新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

いかに人民大衆の怒りを組織化していくか なにわ友あれ〈5〉

2011年11月25日 | 大阪
 独裁か民主種主義か。

 という感じの共産党のビラがポストに入っていた。

 みんながみんな、「民主主義!」と答えると思っているんだろうか。プロレタリア独裁万歳!

 「プロレタリア執権」なんて珍妙な訳語作った共産党は、「独裁」でなくて「執権」と批判しないとだめだよね。自分たちは「執権」で、相手は「独裁」だというのは、ダブルスタンダードではないのか。

 問題は、大阪の橋下・維新の会支持者も、「独裁、どこが悪い!」「アホの公務員死ね!」と考えているということなんだよね。

 現実には、大阪市議会も府議会も、今のところ存在はしており(機能しているかは別)、複数政党制なので、厳密には「独裁」というのは当たらない。

 しかし橋下を「ハシズム」と批判する人たちは、ヒトラーやムッソリーニばかりでなく、スターリニズムの歴史も振り返らねばなるまい。旧ソ連や中国・北朝鮮で共産党独裁が正当化されてきた根拠も、プロレタリア独裁=民意なのだから。

 カール・シュミットは、こうした独裁のあり方を「主権的独裁」とよんだ。現行の憲法や法律より、将来実現されるべき社会や秩序が優先されるという考え方だね。この点は橋下・維新の会陣営も同じだ。

 私の関心は、大阪人の大阪人による大阪人のための政治を、どう実現していくか、ということに尽きる。

 超左翼おじさんや内田樹センセのブログは、平松さんには有力な援護射撃だ。


 ☆独裁と民主(中) 超左翼おじさん
 http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-1000.html

 ☆平松さんの支援集会で話したこと 内田センセ
http://blog.tatsuru.com/2011/11/24_2042.php

 大変参考になるので、平松さんを支持する人たちには、ぜひ読んでほしいと思う。

 教育条例問題にある、公権力による教育の介入なんて、やはり認められないことだ。知事や市長、行政のトップが交代するたびに、教育方針が変わったら、教育現場は大混乱する。それがどれだけ子どもに悪影響をおよぼすだろう? 教育は教育者による自治が守られる必要がある。学問の自由は民主主義の前提なのだ。

 しかし教育問題だけを重点的に取りあげるのは、ミスリードの可能性もあることにも注意が必要だ。

 なぜなら、教育問題なんか、焦点になっていないからだ。それより大事なのは、雇用や景気対策だ。

 「教育格差」の本質は、所得格差問題でもある。階層の固定化が着実に進んでいるなかで、このいらだち、閉塞感をどう受け止めるのか。

 「公務員と年金世代がいい思いをして、現役世代がワリを食っている」という府民・市民の不満の矛先が、学校の先生方にも向かっている。橋下・維新陣営は、そうした不満の声を結集することに成功してきた。この根っこにある問題に向き合い、きちんと応え、正しく導いていくのが左派運動の役割だろう。 



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