以前、『信長の棺』にあれこれツッコミ入れたけれど、『信長公記』だけではだめだった。
安吾先生を忘れてはいけない。
『ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格』坂口安吾
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43145_27501.html
本能寺へ寄せた軍勢中の大将の一人で、ホンジョウ・カクエモンという男のことなのであります。彼の覚書によりますというと、信長の死の前後は次のようになっております。これは手記でありますから、この部分もごく簡単であります。――
「本能寺のなかへ乗り込んだ時には、相手のなかで誰も手向って来る者がない。或いは自分を仲間だと思っていたのか、自分が這入っていっても手向いする者がなかったのか。それだからと云って、寝ている者もなかったし、気を配ってみたけれども鼠一匹すらも姿を見せなかった。せめて二、三人でもと思ったが、おどり出して抵抗して来る者もなかった。そもそも抵抗というものを何ひとつ感じることなく、信長の寝所へゆきついたのであった」――
あっけなさすぎて、小説やドラマにはなりにくいね。しかし、『信長の戦争』や『信長の親衛隊』などから想像する信長軍団の組織体制からすると、こちらのほうが事実に近いんじゃないかな。いつか調べてみよう。
と、加藤廣氏の信長三部作に因縁をつけながら、おもしろさはまた別。やはり地下坑の話は燃える!
安吾先生を忘れてはいけない。
『ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格』坂口安吾
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43145_27501.html
本能寺へ寄せた軍勢中の大将の一人で、ホンジョウ・カクエモンという男のことなのであります。彼の覚書によりますというと、信長の死の前後は次のようになっております。これは手記でありますから、この部分もごく簡単であります。――
「本能寺のなかへ乗り込んだ時には、相手のなかで誰も手向って来る者がない。或いは自分を仲間だと思っていたのか、自分が這入っていっても手向いする者がなかったのか。それだからと云って、寝ている者もなかったし、気を配ってみたけれども鼠一匹すらも姿を見せなかった。せめて二、三人でもと思ったが、おどり出して抵抗して来る者もなかった。そもそも抵抗というものを何ひとつ感じることなく、信長の寝所へゆきついたのであった」――
あっけなさすぎて、小説やドラマにはなりにくいね。しかし、『信長の戦争』や『信長の親衛隊』などから想像する信長軍団の組織体制からすると、こちらのほうが事実に近いんじゃないかな。いつか調べてみよう。
と、加藤廣氏の信長三部作に因縁をつけながら、おもしろさはまた別。やはり地下坑の話は燃える!
ですね。これまでありそうでなさそうだったトリックなんだけど、最初読んだときは確かにおもしろかったです。
で、安吾ですが、「日本文化私観」とそっくりな部分を思い出しました。「仏とは何ぞや、という。答えて、糞(クソ)カキベラだという。庭に一つの石を置いて、これは糞カキベラでもあるが、又、仏でもある、という。これは仏かも知れないという風に見てくれればいいけれども、糞カキベラは糞カキベラだと見られたら、おしまいである。実際に於て、糞カキベラは糞カキベラでしかないという当前さには、禅的な約束以上の説得力があるからである」。
「ヨーロッパ的」では「ニンジ」のエピソード。「禅というものは人間の持っている人間性、その全てのものを、そのままに肯定する、というところから始まっている」。「名僧列伝」でしたっけ、お仕事で必要になったので手に入れたと書いてらした本。その「良寛」のところで「色即是空、空即是色」について、いったん否定して、あえて今度は肯定するという解釈があったと思います。吉本隆明「良寛」持っています。未読なのでそろそろ読もうと思っています。
ロクロ、左手で回せます。成形だけなら出来るので、ちょっとブログ(フォトアルバム)にUPしてみます。
いま読んでいる本より。
「日本人にこよなく愛される李朝の白磁壺や沙器の雑器が、故郷の地では、厳冬期のオンドル部屋で用を足すためのオガン壺(糞尿壺)に使われていた、ということを知る人は少ない。同じ意味で、古信楽を侘び道具をとして、花生けなど茶陶に高めた珠光・紹鴎・利休らが、骨壺の用法を意識していたかどうか、興味そそられるところである。」(高橋昌明『湖の国の中世史』中公文庫)
陶芸ギャラリーいいですね。暗雲に向かい、荒野に屹立するお銚子者が特にいい。あと、薔薇十字猫。
>お銚子者
かどうか定かでないですが、「暗雲」は近江ならではのイメージだと常々おもっています。実際よりも明るく描こうという世論は日増しに大きいですし、それも大事なことだと同感するところではあります。でも、谷崎純一郎「陰翳礼賛」的な部分は、京都を支える裏方として残しておきたいと感じるからです。
>高橋昌明『湖の国の中世史』中公文庫
興味深いと思っていました。なるべく早いうちに読みたいです。いつになるやら~。
http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&tab=ww#hl=ja&sclient=psy-ab&q=%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A3%BA%E3%80%80%E5%B0%8F%E4%BE%BF&oq=%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A3%BA%E3%80%80%E5%B0%8F%E4%BE%BF&aq=f&aqi=&aql=&gs_l=serp.12...5473l7598l0l10472l10l10l0l0l0l0l435l1779l0j8j0j1j1l10l0.llsin.&pbx=1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.,cf.osb&fp=c250c254f3c16eea&biw=1128&bih=617
確かに。ちょうど今ごろ、黄砂のひどい日に琵琶湖博物館行ったの思い出しました。
作品、拝見しました。黒幕団若頭@フォトグラファーにも見せてみます。
陰影礼賛。やはり白と黒が色彩表現の基本で、光と闇の交合から無限の色彩が生まれるんだと若い人にはよくいいます。
>ルソン壺
考古学少年の頃、参加した発掘作業で、白磁が見えてきたことがあったんですよ。
「おい、須恵器の時代の地層なのに、世紀の大発見だぞ!」
と、スコップから竹篦に切り替え。わくわくどきどき。なんか文字らしきものも見えてきた!
「TOTO」
宅地造成のプロセスで、なんか埋葬物がシャッフルされてしまったようで……。黒幕、13才の夏。
呂宋(ルス)の一種でしょうかねえ。「芸術新潮」(四月号)で「ルスと呼ばれた瀬戸物」と題して特集されていました。気にいったのは「ルス貼付雲龍文水盤」。花入にもいいけど洗面器にもいいと思いました。七十年代頃までは瀬戸物の洗面器ありで風邪引いた時なんかはゲロ吐いてました。記事中、古美術評論家の青柳恵介が示唆的なことを書いてますね。「ルスを愛好する趣味は紫檀の机を大事にする性向と重なっている」。鋭い指摘。もし仮に小便器等として用いられていたとすると「匂い」という点で一致しませんか。フロイト的に言えば最も尊いものと最も下賤なものとが「畏れ/敬う」という両極の意味を込めて一つのモノで現わされるということなのでしょうか。しかし想像してみるとおかしいですよね。きれいなお着物を召したお嬢様お母様方がですね、そういうモノをさも有り難がって神妙この上ない目つきで舐め回すようにじろじろ「拝見」されている図。「柳宗悦・茶道論集」から引用部分をブログに上げておきます。もしよかったら、見に来て下さい。
http://anou.mo-blog.jp/
>黒幕団若頭@フォトグラファーにも見せてみます
どんなふうに見えてるのかなあ。自分ではわからないですから。デジカメは「人物」に設定してあるだけで、光度とかは何もいじっていません。買ったときのまんまです。
>白磁
今日はオチがありました。わらわら~。
わざわざありがとうございます。
コピペさせてもらい、またゆっくり読みます。
若は今週多忙ですれ違いぽいですが、時間あるとき、ゆっくり。
しかし、くやしいなあ。太陽待ちも許してもらえず、「レタッチでなんとかしろ」といわれ、不本意に終わった仕事があるですよ。あの暗雲のまま勝負に出たかったなあ。
いやあ、うれしいなあ、です。
>高橋昌明『湖の国の中世史』中公文庫
手に入れました。信楽焼「うずくまる」が骨壺起源だという説は、信楽在住の陶芸家から確かにうかがったことがあります。