新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

広島と広島弁 わが時代のこうの史代

2011年12月17日 | コミック/アニメ/ゲーム
 以前、88年問題に触れました。

 88年組は1988年をアラツーで通過した世代。管理教育や学校暴力の問題もありながら、平和教育や人権教育の洗礼を受けてきた世代でもあります。

 しかし、戦後民主主義の価値観・歴史観も解体しつつありましたね。80年代中期は、ポストモダン派全盛の時代。〈朝日・岩波文化人〉や、〈マルビな左翼〉は、「パラノ」「大きな物語」「ルサンチマン」で、お笑いの対象でした。

 ポストモダニズムは、バブルの浮力がもたらしたものにすぎません。「ジャパンアズNo.1」と、日本がバブルの春を謳歌していたあの時代、中曽根自民党により、戦後政治総決算路線と称して、今日につながる新自由主義へのレールが準備されていました。「自民党のウィングを左にのばす」と中曽根はうそぶきましたが、事実、戦後左翼は徹底的に解体され、再起不能まで極小化されたのです。大阪ダブル選挙の平松陣営の敗北には、国鉄決戦の敗北の再現を見るようでした。

 しかし、世の中そう悪いことばかりではありません。『夕凪の街 桜の国』のこうの史代さんは1968年生まれで、ジャスト88年組です。

 ギャルゲーの話題の次は、こうの史代? 私のなかでは、そう無関係でもありません。東京都の表現規制条例問題では、教育委員会に取材を試み、鋭いツッコミを入れまくっていました。その取材レポートを収録したのが、初エッセイ集「平凡倶楽部」(平凡社)です。

 この本にはエッセイばかりでなく、マンガも掲載されています。衝撃を受けたのは「古い女」。「チラシの裏に書け」というネットスラングがありますが、それを真に受けて、チラシや包装紙の裏に作画した作品です。印刷の裏写りも絵柄に取り込んで、一つの世界をなしている鬼才に、私は心の底から戦慄を覚えました。

 「なぞなぞさん」にも、無能なライターはドキリとさせられました。なぞなぞさんとは、新聞や雑誌のインタビュアーのこと。インタビューでの受け答えが、実際の記事ではどうなるのかの逆ドキュメント作品です。

 インタビューの最後に、こうのさんがこれからのテーマを問われます。「あ、広島弁は書いていきたいです」と彼女は答えます。しかし記事(作中ではインタビュアーのノート)は、「広島を書いていきたいと思います」に変わっている。

 「広島弁」と「広島」はたった1字のちがい。しかし「さんさん録」のように、広島弁天然キャラを描きたいというのが、彼女の答えでしょう。意味はまるで異なります。

 その他、彼女の答えが意図と違うと、ノートは白紙のままなんて描写もあります。よく観察していますね。

 しかし、取材も営業も、自分の言いたいことを相手に言わせようとするから失敗してしまうんですね。なぞなぞさんクラスなら、メディアという権力……公器というんですか?……がある。取材中一人でしゃべり倒し、「そうでしょ?」と相手に迫り、「え? ああ、はい」と答えたが最後、その人の発言にしてしまう強者のなぞなぞさんも何人か知っています。

 こうの史代さんは、毎年8月がやってくるたびに、「広島」をめぐる政治党派や市民団体の争いを、その目で見て育ちました。被爆3世の友人がいたので、この感覚はわかります。政党や党派はだいきらいだ、と。

 『夕凪の街』の死にゆく皆実の「嬉しい?」のモノローグに、あれだけ心をえぐられたのは、なぜだか考えたことがありますか。あの言葉は、原爆を投下したアメリカの兵士のみならず、反核平和運動にも、そして読者一人ひとりに向けられているからです。若く美しいヒロインが筋書き通りに戦争の犠牲になって死ぬのが「嬉しい?」と。

 「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」

 『夕凪の街 桜の国』のこの根源的な問いかけを封印して、左派は自分たちに都合のいいように、従来の反核・反戦作品の枠内に押しこめようとするだけでした。

 原爆で犠牲になった人も貴ければ、生き残り復興に尽くした人たちも同じように貴いのです。あの人たちの目には、原爆投下わずか3日後には路面電車を復旧、運転を再開した女性運転士たちの姿は入っていない。広島の女をなめるな。そういっているのです。こうのさんでなく、私がですけどね。

 『この世界の片隅で』が、なぞなぞさんたちへの回答だったのは、『平凡倶楽部』のエッセイを読むとよくわかります。若く美しいヒロインは死んだりしない。その代わり大切なものも失います。この世には生き残る苦しみもあれば、生き残ってくれた喜びだってあります。しかし『夕凪の街 桜の国』にも、このメッセージはすでにありました。

 いま、こうのさんは、ウェブ平凡で『ぼおるぺん古事記』を連載しています。このデジタルの時代に、ボールペンでマンガを描くという、反時代的な暴挙。しかしアマテラスが天の岩戸に隠れた常夜の暗闇を、スミベタでなくボールペンだけで表現する荒技に、見事勝利をおさめました。

 Web版コミックだからこそ、生原稿のプレーンな状態を伝えることもできる。製本時には裁ち落とされ、読者の目には入らないトンボ外の余白を、Web読者限定で?制作日記コーナーに活用している。一見、超アナログでアナクロなこうのさんに、いちばんデジタルブックの最先端の可能性を感じています。

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