11月2日はチェコのお盆
DUŠIČKY(ドゥシチキ)と言います。
10世紀からある伝統で
亡くなった人を思い出す日
お墓参りにいって
お墓にろうそくを灯します
もともとはケルト人の
サマインというお祭り
夏が終わり
これからやってくる
厳しい冬に向けての準備として
家畜を殺し
保存用の肉を作る、
そんな行事だったそうです。
ドゥシチキは
世界各国に様々な形で残されていて
ハロウゥンもその1つ
ハロウィンはわいわい
楽しいお祭り
チェコのドゥシチカは静か。
我が家も週末に
2日遅れで
お墓参りへ。
週末は町の中心も
とっても静か
お墓の横の小道
紅葉が綺麗
お墓の中には教会が
もと死刑場だったこの場所に
16世紀、
1581年に教会を作り初めて
1602年に完成。
ちょうど江戸幕府の始まる前年。
しかし
1618年に始まった30年戦争の影響で
1623年破壊され
(この戦争以降第一次世界大戦まで
ハプスブルグの長い長い支配下に入るのです。
ほぼ300年!!)
1655年修復、拡大、
この丸型の作りは
ローマ帝国の影響
16世紀はルネッサンス期
このときも
ギリシアやローマの様式、
アンティークなものが取り入れられたんですね
街の中心から
門を通り過ぎ
古くはこの墓場が
町の終わり。
歴史を感じるヨーロッパのつくり
しんと静まり返った墓場に着くと
夫のおじいさんと
曾おじいさん、そのお兄さんの
お墓にろうそくを灯す。
誰もが
ひそひそと小声で話すこの場所で
第一次世界大戦を生きた
曾おじいさんの時代の歴史を聞く。
ハプスブルグの支配下で
対ロシアで戦うも
ロシア人もチェコ人も
同じスラブの血、
望まない支配に祖国を案じ
ロシア軍の同胞となって戦うチェコ軍人。
見つかれば捕虜となることもなく
即射殺
それでも祖国のために
家族のために
命を落とした人が沢山。
しかし
終戦後
皮肉なことに
ロシアは革命が起こり
レーニンが出てきて・・・
同胞だったはずのチェコ兵は
なぜか突然
ロシアで敵視され
多くのチェコ兵がロシアから帰れなくなり
名前だけのお墓が残っています。
皆、二十歳前後の青年。
中国、インド、日本・・・
様々なルートを使って
何とか帰国した人も
結核など不治の病にかかり
若くしてなくなっていたり・・・
曾おじいさんが日本を通ったかは不明だけど
もしかしたら・・・
こうして故人ことや歴史を
思い出す機会が持てる。
大戦も遠い昔ではない
そんな思いに浸ったひと時。
振り返ることも大切なんですね。
ゆっくりと2時間ほどのお散歩
それは先週の日曜日
今日は金曜日
あっという間に
また
楽しい週末がやってくる。
家族で
ゆっくり過ごせる週末に
ありがとう
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