ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

「暑い日の散歩」だからではなく

2007年08月16日 19時12分53秒 | Weblog
[個人史]: 動物、 イヌ(犬)、ネコ

<暑い日の夕方>
散歩中の 小型犬 を見かけた。 毛を刈り込んでいるので 種類が良くわからなかった。 特に ハァハァ しているわけではないが、 道路のほうをみたまま ピクリとも動こうとしない。 「バテているらしいな」 と見ていると 飼い主が声をかけてきた。

「犬はお好きなんですか?」

<特に..>
私は 特段 犬が好きな訳ではない。 犬だけでなく ネコも 鳥も (カラスもハトも) 飼いたいと思った事は無い。 嫌いではないだけだと思う。

私が (人間を含む) あらゆる生き物を見かけたとき 「何か必要としているものがあるだろうか?」 と私ができることについて 気になるのである。 だから、 「好きか?」 と問われると 返答に窮する。 結局このときも明確に答えられなかった。

ポメラニアンだというその犬に触っても 特に反応するわけでもなく、 たまたま持っていた 水 を犬の前に置くと よく飲んだが ガブガブと言うほどではない。
先日の別な 犬の挨拶 同様 儀礼的な感じだ。

<ストレス..>
飼い主の視線を受けながら、 犬向けの挨拶を交わしたところ、 しゃがんでいた私の足の間に 強くすり寄ってきて しばらくじゃれていた。 飼い主の言葉を合わせてみると どうやら 理解して貰えていないストレス(欲求不満)があったらしい。

犬を連れた飼い主は、「やっぱり犬はお好きなんですか? ウチの犬はそんな(じゃれた)事は初めてですよ」 と不思議がっていた。

<実際には..>
実は 犬でも猫でも 近所のカラスやハトでも、 私の記事に登場する子ども達でも、 私が彼らを好きだからなのではなく 自分の事を正しく理解してくれる相手に 心を許せる のが 共通の事実なだけである。

関連記事
02/08 日記: 『散歩中の犬に挨拶されて..』

<(続)憲法改正論>『九条改正』  (NHK討論)

2007年08月16日 01時22分41秒 | 格差社会と政治
【現代日本史】: 戦争犯罪を反省しない日本 憲法九条改正

<護憲派>
私は 護憲派 である。 だから 護憲派意見は 抵抗無く 受け入れられる。
そもそも 護憲派意見の方が 論理的で、 自らの経験則を満たしている。 私も多くの事を見聞きしなければ 盲目的に米国を信頼し、 (私も若く未熟な時に考えた) 米国の安全保障から脱した 日本の自立 を望んだであろう。

たしかに 一度は不況に陥ったが 立ち直った米国は世界第一の強国になった。 だがそれは 東西冷戦が終わり、 ロシアの国力が下がったからに過ぎない。

<改憲派>
改憲派は云う、
「米国に護って貰わなくてはならない日本ではダメだ。 改憲して武力を持ち 米国と肩を並べる国になろう」 と,,。

この思想こそ 笑止 である。
現在の ロシア、中国 の様に 日本が米国の言いなりにならなくなる時こそ 日本を真っ先に攻撃(テロ工作)するのは 米国 だ。 日本の存在意義は 極東アジア における 米国の盾 なのだから..。 日本が米国からの自立をしようと動くとき、 真っ先に支援してくるのが 中国・ロシア なのである。 米国としてはとうてい容認出来るものではない。

<日本の自立>
一時、 日本がバブルに沸いた頃 日本も米国に対して 強い発言力があった。 当時は私も米国人に対して 強い嫌悪感 を抱いていたときだから私に 反米意識 があっても 米国の友人らは 返す言葉を持っていなかった。

だが、結局日本は 核の傘 を失う恐怖から、 米国追従姿勢のまま バブル崩壊を迎え、 再び立場は逆転して 現在に至るのである。 『核の傘』 こそが 被爆国日本を支配するための 米国の「伝家の宝刀」 なのだ。

日本人が 九条を盾に 戦争放棄 を唱い続け、 勇気を得て米国の核の傘 から抜け出したとき、 初めて米国の核は 日本を狙っていたことに気づくのである。
(※ 同盟国には 日本にはそんな勇気の無い事ぐらいお見通しだ)

記録する。

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08/15 <憲法改正論>九条は変わるか? (NHK討論)