昔、「・・・リンリ、リンリと夜も眠れず」という川柳か何かを習った記憶がある。
前回のブログの最後に、人の話を「聴く」時に大切なことは、「他者を尊重するマインド」と書いた。その「マインド」を形にしたものが「倫理」だと思う。どのような業界でも、何らかのルールや規則、慣例があるが、「職業倫理」が確立されている仕事は案外少ないように思う。「お題目」としての倫理綱領のような形はあっても、本音では「現場でそんなきれいごとは言っていられない」とか、「倫理で飯が食えるか」などと考えている者も少なくないと感じる。多少ルールに反しても、ばれないように要領よくやればよいという思いもあるかもしれない。何度も起きる企業や公務員の不祥事や謝罪会見を見ていると、そう思う。
サラリーマンだった頃、ある取引先の社長に「倫理は自分の身を守るため」と教えられたことがある。当時勤めていた会社は、営業至上主義で、現場では「数字を作り上げる」ことがほぼ絶対的な使命だった。そのため、少なからぬ社員が無理をしたり時にルール違反をして、結局、会社として監督官庁や社会から制裁を受けることになった。しかし、「数字を作らせた」成果は自らの手柄としながら、批判や制裁を受けることになると「ルールを破れとは言ってない」と責任を下に転嫁した“上司”もいた。一方、実力や正攻法で結果を出していた者もいたし、責任を取らされた上司もいた。
今でも、その社長の言葉を時々思い出す。そして、今は個人事業主であり会社というバックがない分、倫理観を身に沁みこませるよう心がけている。体に必要な水分のようなイメージだ。
現場ではいろいろな問題が起き、判断に迷うこともある。でも、迷った時こそ倫理観と言う水分を補給する。それは、自分を守るためだけでなく、他者を尊重するマインドを潤すからだ。
前回のブログの最後に、人の話を「聴く」時に大切なことは、「他者を尊重するマインド」と書いた。その「マインド」を形にしたものが「倫理」だと思う。どのような業界でも、何らかのルールや規則、慣例があるが、「職業倫理」が確立されている仕事は案外少ないように思う。「お題目」としての倫理綱領のような形はあっても、本音では「現場でそんなきれいごとは言っていられない」とか、「倫理で飯が食えるか」などと考えている者も少なくないと感じる。多少ルールに反しても、ばれないように要領よくやればよいという思いもあるかもしれない。何度も起きる企業や公務員の不祥事や謝罪会見を見ていると、そう思う。
サラリーマンだった頃、ある取引先の社長に「倫理は自分の身を守るため」と教えられたことがある。当時勤めていた会社は、営業至上主義で、現場では「数字を作り上げる」ことがほぼ絶対的な使命だった。そのため、少なからぬ社員が無理をしたり時にルール違反をして、結局、会社として監督官庁や社会から制裁を受けることになった。しかし、「数字を作らせた」成果は自らの手柄としながら、批判や制裁を受けることになると「ルールを破れとは言ってない」と責任を下に転嫁した“上司”もいた。一方、実力や正攻法で結果を出していた者もいたし、責任を取らされた上司もいた。
今でも、その社長の言葉を時々思い出す。そして、今は個人事業主であり会社というバックがない分、倫理観を身に沁みこませるよう心がけている。体に必要な水分のようなイメージだ。
現場ではいろいろな問題が起き、判断に迷うこともある。でも、迷った時こそ倫理観と言う水分を補給する。それは、自分を守るためだけでなく、他者を尊重するマインドを潤すからだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます