1月16日は、キング牧師の栄誉を称え、生誕をお祝いする祝日です。実際の誕生日は1月15日ですが、今は彼の誕生日に近い1月第3週の月曜日になっています。
この日は各地でアフリカ系アメリカ人を中心としたパレードやフェスティバルが華やかに行われます。
彼は公民権運動の指導者でプロテスタントの牧師でしたが、人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動によって1964年にはノーベル平和賞を受賞しています。
そしてその後1968年4月4日テネシー州メンフィスのモーテルのテラスでで暗殺されました。
アフリカ系アメリカ人公民権運動とは:
1860年代の南北戦争によって黒人奴隷 の「解放」が実現したにもかかわらず20世紀初頭でも、アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法 (Jim Crow laws - 通称)と呼ばれる人種分離法が施行され、日常生活のあらゆるところで、黒人と白人は隔離されていて、バス・レストランなどの公共の場所でも人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていました。
1955年12月アラバマ州モンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗議して、1年にわたるバス・ボイコット運動を展開し、最高裁判所がバス車内における人種分離を違憲とする判決を勝ち取ります。その後各地で黒人の反差別運動が盛んになっていきました。
合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれているのです。
ローザ・パークス逮捕事件:
1955年12月アラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどでローザ・パークスさんが逮捕された事件です。
当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で、利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したり、どこへ行くにも歩いたりしたため、バス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃をこうむったのです。
ローザ・パークス側は市条例違反の判決に対し、バス車内の人種分離の条例が違憲であるとして控訴、1956年に連邦最高裁判所は違憲判決を出し、公共交通機関における人種差別が禁止されました。
その後ローザ・パークスさんは人権擁護運動に身を置き、公民権運動の母 ("Mother of the Modern Day Civil Rights Movement") と呼ばれ、最近の2005年10月24日に亡くなっています。
マーティン・ルーサー・キングとジョン・F・ケネディー:
当時のジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には穏健で、南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々に成立させて行きます。
実は大統領選キャンペーンも最後の追い込みに入った頃、公民権運動家のキング牧師がアトランタで逮捕されるという事件が起こったとき、ニクソンはノー・コメントの姿勢を貫き通したが、ケネディーはキング釈放のために精力的に動きました。
キング牧師のの父親の言葉によれば「私の妻が息子の逮捕に涙を流している時、ケネディーは、その涙を拭ってくれた。このような時にこうした行動をとる事は勇気のいる事だからだ」と言い、この一件でキング牧師のの父親はニクソン支持をひるがえしケネディ支持を表明する事になります。
これにより多くのアフリカ系アメリカ人がケネディー支持に変わり、第35代大統領ジョン・F・ケネディーが実現したとも言われているのです。
1963年11月22日にはジョン・F・ケネディー、そしてマーティン・ルーサー・キングは1968年4月4日に暗殺されています。
奇しくもこの二人の演説は、20世紀のアメリカを代表する名演説として今でも有名です
1963年25万人を集めたワシントン大行進の時マーティン・ルーサー・キングの演説 “I Have a Dream”(私には夢がある)は、人種差別の撤廃と各人種の協和という理想を簡潔な文体と分かりやすい言葉で訴え、広く共感を呼んだのです。
歴史を越える言葉の力と特有のリズム感が見事です。
下のサイトでその演説を聞くことが出来ます。
「私には夢がある(I have a dream)」
TIME FOR KIDS (こちらのサイトでも全スピーチが聞けます)
そして1960年に就任した第35代大統領ジョン・F・ケネディーは就任演説で、「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」とアメリカ国民に問いかけたのです。
この演説は、「近年で最も偉大な大統領就任演説」として有名です。
日本ではあまり注目されない祝日ですが、近代アメリカの歴史上大事な事柄が裏にあることをお伝えしたかったのでした。
この日は各地でアフリカ系アメリカ人を中心としたパレードやフェスティバルが華やかに行われます。
彼は公民権運動の指導者でプロテスタントの牧師でしたが、人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動によって1964年にはノーベル平和賞を受賞しています。
そしてその後1968年4月4日テネシー州メンフィスのモーテルのテラスでで暗殺されました。
アフリカ系アメリカ人公民権運動とは:
1860年代の南北戦争によって黒人奴隷 の「解放」が実現したにもかかわらず20世紀初頭でも、アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法 (Jim Crow laws - 通称)と呼ばれる人種分離法が施行され、日常生活のあらゆるところで、黒人と白人は隔離されていて、バス・レストランなどの公共の場所でも人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていました。
1955年12月アラバマ州モンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗議して、1年にわたるバス・ボイコット運動を展開し、最高裁判所がバス車内における人種分離を違憲とする判決を勝ち取ります。その後各地で黒人の反差別運動が盛んになっていきました。
合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれているのです。
ローザ・パークス逮捕事件:
1955年12月アラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどでローザ・パークスさんが逮捕された事件です。
当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で、利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したり、どこへ行くにも歩いたりしたため、バス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃をこうむったのです。
ローザ・パークス側は市条例違反の判決に対し、バス車内の人種分離の条例が違憲であるとして控訴、1956年に連邦最高裁判所は違憲判決を出し、公共交通機関における人種差別が禁止されました。
その後ローザ・パークスさんは人権擁護運動に身を置き、公民権運動の母 ("Mother of the Modern Day Civil Rights Movement") と呼ばれ、最近の2005年10月24日に亡くなっています。
マーティン・ルーサー・キングとジョン・F・ケネディー:
当時のジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には穏健で、南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々に成立させて行きます。
実は大統領選キャンペーンも最後の追い込みに入った頃、公民権運動家のキング牧師がアトランタで逮捕されるという事件が起こったとき、ニクソンはノー・コメントの姿勢を貫き通したが、ケネディーはキング釈放のために精力的に動きました。
キング牧師のの父親の言葉によれば「私の妻が息子の逮捕に涙を流している時、ケネディーは、その涙を拭ってくれた。このような時にこうした行動をとる事は勇気のいる事だからだ」と言い、この一件でキング牧師のの父親はニクソン支持をひるがえしケネディ支持を表明する事になります。
これにより多くのアフリカ系アメリカ人がケネディー支持に変わり、第35代大統領ジョン・F・ケネディーが実現したとも言われているのです。
1963年11月22日にはジョン・F・ケネディー、そしてマーティン・ルーサー・キングは1968年4月4日に暗殺されています。
奇しくもこの二人の演説は、20世紀のアメリカを代表する名演説として今でも有名です
1963年25万人を集めたワシントン大行進の時マーティン・ルーサー・キングの演説 “I Have a Dream”(私には夢がある)は、人種差別の撤廃と各人種の協和という理想を簡潔な文体と分かりやすい言葉で訴え、広く共感を呼んだのです。
歴史を越える言葉の力と特有のリズム感が見事です。
下のサイトでその演説を聞くことが出来ます。
「私には夢がある(I have a dream)」
TIME FOR KIDS (こちらのサイトでも全スピーチが聞けます)
そして1960年に就任した第35代大統領ジョン・F・ケネディーは就任演説で、「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」とアメリカ国民に問いかけたのです。
この演説は、「近年で最も偉大な大統領就任演説」として有名です。
日本ではあまり注目されない祝日ですが、近代アメリカの歴史上大事な事柄が裏にあることをお伝えしたかったのでした。
主演は『ウーピー・ゴールドバーグ』で まさに、この問題を取り上げた映画でした。。。。
走り去るバスの横を えんえんと歩き続ける黒人の人たちのシーンは とっても印象深いものでした。 とても感動する映画です。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10788/
自分たちの歴史を自分たちで勝ち取ってきた彼らはスゴイですね。
アメリカで暮す以上”差別”に対してとても神経を使います。
また自分が受けた”差別”に対しても毅然と立ち向かわなくてはなりません。
とってもエネルギーを必要としますけど、それがアメリカで生きる事だと、思い知らされた20年でした。
桃井かおりさんの言葉にもありますが、『外国で暮らすって大変なことです。こちらで長く住んでいる日本人てすごく強くなります』、日本に一時帰国したときそれが分かりましたもの。
今、記事をみていてきがついたのですが、テーブル、直ってますね。
キレイに全部、記事が(横にブックマークを出していても)見られるようになっています。
よかったですね!
アーサー牧師の話は、私も映画やテレビでみたことがあります。
でも、お祝いする日があると走りませんでした。うーん、アメリカの歴史って、浅いっていいますが、こうしてみると、結構ディープな内容が多いですね。。他の国が何十年もかかって体験することをアメリカはとても短期間に経験しているように思います。
いろんな歴史、とても参考になります。
私はオキラクblogなので、コメントしにくい部分もあるかと思いますが、またよかったらいらしてくださいね!
>テーブル、直ってますね<
気付きませんでした,ウエブデザイナーさんですね。
有難うございます。
実際は学校や州政府の機関、銀行などはお休みですが、大半の事務所やお店は営業しています。
言い回しが適切でないかも知れませんが・・・・・やはりアフリカ系アメリカ人の方が多い所はお休みのようです。
でもこの祝日の背景はとても大事だと思いますので、祝日があるかどうかが大事な事で、休む、休まないは二の次だと思っていますが・・・・・・・。
確かにアメリカの歴史はいまだ220年ほどしかありませんが、近代世界の歴史上、最も面白い物だと信じています。
そこには権力の物語ではなく、市民の声の歴史ががあるからだと思っています。
アメリカは『国家は人が作っている』事を思い知らされる国です、だから日本の若い人にこの国のことを一度は経験してもらいたいと願っています(良くも悪くも)。