として見逃すことはできません。なぜならNさんが野宿生活をして病者であるため、今後、一般事件とはちがう刑罰が下される可能性を危惧しています。この事件にいたるまでにNさんはテント村で幻覚や幻聴があったり、わたしたちとトラブルを起こしていました。このことは大阪市の巡回相談員も知っていました。しかし、Nさんのつれあいさんにアレヤコレヤと言って押しつけて帰っていく対応でした。一般の人が病気になれば病院に行くことができるのに野宿者は病院に行くことができない状態です。大阪市は野宿生活をやめて入院をするなら医療保護を認めるという方針を変えていません。いま野宿者は『無料低額医療制度』によって通院をする状態です。Nさんが当たり前に通院できるのであればこの事件は起きなかったのです。これを差別行政と言わずして何と呼ぶべきなのでしょうか!
このまま弁護士が用意できないまま裁判所と検察だけですべてが決められることは、Nさんにとって不利なものとなります。そこで問われるのは事件でなく--二度と事件を起こさないための刑罰でなく--野宿者であり病者であるNさんの人格が問われる--二度と事件を起こさないための治療!--ことになるのです。それは社会の安全のために一人の人間を社会から合法的に抹殺していくことに他なりません。裁判所も検察も野宿者であり病者の一人が社会から抹殺されたとしてこの社会が関心を払うはずもないことを確信しているでしょう。わたしたちはナチス時代、ユダヤ人だけでなく身体障害者、病者、同性愛者、野宿者等が社会の安全と公共のかけごえによって抹殺されていったことを想起しなければなりません。そして、あの名言をきかなければなりません。
--泥棒は、盗みという歴然たる犯行を行った人間である必要はない。その性格が彼を泥棒たらしめるものであれば、彼は泥棒なのである。彼は本質的に泥棒なのだ。
ニクソン大統領
多くの友人たちがNさんの病気から、釈放すると何をしでかすかわからないと言います。しかし、病者が犯罪を起こすかどうかなどわたしたちにわかるはずがありませんし、実際に新聞やテレビで事件を起こしているのは病者よりも圧倒的に健常者の方が多いではありませんか!わたしたちはNさんとこの社会で共にあることを望みます。Nさんの救援活動に圧倒的注目と支援をよびかけます!
保安処分攻撃を粉砕するぞ!
すべての野宿者、病者はNさんを見殺しにするな!
このビラをコピーして多くのなかまたちに回してください!
救援カンパの振込み先は
00930-6-139747
大阪キタ越冬実
通信欄に
「Nさん救援カンパ」 と書いて下さい。
連絡先
「Nさんをとりもどすその辺にいる人たち救援団」(仮)
(電話番号略)
---
引用おわり。
以下、連帯表明。ただし、このブログ主(くろまっく)の個人的な見解であり、「Nさんをとりもどすその辺にいる人たち救援団」(仮)とは一切関係ありません。責任は筆者にあることをお断りしておきます。
Nさん救援カンパのお願い
私たちのだれもが、〈野宿〉や〈心の病〉と、無縁である保証はありません。今日においては、かつてないほどそうだといえるでしょう。
Nさんがどんなトラブルを起こしたのかについて、私は知りません。野宿者や支援者団体の内部でも議論があったらしいのは、本文にあるとおりです。公園利用者の方の心身に傷を残すようなことがあったとしたら(そんなことはないと祈りたいが)、Nさんと一緒に心から謝罪いたします。
ただビラを受け取っただけで、連帯と支持を表明する私は、〈無責任〉のそしりを免れないでしょう。しかし野宿者や病者の問題について、私たちが知っているのは氷山の一角です。なぜ多くの人々が野宿生活をしているのか、また病者がどんな生活を送っているかは、知らされることもなく、人々は考えようともしていません。
私はいま、Nさんが野宿者・病者というだけで誰の理解も得られず、ごく限られたグループにしか支持されないことを憂慮しています。このたたかいを孤立した野宿者と少数の支援者の共闘のまま、終わらせてはいけません。もしこの事態を許しておけば、「放っておけば凶悪犯罪が増加するぞ」「子どもたちを守れ」と、警察国家・監視社会を承認してしまうどころか、それらを強化しかねない、その他大勢の大衆とのあいだの深刻な離反を拡大するばかりになるからです。
池田小事件や秋葉原事件以降、「不審者」として摘発の対象になってきたのは、知的障害者、精神障害者、そして野宿者たちです。刑務所には軽微な犯罪を犯した障害者、病者、認知症も含めた高齢者であふれています。しかしそこにはどれだけ厳罰を必要とするような「凶悪犯」「テロリスト」「性犯罪者」が、どれだけいるというのでしょうか。犯罪発生件数ではむしろ減少しているのです。
参考:刑務所は障害者の安息の場なのか
http://www20.big.or.jp/~ent/konnakoto/konnakoto_keimushowa.html
私の希望は、野宿者や病者がお互いに助け合うこと、世論とコミュニケートすること、そして彼らの意志と正当な権利要求が貫徹されることです。
いま私たちは、震災の被災地では、復興に向けて、新自由主義で分断されてきた勤労大衆が、信頼と絆を修復し、復興に向けて、ふたたび手を結びあう姿を目のあたりにしています。これはすばらしいことです。
どうかその支援の手を、Nさんにも差し伸べてください。
一緒に生きましょう。
Nさんに弁護士を、医者を、仲間を。
Nさんを取り戻すために、ぜひ皆様の温かいご支援ご協力をお願い申し上げるものです。
2011年6月13日
くろまっく(オメガブロガー)