(登場人物)
綾野梨花
中学3年生。五十鈴れんの親友。ミーハーな趣向とはウラハラに、恋には一途で、秘めたる切ない想いに長年悩み続けている。裏表のない性格で、誰とでもすぐに打ち解けられるタイプ。れんの影響で太宰に激ハマりしたのに続いて、今度は山田風太郎にハマり、能にも興味を持ったたらしい。
五十鈴れん
小さい頃から内気で、人と話すことが苦手な中学3年生。自殺を考えるほどいじめに苦しんでいたときに梨花に出会い、この世界で生きていくことを決意する。文章を書くことと絵を描くことが大好き。いまはエッセイストになる夢に向けて、梨花たちの商店街のボランティアに参加したり、父の農業事業のお手伝いをしたり、古典芸能を鑑賞したり、視野を広げ経験値アップのために研鑽する日々。
五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する会社員。れんがいじめに苦しんでいたときに、商店街のコネを使って顔見知りの梨花に会わせるように仕向けた。『源氏物語』の超訳を手掛けたことがあり、田辺聖子や橋本治のパートナーだった岡田嘉夫画伯に激賞され、古典芸能の世界と縁ができたらしい。
(1)午後のひととき 能鑑賞会のあとで
梨花 やったー! ケーキだ! 三千院に行ったときみたいに、今日はお抹茶に羊羹かと思っていたよ! 羊羹もよかったけれど、私はやっぱりケーキかな?
れん 解説します…今日は親友の梨花ちゃんとぉ父さんと一緒に、大神神社にぉ能の鑑賞会にやってきました…はぃ。
お父さん しかし梨花ちゃんが太宰ファンだったのも驚いたけれど、能に興味があるなんて、また意外な一面を発見したなあ。
梨花 ふふ。惚れ直しちゃいました? 宝塚ファンの従姉のお姉さんに誘われて、『柳生忍法帖』観に行ったんだっ! めちゃくそ面白かったよ! れんちゃんに話したら、パパさんが原作者の大ファンだって教えてくれて、原作借りて、ついでに柳生十兵衛三部作読破しちゃったよ! 舞台でも女の人にひどいことしていたけれど、原作はもっとエグいんだね! でも、あのラストは感動したよ! 『魔界転生』を読んで男の人もかわいそうだなあと思ったけれど、『柳生十兵衛死す』は最高!
お父さん 私も同感だ。それで能に興味を持ったんだね。
梨花 そそそ! 柳生十兵衛は強いのだ! れんちゃんにお能の会があるって聞いて、飛び込みでお邪魔しちゃったっ!
お父さん 全然お邪魔じゃないって。今日だって、私でさえ若い方から数えて何人目かって思わない? きみたちのような若い人に来てもらえて、主催の方々も嬉しいと思うよ。古典芸能を未来に受け継いでいくことができる。
れん ぅん…! ぁ、ぉ父さん、ケーキぃらなぃよね…? 梨花ちゃん、ぉ父さんの抹茶ロールキーキ、食べる?
梨花 えっ、パパさん、ケーキいらないの? じゃ、れんちゃん、はんぶんこしよっ!
でも、パパさん、疲れてね? 能を見ながらうつらうつらしていたじゃん? お仕事に労組に農業にソシャゲのデイリーミッションに、休みなしで疲れているんだろうなーと思ったよ。でも、途中でポケットから取り出した白い粉飲んで、それ以降はシャンとしていたよね。あれ、ヤバめの粉?
お父さん バレたか! おまわりさんにはいっちゃだめだぞ。
れん もぅ、ぉ父さん、また悪ふざけして…むぅ。
梨花ちゃん、ぁれはブドウ糖…だよ? ぉ父さんは糖尿病だから、低血糖になると、急に眠くなったり、冷や汗をかぃたりしてしまぅ…んだ。だから発作が起きる前に、ふだん持ち歩ぃてぃるブドウ糖を補給するの…。
梨花 だからケーキ食べないんだねっ! お酒は飲むのに! でも、変なクスリじゃなくて、よかった! 『柳生十兵衛死す』みたいに、能を観ているうちに室町時代にトリップされても困るし!
でもさ、私も最後の天女の舞で眠っちゃうかと思った!
天女はずーっと舞っていて、音楽も終わったかと思ったらまた始まるし、いつ終わるんだろうって思っちゃったよ。早くれんちゃんとお茶したかったよー。
れん ぇーっ? 私は天女さんの舞をぃつまでも観てぃたかった…よ。ぉ茶も楽しみだったけれど…。
お父さん 同じ舞を観て、対照的な感想を持つふたりが親友同士というのがおもしろいね。
しかし梨花ちゃんが天女の舞が長過ぎると思ったのなら、成功なんじゃないかな。
たしか『羽衣』の地謡のテクストを紹介しているサイトがあったな……。えーっと、スマホ、スマホ……。
れん これ…かな? 最初は「春の景色松原の、波立ち続く朝霞」と朝だったのが、「落日のくれなゐは蘇命路乃山(そめいじのやま…富士山のことです…はぃ)を映して」と夕方になってぃます…はぃ。
お父さん お、さすがだね。そうそう、あの天女の舞は一日がかりなんだ。
梨花 えーっ! マジですか? でも、わたし、YouTube世代だしっ! 90秒以上集中力が続かないんだ!
お父さん ハッ! それは古典芸能者のみなさんには厳しいご注文だね!
『風姿花伝』の世阿弥は、物事を極め尽くしたシテは、初春の梅から秋の菊が咲き果てるまで、一年分の花の種を持っておけといっているね。あの天女を演じた先生も、一年分のネタを披露してくれたんだと思うよ。
しかし、あれこそまさに『金島書』(きんとうしょ)の世界だったなあ…。『羽衣』の作者が世阿弥とされてきた理由が、腑に落ちたよ。
れん きん…とう…しょ?
お父さん うん。金の島の書と書いて『金島書』。金の島って、お父さんの生まれた新潟の佐渡島のことだね。佐渡島に配流された世阿弥が残した謡曲集だ。
おっと、ごめんね。お世話になっている先生だ。ちょっとご挨拶してくるね。
X先生! ご無沙汰してまーす! どもどもども!
梨花 あっ、パパさん行っちゃった…。忙しいなあ。抹茶ロールケーキおいし! あ、れんちゃん、私のフルーツゼリーケーキ食べる?
れん じゃ、私のチョコケーキも分けて…ぁげるね?
(2)狂言「千鳥」の政治経済学です…はぃ
梨花 あのさ、れんちゃん、質問してもいい?
最初の狂言でさ、あのお兄さん、お金持っていなさそうじゃん? でも、なんでお酒持って帰ろうとするわけ? 最後は酒樽をかっさらって行っちゃったよ! 泥棒じゃん!
れん 「千鳥」だね…。ぉ兄さんの名前は太郎冠者さんです…はぃ。ツケ払ぃ…と、ぃうのでしょうか…? 「ぉ酒がほしぃならたまった酒代を支払ってからにしてくださぃ」と酒屋さんはぃってたんだ…よ。
梨花 そうか! れんちゃんすごい! むかしの人のことばがわかるんだ! さすがだね!
れん ぅうん、わからない…よ。スマホで見つけたこのサイトに、ぁらすじが書いてぁるんだ…。
太郎冠者さんは、ご主人に「今晩ぉ客が来るからぉ酒を買って来るように」とぃわれるんだけれど、最初ぃやそうにしてぃたの、覚ぇて…る? 酒屋さんにぉ酒代を払ってぃなかったから…なんだ。それにご主人はぃつも自分にはぉ酒を飲ませてくれません…はぃ。ご主人は「だったらぉまぇにも飲ませてやろぅ」とぃって、太郎冠者さんをなだめて、酒屋さんに行かせる…の。
予想どおり、酒屋さんには「ぉ酒がほしぃなら今までの代金を清算しなさぃ」と言われてしまいました…はぃ。でも、太郎さんはぉ酒を買って帰らないと怒られてしまぃます…はぃ。だからあの手この手で酒樽を持ち帰ろうとするんだ…。
梨花 社畜の鑑だね!
れん 社畜…そぅともぃえるかもしれません…はぃ。だから尾張の津島祭(つしままつり)の話を始めたんだ…。ぁの酒屋さんは、話を聞くのが大好き…だから。「尾張の国に行く途中の伊勢の国で、千鳥を捕っていたのが面白かったので、その様子を見せます」とぃって、酒樽を千鳥に見立てて捕る真似をして、持ち去ろぅとするんだ…よ?
梨花 そこのところは私にもわかった! でも、酒屋さんに酒樽を取り返されちゃうんだよね。今度はお祭の山鉾だっけ?
れん ぅん! 今度は山鉾に見立てた酒樽を引く真似をしながら、持ち去ろうとしたけれど、これも失敗です…はぃ。太郎さんは、「流鏑馬を再現してみせますよ」とぃって、竹の杖にまたがって、ぉ馬に乗る真似をしながら走り回って、隙を見て酒樽をそのまま持ち去って逃げてしまう…の。酒屋さんが追ぃかけて、ぉしまぃです…はぃ。
梨花 タロー、お金もないくせにお酒を持ち去るなんて、犯罪じゃん! 第一、お金がないのにお酒を飲みたがるなんて、身の程知らずにも程がありすぎるよ!
お父さん ただいまー。いまの梨花ちゃんのことばは、身につまされるなあ。
梨花 おかえりなさーい。パパさん、飲みすぎ注意だよ!
お父さん はーい。なるほど、大神神社はお酒の神様だから、『千鳥』が演目に選ばれたのかもね。
でも、太郎冠者を弁護しておくと、昔は掛け売りといって、代金はまとめて後払いが基本だったんだよ。落語にも大晦日にツケや借金の取り立てに頭を悩ませる話がよく出てくる。
いまだってビジネスの世界では掛売り、後払いが基本だね。月末締めの翌月末払いで、大きな金額になれば30日、60日、90日サイトの手形でのお支払いになる。
梨花 大人はいいなあ。私もコスメやアクセ、後払いにしてほしい! お年玉払いでお願いしまーす!
お父さん 中学生はまだクレジットカードは持てないけれど、ドコモの端末なら「d払い」でケータイ料金と一緒に支払いができるよ。これも後払い、すなわち掛売りだね。ただ、親としては心配かな?
いいことばかりじゃないよ。代金は翌々月払い、しかも120日サイトの手形というお客さんがいてね。キャッシュになるのは仕事を納めて半年後だ。しかもその会社の専務は、手形を受け取りに行く段になって、「消費税分まけろ」とゴネだす因業ババアでねえ。太郎冠者と酒屋のようななだめたりすかしたり、騙したり騙されたりは、ビジネスをやっていたら日常だよ。
『千鳥』で感心したのは、このお話ができたころには、大衆芸能の素材になるほど、掛売り、クレジット取引が一般化していたらしいことだね。日本資本主義発達史という視点から、『千鳥』を考察するのもおもしろい。
ただし、この作品は中世の庶民の生活を描いた作品というけれど、話の原型は古くからあったにせよ、ストーリーがいまの形になったのは近世に入ってから、16世紀後半から17世紀初頭、織豊期から江戸初期にかけてじゃないかな。信長の時代にはまだ早いか。早くとも秀吉の時代だろうけれど、家康の時代になってからだと思うよ。
梨花 でも、信長以前に出来たお話とも、考えられるわけでしょ?
お父さん うん。そういうことになっているね。しかし、津島祭りが日本三大水祭りになるほど栄えるのも、織田氏の隆盛とパラレルだった。信長の時代以前に、津島祭りが猿楽の素材になるほど、メジャーな存在だったとは思えない。
それに、以前、仕事で東海道の歴史について調べたことがあってね。秀吉の時代はとにかく、信長の時代に、伊勢路ルートで津島祭りに見物に行くというストーリーは、ちょっと考えにくいんだ。
おっと、老舗料亭の大女将だ。ごめん、ご挨拶してくるね。
梨花 あー、また行っちゃった。パパさんって自由人ぽいけれど、ちゃんと会社員もやっているんだね!
ねーねー、日本三大水祭りということは、津島祭りっていまもあるんだ?
れん ぅん、ぁる…よ! 津島天王祭は600年近い歴史がぁります…はぃ。津島祭りを見物に来た信長さんが、天女の格好で風流踊りを踊ったというぉ話も伝わってぃるんだ…。
梨花 すごい! 天女のコスプレなんて、信長っちは私のにらんだとおり、やっぱり受けだった! 御園っちにも教えてあげよっと。日本三大川祭りってことは、残り2つもあるんでしょ?
れん 大阪天満宮の天神祭と、厳島神社の管絃祭だった…かな? ぁのね、戦国時代はゲイセクシャルも当たり前だったけれど、信長さんもそうだったと確証する一次資料は見つかってぃないって、ぉ父さんがぉ世話になってぃる歴史学者の先生が書いてぃました…はぃ。森蘭丸さんも、美少年のよぅにぃわれますが、剛毅な武闘派タイプだったのではなぃかとぃぅことです…はぃ。
梨花 ざーんねん! でもBLはファンタジーだから史実と違ってもいいよね!
ところで、信長っちの時代には早すぎて、せめて秀吉か、家康の時代って、あれ、どういう意味だろう? れんちゃん、わかる?
れん ぅうん、わからない…。たしかにぉ父さん、ぉ仕事で東海道五十三次の連載をしていて、尾張津島天王祭のことも書いてぃたんだけれど…信長さんが天女の格好をして踊った話もそのとき聞ぃた…の。
なんでぉ父さんがぁんなことぃったのか、ぃま調べてぃるんだけど…ぇっ?
梨花 何か見つかった?
れん 『天正狂言本』というご本に、「浜千鳥」という曲が収録されてぃるんだって…! 天正は信長さんや秀吉さんの時代だったはずです…はぃ。
梨花 なーんだ。信長っちの時代にも、もう本になってるじゃん。
れん 『天正狂言本』は法政大学能楽研究所の能楽資料デジタルアーカイブに載ってぃます…飯倉洋一先生のくずし字学習アプリ「KuLA」を使いこなして、早く自分でも読めるよぅになりたいです…はぃ。
でも、このご本を紹介してくださったサイトによると、当時の「浜千鳥」は今日みたぉ話とは違ぃます…はぃ! 冠者さんがぉじさんのところにぉ酒を取りに行かされるとぃぅぉ話で、須磨明石の浦の浜千鳥が友呼ぶのが面白いと、浜千鳥の友呼ぶ声はちりちりやちりちりと囃し、隙をみて酒を持ち逃げしてぉしまぃ…です! 津島祭のぉ話は後になって付け加えられたものなんだそぅです…はぃ!
梨花 すげぇ。パパさんのいってたとおりじゃん! タローは伊勢路も通ってなかったし、津島祭も見ていなかった!
お父さん ただいま。津島祭の話をしていたの?
れん ぅん! ぁのね、ぉ父さんのぃうとおりだった…んだ。『天正狂言本』というご本では、「浜千鳥」とぃぅ題名でしたが、舞台は伊勢路ではなく須磨明石でした…はぃ。ぉ父さん、このご本、知ってた?
お父さん ううん。いま初めて知った。でも、なるほどね、たしかに海といえば、みやこ人には須磨明石だったろう。
れん このご本を知らないのに、どぅしてぉ父さんは、むかしとぃまでストーリーがちがぅとわかった…の?
お父さん そんなのわからない。そう思ったというだけだよ。
猿楽、いまの能や狂言は、ときの権力者と結びつくことで発展してきた。津島祭の話が出てくるあたりに、尾張出身、東海出身の権力者の影を感じたんだ。今風にいえば忖度したわけだ。
信長は幸若舞を好んだそうだから、やはり秀吉かな? 秀吉は大和四座以外の申楽には興味を示さなかったから、この時期に多くの申楽の座が消滅していったという。現在の能楽師、狂言師は、秀吉に忖度して生き延びた人たちの末裔だ。
秀吉のような権力者への忖度以外に、みやこ人には片田舎の尾張のお祭りが出てくる理由が思い当たらなかったんだね。いまだって、関西に暮らして4半世紀以上になるけれど、周囲の人が名古屋のことを話題にしたのは2005年の愛知万博のときだけだった。
れん ぇっ? 私は名古屋に連れて行ってもらった…よ? ひつまぶし、ぉいしかった…はぃ! 犬山城も明治村もモンキーセンターもリトルパークも航空宇宙博物館も世界淡水魚水族園も長良川の鵜飼も楽しかった!
お父さん 全部名古屋市外じゃないか。私は名古屋で育ったから、自分の娘にも自分が小さなころに行って楽しかった場所を見せてあげたいと思ったんだ。しかし普通は、親戚があるとか、仕事の用事でもない限り、大阪や京都や神戸の人が名古屋に行くこともないだろうなあ。
れん そぅなんだ…。残念です…でも、名古屋市内もよかったよ!名古屋城も徳川美術館もボストン美術館も名古屋港水族館もぃいところでした…はぃ!
ぁのね、このご本『天正狂言本』が出たのは、天正六年…1578年です。信長さんはまだ生きてぃる…よね? でも、ぉ父さんのぃったとおり、この当時のぉ話は、ストーリーもシンプルで、千鳥を見たのも須磨明石で、津島祭りの話も出てきませんでした…はぃ。
ぉ父さんは、そのことが予測できたから、秀吉さんか家康さんの時代だってぃったんだ…よね? どうしてそぅ考ぇたの?
お父さん そのことか。太郎冠者は伊勢路をとおって尾張まで行っているね。しかし中世には、尾張に出るには中山道の脇街道、支道である美濃路がメインルートだったんだよ。15世紀には争乱が相次いで、伊勢路は安全なコースではなくなっていたんだ。
信長も、最初は清須、小牧、岐阜と居城を移し、美濃路ルートで上洛したけれど、美濃を支配下に置いた1567年に伊勢に侵攻している。これは六角氏がいて、上洛するにも近江を通るのがむずかしくなって、伊勢経由で上洛するルートを確保することが必要になったからのようだね。上洛のルートに伊勢路も選択肢に加わるのは、これ以降らしい。
しかし2万人を虐殺した伊勢長島一向一揆の殲滅戦、伊賀の住民半数を虐殺したといわれる天正伊賀の乱、伊勢路の攻略は酸鼻を極めた。信長の時代には、伊勢路は、現代でいえば、パレスチナやシリアやミャンマーのような内戦と動乱の地だったんだよ。
結局、江戸時代以前、中世の時代には美濃路が東西を結ぶメインルートだったということだ。家康と三成は関ヶ原で対決したし、秀吉の小田原攻めと東北仕置でも、豊臣軍は美濃路を通っている。秀吉の時代には伊勢路も使われるようになっていたようだけれど、大量の人員と物資を送るなら、美濃路のほうが便利だった。ふだんから人の往来も多くて、街道として整備されていたんだろうね。
れん そうだったんだ…。
お父さん しかし名古屋と京都だと、伊勢路を使ったほうが美濃路より距離的に近いんだよ。熱田から桑名までは船便だから、時間短縮にもなった。この伊勢路を重視したのが家康だね。家康は関東に移封されたあと、秀吉に願い出て関東の240万石以外に東海道の各所に11万石を拝領しているんだね。上洛の際は自分の所領に泊まりながら向かった。このルートが伊勢路廻りだった。家康が上洛に使ったこのルートが近世東海道の原型だといわれているよ。
庶民が祭り見物のために、伊勢路を通って旅ができるようになったのは、桃山時代以降、東海・畿内の平和が確立してからだと思うなあ。やはり秀吉か家康、徳川三代の時代ということになるだろう。
梨花 まさか、狂言の話から、歴史の話になるとは思わなかったよ! パパさん、尊敬する。
お父さん 仕事で東海道の歴史を勉強したのがたまたま役に立っただけだよ。(*1 )
あ、そろそろお開きだそうだ。おみやげは持った? じゃあ、帰ろうか。
(3)『羽衣』と『金島書』 世阿弥さんの高貴な精神
梨花 電車がすぐ来てよかったー!
れん 「京終」…きょうばて、って読むんだ…ね。初めて知りました。平城京の果て、奈良の都はここまでです、という意味…なのでしょうか…?
お父さん 正解。京終は今も奈良の玄関口といわれたりするね。
梨花 疲れ切っちゃうことを「バテる」っていうけど、あれも語源は同じ? 「なんと立派な平城京」の時代からあった言葉だったんだね!
お父さん そういわれたら、そのとおりだね。いま気づいたけれど、710年を「なんと」と語呂を合わせるのは、奈良が「南都」と呼ばれたことも引っ掛けているのか。
梨花 『千鳥』は、役者さんの動きで私にもなんとなくストーリーはわかったんだ。でも、『羽衣』は、ピンとこなかった。
あの漁師さん、天女の羽衣を取り上げて隠したうえに、子どもまで産ませた鬼畜なんでしょ? やっていることは外国人女性のパスポートを取り上げて風俗の仕事に従事させるヤクザと一緒じゃん。そんなケダモノのために、どうして天女は一日中舞ってあげたりするわけ?
お父さん ハハッ! たしかに! あの漁師の名前は「白龍」だ。
梨花 えっ、なんでツボってるの? 「白龍」がどったの?
れん ぉ父さんがときどき読んでるピカレスクロマンの『白竜』の主人公、黒須組若頭・白川竜也さんのぁだ名です…はぃ。
ぁのね、ぉ能の『羽衣』の白龍さんは天女の羽衣を見つけて最初は持ち帰って家宝にするつもだったけれど、羽衣を取り上げられて悲しむ天女さんがかわいそうになって、舞を見せてもらう条件ですぐに返してぁげるんだ…よ?
梨花 えっ? いいやつじゃん!
れん そぅなの…! ぉ能の白龍さんはぃい人です…はぃ。黒須組の白竜さんも、小さな人にはやさしいんだけれど…ね? 悪ぃ人から巻き上げたぉ金を虐待を受ける男の子にプレゼントしたり、夢の楽園のテーマパークや理想の保育園を作ったりする…の!
お父さん なんでれんちゃんが『白竜』なんか読んでいるんだ。お母さんにまた「娘になんてものを読ませてんのよ」と怒られてしまう。
世界中に羽衣伝説は伝わっている。多くのケースでは、男が羽衣を隠して、天女を自分の妻にして夫婦になり、最後は天女が羽衣を取り返して天に戻っていくというのがお約束のようだね。丹後に伝わる羽衣伝説では、『竹取物語』と同じように、天女がその家の子になるというパターンもある。しかし能の『羽衣』はそのいずれでもない。
猿楽、いまの能や狂言は神事や仏事と合わせて催されるものだった。だから、沐浴する天女をみて、男が欲情してしまって、羽衣を隠して自分の思いを遂げてしまう、そういうストーリーは場にふさわしくなかったということかな。
れん ぉ父さん、世阿弥さんの『金島書』を思ぃ出した…ってぃってぃた…よね? どんなぉ話なの?
お父さん ちくま学芸文庫から出た『風姿花伝』に収録されていたんだよ。理由はわからないけれど、世阿弥は佐渡島に流刑になった。若狭の小浜に始まって、佐渡にたどり着くまでのその道行き、佐渡での暮らしを謡曲に仕立てたものだね。
梨花 佐渡に流されたのって、やっぱり、足利義満の命令に背いて、南北朝を舞台に尊氏っちが後醍醐っちの怨霊を退治するお話を書かなかったから?
お父さん さあ、どうだろう。『柳生十兵衛死す』ではそのことで世阿弥は義満に遠ざけられるけれど、世阿弥が佐渡に流されたころには義満はとっくに亡くなっている。世阿弥は源氏物語の「須磨」を念頭に、「罪なくして配処(配所)の月を見ることは、古人の願望だけれど、実際その身になってみると、そんな心が自分にあっただろうか」といっているから、自分にも身の覚えがなかったのだろう。
れんちゃん、日本海ルートで新潟に行ったときのこと、覚えている?
れん ぅん…! 白山を見たときは、感動してしまぃました…はぃ! ゴールデンゥィークのぉ休みだった…よね? でも白山は、名前のとぉり、雪が積もっていて白ぃの!
お父さん 世阿弥も白山をみて、同じことを謡っているよ。もう五月雨の季節なのに、西の空には夏もなく、彼方に見える白山には雪が残っているって。時間だけなら飛行機で行くのがいちばんだし、東京廻りのほうが早く着くんだけれど、あの景色をれんちゃんに見せたかったんだ。
熊野権現をまつる南山のある淡路島とともに、佐渡島もイザナギ・イザナミの神代から海の四方を守護する黄金の島といわれてきたそうだ。この島に隠遁者として、生きとし生けるものがお互い傷つけあうことなく、神仏にしたがい、心静かに暮らす覚悟を語って、『金島書』は終わる。
『羽衣』の天女は、天上界に負けない地上界の美しさを讃えて天に去っていくけれど、『金島書』で、日の本のすばらしさを称える世阿弥が、この天女に重なるような気がしたよ。自分を追放した国なのにね。小浜にたどり着いて、海や松原の美しさを讃えるところは、『羽衣』の天女そのままだ。この高貴な精神のたたずまいが、実証的にはなんの根拠もないけれど、『羽衣』の作者を世阿弥と思わせた理由かもしれないなあと思ったよ。佐渡に配流された歌人の京極為兼や、順徳院の配所の跡を訪ねるくだりも、都を追われたものへの共感と哀惜に満ちていて、私は好きだな。
うん。この天女のたたずまいは、上方の古典芸能・文化の振興に忘己利他で一生涯を捧げた大和屋の女将さんの高い志と清らかな生き方を思わせるね。
れん ぅん…! 大和屋の女将さん、憧れの女性です…はぃ!
順徳さん、佐渡で亡くなって、大原御陵(おおはらのみささぎ)にぉ父さんの後鳥羽さんと一緒に祀られてぃる…ね。あの立派な御陵ができる前は、実光院の境内にぉ墓がぁって、ぉふたりの遺骨を安置したのは、後鳥羽さんの第10皇子で順徳さんの弟さんの梶井宮門跡尊快法親王でした…はぃ。
お父さん 梶井宮門跡といえば、いまでいう三千院門跡だね。それで大原に御陵があったのか。れんちゃん、よく知っていたね?
れん Sのぉばぁちゃんに聞きました…はぃ。大原から鯖街道をまっすぐ北に行くと、小浜に着くんだよ…ね? 世阿弥さんも、ぁの九十九折の険しい道を通って行ったのか…な? きょうの話を聞いて、私もぃつか佐渡島に行ってみたい…な!
梨花 私もー! 太宰っちも佐渡に行ってたよね? 佐渡は島じゃなくって大陸なんだ!
お父さん また宿題ができた。早くcovid-19が収束して、自由に出かけられるようになったらいいね!
(*1 )このぉ話は石神教親先生の「中世東海道から近世東海道へ」(十六世紀史論叢第8号、十六世紀史研究学会)参照させてぃただきました…ぁりがとうございます…はぃ!
[2023年1月23日の追記]
このぉ能と狂言の会を主催した上方文化芸能協会さんは、2023年3月末日をもって解散されます……はぃ。プロデューサーの大和屋女将・阪口純久(きく)さん、元阪大総長の岸本忠三先生、阪大・大手前大学名誉教授の柏木隆雄先生、Mさんはじめスタッフのみなさま、長い間ぁりがとうございました…! このたび大阪市民表彰を受けた柏木先生が上方文化芸能協会の機関誌『やそしま』に寄せたエッセイを、こちらでご紹介してぃます…ぜひご覧ください…はぃ!
観光の原点としての伊勢参宮についての経済的・統計的考察
https://sjc.or.jp/topics/wp-content/uploads/2017/06/vol102_4-2.pdf
れんちゃん、この論文を読むと、庶民が気軽に旅行できるようになったのは、さらに時代が下り、宿場制度も整備され、気軽に持ち運べる貨幣が大量に鋳造され、為替制度も発達した元禄年間ということになるらしいよ。