カリフォル二アのロサンゼルスから、生活情報とフライフィッシング

こちらに住んで33年、ロサンゼルスの今と、趣味のフライフィッシングを中心に街角で見かけた話題を!

日本からの訪問者

2005年09月14日 | その他
前回の”カリフォル二ア州マンザナ日系人強制収容所”のブログを書いて、その内容の重たさに次のアップになかなか苦労しているところです。

私は、反戦派ではありませんから戦争の悲劇を伝えたつもりでは無く、実際にはアメリカに住んでいると、戦争も自己防衛の選択肢に含まれると思っています。
ニュースでも、アルカイダの攻撃予告でロサンゼルスの名前が挙がっていて、国際緊張は私にとっても身近な問題となっています。

そんなところへ日本から姉夫婦が、アメリカ留学中の娘に会いに、東京からやってきました。

ロサンゼルスも先週あたりから急に気温が下がり、日中でも日差しは強いですが気温は24~5度にしかなりません。
朝夕は海岸に出かけると、とても肌寒く、東京から来ていた姉夫婦はビックリしていました。

その姪も留学して、自分の志を実のらせるため頑張っていますが、戦前の日系移民の人たちも思いは、現代の若者となんら変わらなかったのではないかと思えてきています。

一般的な日本人の人が戦前のアメリカへの移民に対する印象は、「生まれた国を捨て、船で40日以上も掛けて外国に出稼ぎに行かなければならない貧しい人達」に感じられるのではと思います。
今アメリカには何万人という留学生が飛行機で手軽(?)に来れます。
そしてその多くの留学生が、大学などを卒業後、アメリカに残ることを希望するのですが、アメリカの労働許可を得るには高いハードルを越えたほんの一握りの人しか手に出来ません。
残りの人たちは涙をを飲んで日本に帰っていきます。

それに比べ戦前の人たちは、その当時の日本でのことを考えれば、比較的簡単にアメリカで仕事を得る事が出来たようですし、頑張れば誰でもそれなりの所得を得られたようです。

果たして、どちらの時代がアメリカに移民する日本人にとって容易だったのでしょう。

こんな話を聞きました、移民局に不法滞在で捕まった日本人が係官の調べに『私はアメリカが大好きです、必ず頑張ってアメリカ市民になります』と言ってアメリカ国家を大声で歌ったら、無罪放免になったそうですが、そんなおおらかな時代もあったのです。

私の渡米の動機は、旦那様のサポートとして来ましたので、旦那さまや姪のような強い志の意志はありませんでしたが、結果的にはアメリカで20年近くの歳月がたってしまいました。

姪も出来たらアメリカで仕事をしたい希望を持っているようですが、彼女の両親は今回の渡米で何を感じたのでしょうか、

よくやっていると安心したのか、はたまた大きな不安を抱いたのでしょうか。

どんな時代にも若い人には志を持って高い目標にぶつかって行って欲しいと思っています。

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