新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

移動時間58時間 道産子の修学旅行

2024年03月03日 | おでかけ
摩耶山から帰って、今は郷里の従姉が贈ってくれた「〆張鶴」を飲んでいます。新潟県村上市の地酒で、亡母が好きだったお酒だということです。

幼いころ、雪のなか、酒を仕込み中の酒蔵の見学に連れて行かれたことがあります。Webサイトの写真を見て、あれが〆張鶴の宮尾酒造でないのかと思うのですが、誰に聞いてもわかりません。親を失うことは、記憶の一部を失うことだとしみじみ思ったものです。


〆張鶴は村上春樹のエッセイ『村上朝日堂』にも出てきます。村上つながりで、村上市の「村上新聞」を訪ねる回です。挿絵の安西水丸がこの酒が大好きだったそうで、一升瓶を抱きしめ「ルンルン」(死語40年?)と東京に帰ったのだそうですよ。


〆張鶴を飲んでいるのも、先週、ネットの拾い物のこんな画像をサルベージしたからです。




「昭和46年度 池田西高校修学旅行日程表」。

たぶんツイッターからの拾いものです。

「池田西」というからには大阪の高校?と思ったら、道東の中川郡池田町にあった高校。帯広の近くのようです。

この旅程表が「バスった」のも、特急おおぞら・青函連絡船・特急白鳥を24時間以上乗り継いで京都まで行き、奈良も巡って、新幹線で東京に向かい、ふたたび北海道に戻るという、五泊八日の強行軍だったからでしょう。うち二泊は船中泊。移動時間累計58時間あまり(丸2日と10時間!)というストロングスタイルです。

この旅程表の画像を保存したのも、亡母の葬儀でお目にかかった札幌出身の方に修学旅行の話を聞いたことを思い出したからです。

故人が奈良を好きだった話から、高校の修学旅行で京都奈良を訪ねた話になったのです。亡母の趣味に合わせてくれたのでしょうが、京都より奈良がよかったとおっしゃるのですね。

「京都より奈良のほうが、古くから人が住んでいて、大地が踏み固められているような気がした」

ということばが、印象に残りました。

その後、札幌を初めて訪ねたとき、全く逆の感想を抱いたものです。北海道は、まだ人間が住み始めて歴史が浅く、なんだか地面がふわふわしているなあ、と。地上から5ミリ浮いているような浮遊感がありました。

池田西高校の修学旅行の日程表に興味を惹かれたのも、札幌は池田町より内地に近いとはいえ、京都・奈良に出るまでにはこんな長旅だったんだなと、あの方の話を思い出したからです。

池田西高等学校の前身は1946年創設の池田服装裁断学院で、56年に多田学園・池田女子高等学校として開校し、64年に池田西高に改名して男女共学になったということです。85年に幕別町依田に移転し、「江陵高等学校」に校名変更しましたが、2021年3月閉校したとのことです。これも何かのご縁でしょう。同窓会のWebサイトにリンク。



高校の修学旅行って、たしか2年次でしたね。1971年に17歳ということは、今年70歳でらっしゃいます。

亡母の知人が修学旅行のころには、新幹線は開業していたはずですが、まだ修学旅行に新幹線は一般的でなかったようです。新幹線を修学旅行に初めて利用したのは、1968年、東京や北海道の公立高校の連合体で、そこから全国に広まっていったということです。

すっかり忘れていましたが、修学旅行の場合は原則団体の貸し切りになるんですね。航空機の利用は、海外での修学旅行を実施する一部私立高校だけでしたが、公立高校では、1978年、福岡県の公立高校の沖縄修学旅行が全国初だったそうです。
(参考:修学旅行の歴史─修学旅行はなぜ生まれ,どう進化を遂げてきたのか─ 竹内秀一氏の論考)

この池田西高校の修学旅行日程表も一種の現代古文書かもしれません。「昭和46年度 池田西高校修学旅行日程表」を文字起こししてみました。

11/4(木)
池田 15:19 ─226D─15:49 帯広 16:20 ──おおぞら2号
夕食:持参 宿泊地:船中

226Dは列車番号でしょうか。特急おおぞらは、JR北海道で今も現役です。北海道初めての特急列車だそうです。
1971年は女子校から共学に変わって7年、まだ女子生徒が男子生徒より多かったのではないでしょうか。


11/5(金)
─0:25  函館 0:45 〜2B〜 4:35 白鳥─ 19:30 京都=旅館
朝食:青森 昼食:新潟 夕食:旅館(小倉屋) 宿泊地:小倉屋

波線は船での移動を示しています。
当時の特急おおぞらは、青函連絡船深夜便を介して特急「白鳥」に接続したようです。帯広から函館まで8時間あまり、池田駅を出発してから実に9時間かかっています。

現在のおおぞらは札幌止まりですが、帯広・札幌が3時間弱、札幌・函館間が3時間30分で、のりかえ時間を考えたら、今もそう変わっていないかもしれませんね。北海道は広いです。

余談になりますが、大阪本社のある建材メーカーの輸送費の目安は、近畿圏は2万円。関東だと倍の4万円になり、北海道では16万円と、関東圏の4倍、近畿圏の8倍にも跳ね上がるのです。離島のたくさんある沖縄県でさえ、10万円ちょっとなのに、北海道がべらぼうに高いのは、北海道に入ってからの先が長いからでしょう。函館から釧路までは540キロ、稚内は630キロ、それぞれ、東京から大阪まで、岡山・島根あたりまで行ける距離です。

特急白鳥は1961年10月に運行を開始。大阪駅 - 直江津駅間は青森駅発着編成と上野駅発着編成を併結した多層建て列車として運行されたそうです。混乱を防止するため国鉄内部では青森駅発着編成を「日本海白鳥」、上野発着編成を「信越白鳥」と区分していたとのことです。「日本海白鳥」は大阪 - 青森間(当時1052.9km)を走るという、昼行特急列車としては日本一の走行距離の列車でした。

特急「白鳥」の名の由来は、瓢湖のハクチョウだったんですね。しかし瓢湖にハクチョウが初めて飛来したのは1950年、白鳥おじさんが餌付けに全国で初めて成功したのが1954年、その年にはもう国の天然記念物に指定されています。ものすごい超スピードです。

親に連れられて雪の瓢湖に行ったことがあります。幼児の目には広大に見えたのですが、空撮写真で見るとそんな大きな湖ではないんですね。もともと用水池だということです。8万平米だそうで、11万平米ある上野の不忍池より小さいです。

青森と新潟で食べた朝食と昼食は、あらかじめ積み込んでおいた駅弁が配られたのではないかと想像します。デッキに段ボールに入れて積んでおいたのかな。まだ冷房のない時代ですから、夏だとお弁当も傷んでしまいますね。修学旅行が春秋に集中した理由のひとつかもしれません。

北海道も広いですが、日本列島も長いです。京都到着は、前日午後3時過ぎにふるさと池田を出発して、約28時間後の夜の7時半。これは長い!

電車に乗った最長時間は、8時間までかなあ。いずれも新潟まで帰省したときで、名古屋からディーゼル急行「赤倉」、大阪から特急「雷鳥」に乗ったときです。赤倉は、固いボックスシートでおしりが痛くなったものです。しかし、単線区間の上下線の待ち合わせ時間だったのか、5分、10分の停車時間を利用して、ホームの駅そばで、亡母と一緒にたぐった信州そばは美味しかったです。山の中なのに、途中に浦島伝説のある淵が合って、車内アナウンスが流れたものです。

さて、池田西高校のみなさんが泊まった京都の小倉屋旅館は現存しないようです。ご近所にお住まいの方が、〈小生の暮す六角堂を中心にした「堂の前町」界隈は、以前は旅館が多かった。烏丸六角を東に入るとすぐに「小倉屋旅館」でお向かいだったが今はガレージ。〉という回想を残されています。


11/6(土) 旅館 8:00=[京都市内 清水寺・平安神宮・金閣寺]=12:00旅館  自 由 見 学
朝食:旅館 昼食:自由食 夕食:自由食 宿泊地:小倉屋


清水寺と平安神宮と金閣寺は、定番ですね。
私は中学の修学旅行で清水寺に行った記憶はありますが、平安神宮と金閣寺は記憶にありません。
午後は自由見学ということですが、1971年の高校生はどんな場所を回ったのでしょうか。
夕食も自由食なので、大阪まで出て粉もんツアーしても、門限さえ守れば叱られなかったはずです。

11/7(日) 旅館 8:00=9:10[奈良公園 東大寺・二、三月堂・春日大社] 12:30=13:10 法隆寺 14:30=16:30旅館
朝食:旅館 昼食:奈良 夕食:旅館(小倉屋) 宿泊地:小倉屋

この日は奈良ツアーです。完全にバめぐりですね。

私は奈良好きの亡母に連れられ、奈良のあちこちを回りましたが、法隆寺には行ったことがあるのかどうか、記憶が判然としません。修学旅行で明日香村に行った記憶はあります。5月でしたが、真夏のような日差しのなか、レンタサイクルで村内の史跡めぐりをさせられ、いまでいう熱中症寸前のいやーな思いでしかありません。


11/8(月) 旅館 7:30=京都8:30─こだま392─東京 12:30=川崎いすゞ 14:30=15:00 羽田空港 16:00=17:00 旅館
朝食:旅館 昼食:熱海 夕食:旅館(新泉旅館) 宿泊地:新泉旅館

京都から東京に移動です。
この頃は新幹線が利用できてよかったですね。
ダイヤを調べていたら、同じ時間帯に京都発のこだまがありました。
8:10京都、11:02熱海、11:48東京です。走行時間でいえば、当時より所要時間は13分短縮しています。
しかし東京着は12時半で、中途半端ですね。
川崎いすゞ工場を見学し、その後、羽田空港に寄っています。しかしこのスケジュールを見る限り、羽田空港周辺をバスで走っただけでしょう。川崎いすゞ工場は現存しません。
池田西高校のみなさんが宿泊した「新泉旅館」は見つかりませんでした。
もしかすると神泉旅館? 渋谷区に「神泉町」がありますね。京王井の頭線の駅で、渋谷駅のとなりでしう。渋谷駅にも徒歩圏で、好アクセスですが、元女子校の修学旅行生の宿泊地としては、「?」なロケーションです。


11/9(火) 自 由 見 学
朝食:旅館 昼食:自由食 夕食:自由食 宿泊地:新泉旅館

この日は旅館で朝食を食べたら、あとは完全自由行動です。
1971年の高校生は、どんな場所に出かけたのかな?

11/10(水) 旅館 8:00= [都内見学 皇居・NHK・科学技術館]  11:30上野 12:20 ─十和田1号─ 23:40 青森 宿泊地:船中
朝食:旅館 昼食:上野 夕食:原ノ町

旅館で朝食を食べ、バスで皇居・NHK・科学技術館を見学した後、上野から常磐線・東北本線経由で青森をめざしたようです。
上野では、どこか食堂に入ったのかな? それとも、駅弁が配られたのかな? 原ノ町は常磐線の福島県の駅の名前なんですね。上野から青森まで、11時間10分、長旅お疲れ様です。

11/11(木)
青森 0:30 〜〜4:20 函館 4:40 ─おおぞら1号─ 12:54 帯広 13:00 ─221D 13:34 池田
朝食:青森 昼食:瀧川? 

ようやく故郷に帰ってきました。函館本線に「滝川」という駅がありますが、むかしのおおぞらはこの駅を経由したのでしょうか。よくわかりません。詳しくわかったら、またアップし直したいと思います。ともあれ、池田西高校のみなさん、長旅おつかれさまでした。

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