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黒田以前の黒田哲学

2011年01月25日 | 読書
 高知總「孤独な探求者の歩み」も、以前古本屋で買ったのが出てきたので、読んでみた。黒田が中退した旧制東京高校では網野善彦のほか、蹴球部で城塚登とも同窓・同部だったことを知る。92年頃に蹴球部OBの同窓会誌に寄稿した文章を読んでも、かなりのサッカー好きらしい。実は結婚していたことと合わせて、意外な発見。

 ノートで1ページ、800字のブックレビュー、梅本克己にあてた書簡など、直筆の原稿も採録されている。ノートの取り方には独自の工夫がある。レイアウトへのこだわり。「探求」のロゴは、岩波の「思想」を参考にしたという。

 なぜ世界に先駆けて、日本の共産主義運動に新左翼運動が生まれたのかは、これ自身ひとつのテーマではあろう。欧米の新左翼運動は、1960年代以降、第三世界革命というヨーロッパの「外部」、人民革命戦争という「他者」との衝撃的な邂逅がもたらした。

 しかしわが日本新左翼運動は、1950年代、スターリン批判やハンガリー革命、六全協の衝撃から産み落とされている。しかしこれは日本の先駆性というより、ソ連や共産党の絶対的な権威に拝跪してきただけの「後進性」の現れにすぎなかったと、今なら総括できる。

 本書で多少なりとも興味を引かれたのは、「黒田以前の黒田」の伝記的な部分で、特に梅本克己、三浦つとむなどとの交流である。いわゆる黒田思想の形成過程については、ほとんど読み飛ばした。

 印象に残ったのは、黒田が廣松に触れながら、疎外論は乗り越えられるべきものとしても、「疎外とは私そのものなのだ」と書いているくだりだった。病気のため高校を中退せざるをえなかった青春の蹉跌がここにある。

 本書の後書きで、黒田の日本回帰を批判した高知に、黒田は激怒したそうだ。むろん、その記述はかなりトンデモで、批判なしに済まされるとは思えない。しかしなぜ極北をめざしたはずのカルト的マルクス主義者でさえも、「日本的自然」に回帰していくのかという、問題は別に残る。これは古くて新しい転向論の課題である。

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