私はキリスト教徒ではないのですが、知り合いのキリスト教徒によれば、2月11日は「信教の自由を守る日」なのだそうです。その人が講読しているキリスト新聞では各地での集会が掲載されています。
http://www.kirishin.com/2012/02/112012211.html
かつて2月11日は、「紀元節」(神武天皇が即位した日)とされてきました。日本書紀には神武天皇即位の日が「辛酉年正月庚申朔」と記されており、それを明治政府の役人が太陽暦に換算して、紀元前660年2月11日と定めました。(ただ、もう一つの歴史書である古事記には即位の年月日は記載されていません。)
この日に学校などで盛大な式典をおこなうことで、国民に対して、天皇が神の子孫であり、日本は「神の国」であるという概念を植え付けていき、「神の国」は決して戦争に負けないと信じる軍国少年少女を育てていきました。私の両親もちょうどその世代でした。
この「紀元節」は、敗戦によって一旦は廃止されました。しかし、戦後それを復活させようとする運動が起こり、1957年から「建国記念日制定に関する法案」が国会に何度も提出されました。当時の社会党は「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、戦争に利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせたもの」と反対し、結局この法案が成立することはありませんでした。
ところが、政府は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」であると名称を変え、さらには2月11日にもこだわらないという姿勢を取ることによって、1966年に法案を可決させました。しかし、その後、結局は戦前の「紀元節」が「建国記念の日」と定められてしまいました。
日本のキリスト教会(他の宗教団体もですが)は、戦中には思想弾圧を恐れて、天皇を神とみなす神社参拝を受け容れ、戦争にも協力してしまいました。その反省から、人の思想に国家権力が介入する動きに対して反対運動が熱心におこなわれてきたわけです。
さて、大阪では教育基本条例によって、まさに戦前のような思想弾圧がおこなわれようとしています。それは、学校の教職員や公務員だけの問題ではありません。
「信教の自由を守る日」――2月11日をこういう観点で見ることは、キリスト教徒だけでなく、どんな思想・信条であろうともおよそ自分の内心というものを持っている人全てにとって大切なことではないかと思います。(鈴)
日本のカトリックには、「隠れキリシタン」としての長い歴史がありますね。現在の憲法の中には、そうした権利のなかった人たちの願いが込められていると思います。
今年も、2月11日には全国各地で集会が開かれました。
大阪で開かれた集会では、会場の前に、窓が鉄格子で覆われた車や、警察官、公安関係者らしき人々がたくさんいて、ものものしい雰囲気でした。
参議院選挙後には、いよいよ憲法に手がつけられそうな様相です。
こんな状況になんとか抗していきたいと思っています。