普天間基地の辺野古への移設が最大の争点となった名護市長選は、反対派の現職、稲嶺進氏が圧勝しました。稲嶺氏は、移設推進派の末松候補に4155票の差をつけた圧勝でした。
しかし安倍政権はこの選挙結果を無視し、「埋め立て設計」「水域生物等調査検討」など3事業の入札公告を強行しました。稲嶺市長は「埋め立てが前提の協議や手続きは全て断る」と断言し、燃料タンクの設置や辺野古漁港に作業場を設ける埋め立て、川のつけ替え、施設完成後の上水道整備など、市長が権限をもつとされる承認を一切拒否し徹底抗戦する構えです。沖縄では今年に入り、県議会に続いて、41市町村議会のうち那覇市議会など8議会が辺野古移設断念や知事辞職などを求める意見書や決議を可決しました。名護市に連帯するこの動きはさらに拡大する勢いです。
私は、名護市長選の直前に名護市入りをし、選挙戦を間近にみて、辺野古基地を拒否する住民たちのエネルギーが極めて強いこと、基地なしでも、いや基地がないほうが経済が自立的に発展すること、「尖閣」問題と対中軍事対決をめぐる安倍政権の強硬姿勢で沖縄が軍事衝突に巻き込まれることへの危機感が高まっていることなどを肌で感じることができました。沖縄で起こっていることを理解するためにあらためて市長選で感じたことをレポートします。沖縄と名護市を孤立させないよう「本土」から辺野古基地反対の声を上げることが不可欠になっています。
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住民運動として闘われた選挙戦
私は1月17日に現地入りし、19日まで市長選を取材しました。旧知の写真家Yさんに連絡すると「もっと早く連絡くれよ。今日は選挙戦の最終日で忙しいから大至急名護に来て」と怒られました。しかし、Yさんには、親切に名護市長選に案内してもらいました。大変お世話になりました。
Yさんからは「稲嶺候補の選挙対策本部は、4つある」と教えてもらいました。「稲嶺候補自身(県議・市議・推薦政党などで構成)」、「稲嶺候補の後援会」、「統一連(日本共産党)」、そして市民グループや一般市民の「稲嶺ススムと共に歩む市民の会 ススム会」にそれぞれの選挙対策本部があるというのです。Yさんにはこの4番目の「ススム会」の事務所に連れて行ってもらいました。そこで、「ススム会」の発起人のひとりである青森県出身名護在住のSさんから、「ススム会」をどのような目的で作ったのかの説明を受けました。
・「戦争に行くな!選挙に行こう!」をキャッチフレーズに、「ススム会」を作ったこと、「選挙に行こうぜ」のビラを自分たちで作り、撒きまくっていること。
・従来の選対(選挙対策)運動では、選挙運動員が東京から来て、交差点に立つだけで、運動の限界が見えていると、「これをやって下さい」と言われるものになっていたこと。一般市民は、動員でやっているなとしかみていないことなど。
・自分たちは「楽しんでやってきて下さい」がキーポイントであることを強調。
「ススム会」は、以下のように活動してきました。
・2013年11月18日事務所開きに稲嶺進候補を呼び、前参議院議員の山内徳信さんの講演会を開催。山内さんは、元読谷村村長時代に、職員も座り込みにいかせたことや、参議院議員になっても現場をとにかく大事にしたことを話しました。
・12月に映画「標的の村」上映会を開催。この映画は、普天間基地の座り込みや沖縄の矛盾がかなり出ていて分かりやすいと好評でした。しかも、沖縄県はオスプレイ反対なのに高江のオスプレイ基地建設には賛成と矛盾した立場が明らかになっています。沖縄では那覇市の桜坂スタジオでしか上映されていません。
「好きな人が好きなことをやる」ススム会
Sさんは、この選挙では仲井真知事の埋め立て承認後が問われていると強調し、さらに、こんな話をしてくれました。末松候補も元名護市の職員で建設設計をやっていた。島袋市長時代は副市長で、自民党沖縄県連の仲井真会長と一緒に、基地建設のために金をばらまいてきた。一方、稲嶺進候補は、国からの交付金261億円を切られても、夢と希望のある名護市を作ろうとしていることや子どもや孫の時代まで、住民自らが汗を流していこうとするもので、基地反対と住民自治とがいっしょになっていることがすごい。基地建設に名護市長の権限が必要で、国はこんなものをつぶそうとしている。中国との軍事衝突・戦争の危険が高まっている。安倍政権の強引なやり方は変わらないが、ウチナーンチュの態度が今こそ問われている。だから「選対」ではなく「ススム・スペース」である、と。
Sさんは、「ススム会」の具体的な選挙活動として、旗持ちや「選挙に行こうぜ」のビラ入れを基礎にしていることを説明しました。「稲嶺候補を誹謗中傷しているビラがまかれまくっているので、若い人達も私たちのビラを入れまくっています。」「好きな人が好きなことをやってほしいと思います。名護市は両陣営が1万票づつで均衡しているので、ビルの中の1票を取ることが大事なこと、旗を掲げた自転車、ビラ、手振り、どれが効果があるのかはわかりません。道じゅねーという練り歩きが有効かもしれない。みんなに選挙に関わってもらいたい、そのための道具を用意するのが「ススム会」です。市民でないとできない運動がしたい」と。
カネのこととか言わない対立候補
そのあと、午後1時半から辺野古で行われた末松候補の立会演説を取材しました。辺野古交番前で、立会演説をするとのことで、Yさんと取材に行きました。安倍政権の沖縄担当大臣の山本一太議員が応援に来ていました。自民党沖縄選出の島尻安伊子衆議院議員もいました。末松候補が「仲井真知事が、毎日応援に来ている。基地交付金の264億円が今の市長では1円も入ってこない。財源0でもよいのか。拳を振り上げて市民を還りみない今の市長ではいけない。石破幹事長も500億円基金創設を言ってくれて、新しい名護、北の都を作りたい。選挙戦は追いついた、もう一歩だ」と訴えました。山本一太氏が「政権が変わって大変迷惑かけた。安倍首相が名護を発展させたいから私に行くように言われた。2021年まで毎年3000億円沖縄に出す予算を確保した。沖縄は東アジアで発展する可能性を秘めている。しかし名護市は県内11市中人口増加で9位、失業率9番目、平均所得は9位、凋落していくかもしれない。名護市役所も市街地に移そう、進学校も作りましょう、スポーツコンベンション施設も作りしょう、金融特区も発展させよう、末松と夢を作っていこう、最後は逆転できる」と訴えましたが、金のことしか言わないことに驚きました。130人くらいの住民が聴衆していました。
「金や札束、組織の力で何でもやってしまおうというヤマトのやり方は通じない」
午後4時半から、名護市内大北区で、稲嶺進候補の立会演説に参加しました。稲嶺進候補が「仲井真知事の辺野古埋め立て承認は、観光立県をめざす21世紀ビジョンを白紙に戻し、真逆なことではないですか。埋め立て承認を白紙に戻しなさい」と、仲井真知事を厳しく批判しました。この立ち会い演説には、「ススム会」の70名も参加し、応援しました。最後のパフォーマンスは、参加者が1列に並んで、稲嶺進候補が、ハイタッチを繰りかえし、走っていくというエネルギッシュなものでした。私もハイタッチに加わりました。よかったです。「ススム会」は、隊列を組んで、午後5時半からの稲嶺進候補の選挙打ち上げ式に参加しました。3千人の支持者が、交差点を埋め尽くしました。前回の選挙戦では2千人で、千人も上回る盛り上がりでした。
稲嶺進候補が「明日は温かい結果を出しましょうよ。温かい声援と激励の言葉ありがとうございます。“明日の名護市、沖縄県を頼むぞススム”という多くの言葉をかけてもらいました。辺野古移設NOかYESと言われれば、市民の声はNOだ。毎日自民党の大物がおいでになっている。国を代表する人たちは、名護市を我がものにするつもりだ。名護市のことは名護市民が決める。金や札束、組織の力で何でもやってしまおうというヤマトのやり方は通じないことをヤマトに返していこう。仲井真知事のやっていることは、真逆だ。辺野古に作らせないために明日、みんなでNOを日米両政府に突き返そう。投票箱閉まるまでがんばりましょう!!」と訴えました。Yさんは、「2010年の時より、さらに政治的になった」と評価していました。「ススム」コールが巻き起こりました。
私は1月19日那覇空港19時半出発の飛行機だったので、稲嶺進候補の当落が分からず、当選してほしいと祈っておりました。21時20分、関西空港に着き、携帯のニュースを見ると、「稲嶺進氏再選確実」が出ていて、思いつく人にメールを送りました。名護市長選を案内してもらった、Yさんにも、メールを出すと、Yさんから「本当によかったよ。みんなで大盛り上がりになってるよ」と興奮した声で携帯で返事がありました。本当によかったです。 私は、「名護市長選取材」に行ったのに、最後は「稲嶺進候補を応援するために大阪から来ました」と名護のみなさんに言いまくっている自分に気づきました。
(ルーラー)