Pentatonix の
「Perfect 」
エド・シーランよりむしろ好きかも。
エドは
「俺って、おとこ」の無意識さが
異文化な時があるから。
エリック・クラプトンの
「Wonderful tonight」
の
20年前。
みたいな感じで。
という感じで
サーフボードが
ゆっくり
通り過ぎて行くのを
眺めていました。
Pentatonix の
「Perfect 」
エド・シーランよりむしろ好きかも。
エドは
「俺って、おとこ」の無意識さが
異文化な時があるから。
エリック・クラプトンの
「Wonderful tonight」
の
20年前。
みたいな感じで。
という感じで
サーフボードが
ゆっくり
通り過ぎて行くのを
眺めていました。
二女が
お弁当を作ってくれました^ ^
なんだか
もったいなかったよ。
生まれつきなのか
普遍の真理 的なことを
大切にできる二女を
私も
Family も
信頼しているし
生まれてきてくれたことへ
感謝の思いでいっぱいです。
誇りを持って
生きて。
長女が
お誕生日のお祝いと
花を買っておいてくれました。
あたたかい今日。
瑞瑞しい花たちと
じぶんをみつめる時間と。
きっと
明日が過ぎると
いろいろ
気が抜けるんだろうな。
それでも
何も心配しなくて良いよって
笑ってる気がするけど。
ゆっくり
話ができて
嬉しかった。
ありがとう。
愛してる。
“それはそれは! お楽しみも増えることでしょう”
シェイクスピアの劇中の台詞みたい^ ^
そんなこんな
中川晃教さんの弾き語りコンサート♡
HAKUJU HALLの美しい響きと
あたたかいひかりのなかで
晃教さんの緊張なんて!
吹っ飛したるっつ!!
って感じの
好きな曲ばかりのコンサートでした♪
「わかれるときに思うこと」
最近 抜群に好きな曲
でも
そのままじゃ
切なすぎて。
「Family」を聴くとね
安心するの。
今夜
続きがあってね
晃教さん
どこへ行くのかなぁって
思わせるのよ。
何を
犠牲にするつもりなのかなあって。
ワインは
きんきんに冷えた白。
爽やかで
少しぴりっとして
ほんのり
赤くなって
きらきら光る
今夜の晃教さんにぴったりなセレクトでした。
良い誕生日を
ありがとう❤️
寒空の下
って言えないくらいのがちな寒さのなか
さいたま芸術劇場の「ヘンリー5世」へ。
駅前のコンビニで発券したら
二枚買っていて
一枚しか買ってないって思い込んでいたので 笑
急いで
次女 を
家まで迎えに行って
なんとか二人で観劇に 間に合いました!!
さっと支度して
家を飛び出せる次女エライ!
まあそんなこんな。
芸術監督
吉田鋼太郎氏の
ナビゲートで
広大な舞台背景を想像し
松坂桃李氏の
美しい王の姿を楽しみました。
「これから良くなる一方なんだ!byヘンリー5世」
桃李君の美しさではちょっと説得力がなく 笑笑
でも
風格も人格もある王。
奥行きを感じさせて
熱演だった。
この間
「サムシング・ロッテン」で
シェイクスピアの時代をチラ見したからか
この大きな歴史の中の物語に
少しずつ
興味がわいてきました。
次は何を上演してくれるんだろう。
そして!
忘れてはならないのが
中河内雅貴氏です^ ^
次女は
まったくそれ目当て 笑
ちらりと
歌ってくれた時の
血のアツくなったことったらありません♡
中垣内氏の
匂いが
「王」の話に厚みを持たせていることは間違いなく
その匂いは
誰にでも出せるものではないことが
とても観に行って良かった。と
おもわせてくれます。
にしても
ものすごい
声声
と
運動量。
どうか
皆さま
お怪我なく
千穐楽まで
はしられますように!
それにしても
さい芸の
舞台の奥行きを生かした
役者さんたちの
はけて行きかたは
歴史に
沈んで行く日々の象徴のようで
素晴らしいと思います。
^ ^
「ラ・ラ・ランド」を字幕で観たいって
次女が言うので
家族揃って
リビングで鑑賞^ ^
たくさんdream って言葉が出てきたね。
だから
あの2人は
Always love you って言い切れる
同志。
演劇もミュージカルも
テーマのある音楽も
今の現実とは
別の人生を生きるもの。
その意味で
Dream なのね。
ふたつの意味。
それから
もうひとつ
私がゆうべみたしあわせな「夢」はね
晃教さんのチケット申込み用のメールから
なんとなく始まって
たぶん
「このパーティーの意味は
そういうのじゃないって
重ねてお知らせします」
みたいなメッセージが届くの。
パーティは
ビル群とは程遠い場所で
おそらく
晃教さんの誕生日付近に開催されるの。
ピンクっぽいTシャツと
同系色のハーフパンツと
おそらくハットも被っている男の人の横を通り過ぎて
気になって振り返ると
それが
外壁にもたれて座ってる晃教さんで
上を向いて笑ったの^ ^
いくつも
低いテーブルを囲む
丸いソファには
ろうそくが灯っていて
多勢ひとたちが
すっごく美味しいワインと
かしこまらないお食事をしているのね。
それで
夜になって
ブラインドがあくのか、カーテンがあくのか
大きな窓の外に
大きくて満天の星空が現れました。
そこへ
どこかでおしゃべりしていたのか
晃教さんの
「これをみるためのパーティでした。」
って声がして
目の前をまっすぐ奥へと流れる川を次に認識できて
ああ
良いパーティだなぁって
満たされるの。
はっきり覚えてる「夢」
水面の煌めきまで。
晃教さん
素晴らしい夢
ご出演
ありがとうございました😊
平日のわりに
今日は
ゆったり過ぎた気がします。
暖かかったからかな。
初めてお話する人と
思いのほか
思いを共有することができたからかな。
その先を
思い描くことができたのかもしれないからかな。
会話の
ごちそうって
こういう事かも。
「音楽紀行」
第一夜はもう三年前なんですね。
私はなんだかグレゴリオ聖歌が好きで
まあ
enigmaが好きだったんだけど
第一夜は
そもそも
音楽劇の起源がそこにあって
それが
人々の
祈りから始まったというのが
とても興味深かったの。
ギリシャ劇の中の
「コロス」
今日の中嶋朋子氏のお話の中にも出てきたけど
そこには
音楽で語るっていう要素はどれくらいあったのかしら?
あれ?
その部分の解説もあったのかな?
私が
単に
グレゴリオ聖歌好きで
その前の部分を
綺麗に忘れ去っているのかも。
たまにね
すっごく身体を動かしたり
大きな声を出す人って
突然変異的に存在するでしょ。
それこそ
そういう人々が
普通の人たちを
インスパイアしたんだと思うの。
あんな風に
身体を動かしたら
美しいなとか
大きな声の中に
祈りをきいたとか。
そういう人々って
名前を残しているわけではないのよね。
系統だって
それらをとらえて
分析できた誰かが
少しずつ
音楽をつくっていった。
記録って
なんでしょうね。
記録を残すことこそ
人間たる所以かも。
その手段を
はじめに考えた人だって
名前を残したくてそうしたわけじゃないように
歴史は
何を伝えているんでしょうね。
今日は
「ジャージーボーイズ」まで
時を
いっきに手繰り寄せて
晃教さんの「Can’t take my eyes off of you」まで
聴くことができました。
この一週間
全く記憶がないくらい
大きな区切りを超えました。
あとから
あの時
よくやってたなあって
思うときが来るだろうなって
今は
ぼんやり
考えてます。
きのうから
アレルギーのお薬を飲み始めて
普段に増してぴんときていないけど
それくらい
やったと思うの。
もっというと
5年前から
それは
始めていたこと。
その時は
今の状態を
思い描いてはいたけれど
それは手順の上でのことでだけ。
現実になって
ことばになりません。
おやすみなさい。