ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

155.疾風に勁草を知る

2024-02-23 01:40:03 | 仕事 キャリア ライフキャリア
「疾風に勁草を知る」激しく風が吹いた時にこそ、折れない強い草がわかる。困難に直面した時に初めてその人の本当の強さや価値がわかる。という意味。

 4年前の2月、その頃徐々に怪しくなっていた雲行きが、学校が一斉臨時休校になった時から、急に嵐のようになったことを思い出す。丁度4年前の投稿(127.エチケット)では、私自身が世間の状況の変化に戸惑いを感じ始めていたことがわかる。

 あれから4年。何度も疾風が吹き、その都度第〇波だと騒ぎ立てる者がいて、行動や移動や営業にも制限が加えられ、世の中が大きく変わったと言われた。心身の健康を損なったり、仕事を無くしたり、人間関係が壊れたりしてつらい思いをした人も少なくない。一方で、メディアやSNSの中では、金儲けまがいのことをしている者、ヒステリックな扇動や他者攻撃によって自己顕示欲を満たしているような者などもいた。社会にも過剰な同調圧力や閉塞感が広がり、いわゆる安全(客観)と安心(主観)が混同されていった。何度も瀬戸際だとか土壇場とか叫ばれるたびに、警戒感は疲弊感に変わって行った。

 今、社会は落ち着きを取り戻したと言われ、急落した株価は史上最高値を更新した。しかし、景気が回復しつつあるとはいえ、世間の空気はあまり浮かれた感じがしない。堅実であることは良いことだが、何か全体的な明るい雰囲気は乏しい気がする。この雰囲気の一因は、経済格差と言われるものだけではなく、まだ街中や職場でもマスクが“覆面”になっている人が少なくないこともあるように思う。個人の判断で着脱自由とは言え、表情が見えない相手と活発なコミュニケーションは難しいし、コミュニケーションが活発でなければ明るい雰囲気は生まれにくいだろう。

 何度も疾風が吹く中で、ただ安全な場所に身をひそめるだけでなく、人々の暮らしや社会を支えてきた人もいる。一部の医療従事者だけでなく、エッセンシャルワーカーと言われる人たちだ。もちろん、家族や自身のために働いていた多くの人も含めて。そのような人達を“勁草”に例えるなら、共通している点は、状況にひるまず、あなどらず、淡々とできることをしていたことではないかと思う。地に根を張るところまではいかなくても、浮足立つことなく、地に足をつけていたように思う。

 周囲の人やメディアに登場する人物も含めていろいろな人の強さや弱さ、良くも悪くも意外な一面が見えたこともあった。振り返ってみると、自分自身の強さや弱さもわかった。ストレスフルな状況の中で揺れながらも、なるべく人とのコミュニケーションの場を作り、楽観的に捉えて、できない理由探しでなくできることを探してやり続けていたから、今があると思っている。もちろん周囲の人の支えもあったことはありがたかったと思う。
 騒動が始まった頃、ある有識者が言っていた言葉が思い出される。「自分の周囲の人々や社会に対する一定の信頼感が回復すれば、騒動は“終息”するだろう。」というような内容だったと思う。
 
 疾風に勁草を知ることは、これからもあるだろう。自分も身を低くしていても吹き飛ばされることがあるかもしれない。心ならずも吹き飛ばされたとしても、新たな場所で立ち直ることもできるだろう。ただ、あの店(前回ブログ)が昨年秋に多くの人に惜しまれて幕を閉じたことは心惜しい。63年間も枯れることのない勁草だったのに。
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