のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

ブクステフーデの命日に寄せて

2023-05-11 20:44:54 | 日記
5月9日は私の研究対象であるブクステフーデ(通称:ブクたん)の命日(この記事は一応9日に書いてますが、公開はいつになることか...)。いつ生まれたのか分からない以上、この日以外は何も話題に出来ないのです。それ以外で言えば少数の作品の書かれた時期の記念年か...とにかくそのくらい知られていることが少ないのです。
それは残っている資料があまりに乏しいことも原因の1つです。思想的にもどんなものを持っていたのか...ヘンデル、マッテゾン、バッハは何を求めてブクステフーデの元へ行ったのか。去った理由は本当に娘との婚約だけだったのか。

ブクたんの作品で有名なのはやはり「我らのイエスの御身体」でしょうか。果たして「何」が傑作たらしめているのか。いや、たしかに聴き流しても良い曲です。修辞的にも工夫は見られます。この作品は自筆譜も残っています。作曲時期も40代前半とまだまだ意欲的であり実験的な頃かもしれません。しかし、この作品が何故書かれたのか...というのは詳しく載っていません。献呈された相手のみ。それ以上の詳細は分かりません。いや、正確にはもう少し分かったことはありますがそれはそのうちに。しかし謎はまだまだ。やはり自筆譜から見えてくるものというものは大きいです。謎の記号みたいなものがあったりetc...

オルガン曲で有名なパッサカリアについてはいくつか論文が発表されています。数秘術観点をさらに少し違った視点で分析しているものでした。また、ブクステフーデのパッサカリアはよくバッハのパッサカリアとの関連を指摘されますが、個人的には2曲のシャコンヌとの関連も注視すべきだろうと考えます。もっとも、このシャコンヌの方が個人的には謎が多いと思っているのですが...

実際、1曲のパッサカリアと2曲のシャコンヌはバッハのパッサカリアが収められているアンドレアス・バッハ・ブックに写譜されています。ここもまた問題となるが書かれ方がされているのですが、これは長くなるのでそのうちに。

私が「ゲマトリア」に興味を持ったきっかけはブクステフーデだったように思います。ResonanCeで演奏したBuxWV38「主よ、あなたさえいれば」をやった時、師事している先生が講義でこの曲を取り上げてくださり、その場のみんなで色々な視点で見てみました。すると、なぜここに3連符が?なぜここで十字架音型が?なぜオスティナート・バスがこの回数?などなど、次々と問題が出てきたのです。そして、それが納得する回答があったのでした。

ゲマトリアというのは根拠とするには不確かかもしれません。しかし、自分の演奏する上での解釈の根拠にはなり得ると思っています。数秘術的な観点ではよくバッハが取り上げられますが、バッハだけのことではもちろんありませんし、周知のことでした。もちろん、それらを取り入れるためにはその裏にあるものを理解しなくてはならないと思いますし、自分はまだまだそのスタートラインからようやく一歩進んだかどうかくらいかもしれません。ただ、そう言った視点からも見ていかないと、ただ「あのバッハが尊敬していた作曲家」止まりになってしまうと思います。



実際、本腰を入れて取り組み始めたところ、やはり彼の見方はだいぶ変わってきました。いや、現在進行形で変わりつつあります。同時に謎が次々と出てきています。今まで聴き流していた本当にちょっとした部分が引っかかり、そこから問題が発展したりしています。

ブクステフーデについて、定説と言いますか、一般的に言われていることは当たり障りなく、もっぱら「バッハに逃げられた」という話でしょう。しかし、バッハが無断で休みを延長し、4ヶ月後仕事に戻ったバッハの演奏があまりにも変わり教会に叱責されたという事実があり、いったいそれらがどんなことであったか、についてはほとんど触れられていません。彼について根本的な見直しは必要なであろうと考えています。

私は小学生のころ、家にあったバッハの漫画を何度も読んでいました。わずか3ページほど、ブクステフーデが登場します。それ以外のページでもバッハの頭の中がブクステフーデで一杯になっている描写がありました。ブクステフーデってどんな作曲家だろう?と幼いながらに疑問を持ちました。20年ほど経ったある日、一人暮らしを始め、ピアノの調律をしてもらっている時にふと思い出し、パソコンで検索。驚いたことにピアノでの録音はアール・ワイルドが演奏している組曲ニ短調以外一切ありませんでした。しかしその組曲が何とも良い曲だったのです。調律師さんとお昼を食べ、別れたその足でヤマハへ。チェンバロのためのブクステフーデ全集が売っていました(楽譜)。手持ちがなかったため、その日は買いませんでしたが、頭の片隅には常にいる存在となりました。

大学4年の頃、再び「ブクステフーデ ピアノ」で検索すると、トリスターノがまとまった録音を出していました。すぐに購入し、アリア ラ・カプリチョーザを早速聴きました。正直、全くピンと来なかったです(笑)なんぞこの長いだけのつまらん曲は...と思いましたね。カンツォネッタを気に入り、そちらを何度も聴いていました。

高速バスで実家から東京へ戻る間、アリア ラ・カプリチョーザをずっと聴いていました。約25分です。しかし、細部まで何度も聴くうち、「これは聴くのではなく弾いたら絶対に良い曲だ」と思い、一気に開眼しました。その足で数年前に見たブクステフーデ全集を買いに...。ブクステフーデで最初に取り組んだ曲はアリア ラ・カプリチョーザでした。チェンバロでも習い、ピアノで弾き込み、オルガンでの演奏会、クラヴィコードでの演奏会にもこの曲で経験しました。それを1つの形としてCDにも収録しました。

CD収録からまた時間が経ち、今はトッカータやプレリュードに取り組んでいます。これらはブクステフーデの鍵盤作品でもとりわけ重要なものです。先に書いた「我らのイエスの御身体」に繋がる響きを持っているように思います。ブクステフーデの研究は非常に困難ですが、今後も取り組んでいきますし、併せて演奏もしていこうと思っています。

ブクステフーデという作曲家を知ってもらうだけでなく、その重要性について知ってもらうべく今後も活動していきたいと思います。

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