大江健三郎さんのニューヨーカーへの寄稿記事。天木直人さんメルマガで知る。
http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe
エキサイトくんでざっと流し読み。大江健三郎はいついかなる時も大江健三郎なのだ。
ラストだけ仮訳。
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私が分別ある大人と考えられる年令になった時、私は、「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」(1969年)という小説を書いた。いま人生の最終段階で、私は「最後の小説」を書いている。 もし現在のこの狂気を生き延びさせてしまったら、私が書く本は、ダンテ『地獄編』最終行とともに始まるだろう。
「かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて」(山川丙三郎・訳)
http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe
エキサイトくんでざっと流し読み。大江健三郎はいついかなる時も大江健三郎なのだ。
ラストだけ仮訳。
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私が分別ある大人と考えられる年令になった時、私は、「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」(1969年)という小説を書いた。いま人生の最終段階で、私は「最後の小説」を書いている。 もし現在のこの狂気を生き延びさせてしまったら、私が書く本は、ダンテ『地獄編』最終行とともに始まるだろう。
「かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて」(山川丙三郎・訳)