今年で寿町フリーコンサートは3回目。
初めて来た時、多少の居心地の悪さを感じたけれど、
今回はそれはあまりない。
居心地の悪さというのも、よそものがこんな時だけ寿町に騒ぎに来て、大声で歌って踊って、楽しむだけ楽しんだらまた帰って行ってしまう~そんな私の行動への自己批判もこめての感情でもある。
ここで暮らすおっちゃんやおばちゃんたちは、こんな大騒ぎをどう感じてるんだろうと気にかかっていた。
それでも、何度か来るうちに、一緒に踊るおっちゃん、リズムに合わせて足を動かしてる座り込んで酒飲んでるおっちゃん、部屋の窓から顔のぞかせて一緒に歌ってるおっちゃん、この生活空間を一緒に楽しむ「祭り」の場として私たちを拒否しないこの街を、私も少しずつ理解できてきたように思う。
この街は、不思議だ。日本の三大ドヤ街の一つとはいえ、保育所があり、小さな子どもたちが一緒に暮らしている。何か懐かしい匂いを感じる不思議な街。
今年はこの街のフリーコンサートでとりわけ心に染みついたことがある。
それは、歌を、音楽を楽しむこと、民衆の音楽を伝え続け命を与え続けること、そのことで私たちがつながりあい、大きなエネルギーを生み出していること、そしてそのことの重要性である。
例えば、「安里屋ユンタ」~これはトップバッターである寿[kotobuki]が歌った中の一つだが、沖縄の有名な歌だけど、もともとは労働歌だ。
「貝殻節」~これは遠峰あこさんが歌った中の一つだが、鳥取県の民謡で、ホタテ貝を捕る時に漁師達が歌ったという労働歌。
たくさんの歌が、この街でよみがえり、新たな要素を孕んで、生命をつなぐエネルギーとなっていく。
改めて、人が一人では生きていけないこと、
たくさんの人々とのつながりがどれほど重要かということ、
そして歌は、そのために決定的な意義を持ち、この世に存在しているのだということがはっきりと感じられた。
歌は、音楽は、一番に楽しむことが重要なのだ。
楽しむ中で、つながりあい、また喜びとなり、次につながっていく。
人と人との連帯であり、人と人との繋がりである。
沖縄では、「ユイマール」の精神が生きていて、人のつながりの中に「結」が存在する。助け合い支えあう精神。
沖縄では、今でもたくさんのおじいやおばあが、自己流の三線を弾き唄う。ここでも重要なのは、音楽性ではなく人がつながることなのだと思う。
だから、三線のチンダミ(調律)は、例えばCの音がC♭になっていても、問題なし。C♯になっていても、それがそのひとにとってCの音なんだったら、それはCの音になる。リズムが多少違っていても問題なし。
要するに共に心を寄せ合い苦しさや辛さを共有し、共に同じ歌を歌い、楽しみを分かち合うことが重要なのだ。
その気持ちが、民衆の歌や民謡や労働歌を産みだし、現在につなげてきたのだと思った。
寿町フリーコンサートだからこそ感じた歌の重要性。
音楽を楽しみ生きるエネルギーにし続けていくことの意味。
これは、私にとっても生きていくための大きな支えでもある。
だからこそ、これからも、民衆の歌に生命を吹き込み続けていくための小さな一歩を、確信を持って進んでいきたいと思っている。
あゆむ
初めて来た時、多少の居心地の悪さを感じたけれど、
今回はそれはあまりない。
居心地の悪さというのも、よそものがこんな時だけ寿町に騒ぎに来て、大声で歌って踊って、楽しむだけ楽しんだらまた帰って行ってしまう~そんな私の行動への自己批判もこめての感情でもある。
ここで暮らすおっちゃんやおばちゃんたちは、こんな大騒ぎをどう感じてるんだろうと気にかかっていた。
それでも、何度か来るうちに、一緒に踊るおっちゃん、リズムに合わせて足を動かしてる座り込んで酒飲んでるおっちゃん、部屋の窓から顔のぞかせて一緒に歌ってるおっちゃん、この生活空間を一緒に楽しむ「祭り」の場として私たちを拒否しないこの街を、私も少しずつ理解できてきたように思う。
この街は、不思議だ。日本の三大ドヤ街の一つとはいえ、保育所があり、小さな子どもたちが一緒に暮らしている。何か懐かしい匂いを感じる不思議な街。
今年はこの街のフリーコンサートでとりわけ心に染みついたことがある。
それは、歌を、音楽を楽しむこと、民衆の音楽を伝え続け命を与え続けること、そのことで私たちがつながりあい、大きなエネルギーを生み出していること、そしてそのことの重要性である。
例えば、「安里屋ユンタ」~これはトップバッターである寿[kotobuki]が歌った中の一つだが、沖縄の有名な歌だけど、もともとは労働歌だ。
「貝殻節」~これは遠峰あこさんが歌った中の一つだが、鳥取県の民謡で、ホタテ貝を捕る時に漁師達が歌ったという労働歌。
たくさんの歌が、この街でよみがえり、新たな要素を孕んで、生命をつなぐエネルギーとなっていく。
改めて、人が一人では生きていけないこと、
たくさんの人々とのつながりがどれほど重要かということ、
そして歌は、そのために決定的な意義を持ち、この世に存在しているのだということがはっきりと感じられた。
歌は、音楽は、一番に楽しむことが重要なのだ。
楽しむ中で、つながりあい、また喜びとなり、次につながっていく。
人と人との連帯であり、人と人との繋がりである。
沖縄では、「ユイマール」の精神が生きていて、人のつながりの中に「結」が存在する。助け合い支えあう精神。
沖縄では、今でもたくさんのおじいやおばあが、自己流の三線を弾き唄う。ここでも重要なのは、音楽性ではなく人がつながることなのだと思う。
だから、三線のチンダミ(調律)は、例えばCの音がC♭になっていても、問題なし。C♯になっていても、それがそのひとにとってCの音なんだったら、それはCの音になる。リズムが多少違っていても問題なし。
要するに共に心を寄せ合い苦しさや辛さを共有し、共に同じ歌を歌い、楽しみを分かち合うことが重要なのだ。
その気持ちが、民衆の歌や民謡や労働歌を産みだし、現在につなげてきたのだと思った。
寿町フリーコンサートだからこそ感じた歌の重要性。
音楽を楽しみ生きるエネルギーにし続けていくことの意味。
これは、私にとっても生きていくための大きな支えでもある。
だからこそ、これからも、民衆の歌に生命を吹き込み続けていくための小さな一歩を、確信を持って進んでいきたいと思っている。
あゆむ