ウクライナは9日前に戦争を始めていた(カネコア・ザ・グレート)
2月24日にロシアがウクライナに侵攻を開始してから4か月になります。この侵攻は独立主権国家に対する侵略であり国際法違反の行動でした。結果としてウクライナの市民、両国の兵士に膨大な死傷者を生み、経済に重大な被害を与えました。その点でロシアは非難を免れません。
しかし、同時にメディアはロシアが全面的に悪くて、プーチンは独裁者で頭がおかしい、ウクライナは被害者で全部正義で、武器を送り込んで戦いを支える米とNATOも正しく、正義だと、客観的な事実ではなくプロパガンダだけを流し続ています。戦争が始まってそれはますますひどくなっています。いまやこのプロパガンダの氾濫を押しのけて、事実を自分で確認しながらしか戦争の真実の姿を掴むことはできません。
これまでも指摘してきましたが、この戦争の性格は複雑です。ロシアだけに責任があるわけではありません。いや、戦争の原因をつくりロシアを戦争に追いやったのは米とNATO、ウクライナの側だと考えます。なぜなら、第1に、ウクライナは2014年に国内の東部2州のロシア語系の人々(のちの二つの「人民共和国」)に対する戦争を始め、8年間にわたって停戦合意を守らずに東部2州に対する戦争をし続けていました。ウクライナの前大統領でミンスク合意の当事者であるポロシェンコ氏は最近の発言で、停戦合意は軍を強化しロシアとの戦争に備えるために時間稼ぎのためのものだった、と真剣に停戦するつもりが初めから全くなかったことを吐露しています。(https://ameblo.jp/sherryl-824/entry-12749065803.html)。今の戦争はその延長線上にあるのです。そこではウクライナ政府が加害者であり、東部2州の人々が被害者です。ロシアは侵攻開始直前に二つの「人民共和国」を承認し、その防衛要請に基づいて参戦した形をとっています。日本でもメディアが頭から存在していないと否定するウクライナの「ネオナチ」部隊は、このウクライナが仕掛けた戦争で最前線に立ってロシア語系の人々を攻撃してきた当事者です。
第2に、ロシアに対する軍事包囲を強め、脅威を与えていたのは米・NATO・ウクライナの方です。NATOは1990年代の「NATOを1インチも東に拡張しない」という約束を破って、どんどんロシア国境に詰め寄り、ポーランドとルーマニアに事実上の中距離ミサイルとして使えるSM6ミサイルを発射できる「イージス・アショア」を配備しました。ウクライナのNATO加盟で、ロシアはすぐ隣から米のミサイル攻撃を受ける危険を感じていました。さらにゼレンスキー大統領は21年春にミンスク停戦合意を守らない(戦争を続ける)と宣言し、クリミヤと東部2州を武力ででも取り返すと公言しました。ロシアが「ウクライナのNATO加盟を認めるな」「加盟をやめないなら戦争になる」と何度も警告したにもかかわらず、バイデン大統領はこの警告を一顧だにせず「NATOは常に開かれている」とウクライナのNATO加盟支持の態度を取り続けました。戦争になるとわかっているのに、それを回避する手段を全くとらなかったのです。いわば米は戦争になるのがわかっていてロシアにやらせたのです。そしてロシアが戦争を始めるや、戦争をロシアに打撃を与え、弱体化するための道具として最大限利用しようとしました。だから、ロシアは米によって戦争を強いられたとも言えます。もちろんその場合でもロシアがウクライナ全土に侵攻したことは正当化できません。
ロシア側はさらに、ウクライナ側が2月の末から3月にかけて東部2州に対する武力攻撃を準備し、東部に侵攻の主力部隊を結集させていたと主張しています。時間の問題で、ウクライナは東部2州、クリミヤをめぐってはロシアとの戦争を引き起こそうとしていたというのです。このことについて全面的に検証することは今の段階ではできません。戦争の中で信頼できる証拠で立証できないからです。しかし、ドンバスを中心にウクライナ軍の主力が結集していて、すでに戦争態勢にあったこと、戦争開始後その部隊がこの地区に立てこもって要塞化しロシアの侵攻を阻止してきたことを見れば、ウクライナ軍が侵攻の準備をしていたと言われても不思議ではありません。
ウクライナ軍が戦争を仕掛けるつもりだったというもう一つの証拠が下の記事で紹介されている欧州安全保障機構OSCEのウクライナ停戦監視団によるドンバスでの停戦違反についての報告です。この問題は6月18日にカネコア・ザ・グレート氏がブログで取り上げています。
OSCE Reports Reveal Ukraine Started Shelling The Donbas Nine Days Before Russia's 'Special Military Operation'
https://kanekoa.substack.com/p/osce-reports-reveal-ukraine-started
その内容は、ウクライナ軍の東部2州に対する攻撃は侵攻開始の2月24日以降ではなく、すでに8日前の2月16日には急増し、事実上戦争は始まっていたというのです。
カネコア氏は、2014年に米主導でのクーデターで当時のウクラナイ政権を打倒し、新政権を作ってから戦争が始まったこと。ルハンスクとドネツクの国民投票で圧倒的多数(ルハンスク96%、ドネツク89%)が自治共和国創設に賛成票を投じたこと、既に8年間で14000人の市民と兵士の犠牲が出ていたことを述べています。その双方から情報収集をすることを許された唯一の国際文民監視団(OSCE監視団)のデータから、①2月16日にウクライナ側が大規模な砲撃をドンバス共和国に始めた。②砲撃・爆発の大部分は停戦ラインの人民共和国側で起こり、ウクライナ側からの砲撃であることが明かであるとしています。この砲撃の急速な増加は、双方の緊張の激化がもたらしたのではなく、ウクライナ側からの一方的なエスカレーションであり、事実上の戦争の開始であると考えることができます。ウクライナ側もこの時期に戦争を始めるつもりだったのです。
ここではいくつかの図を引用して、彼の検証を紹介します。
図1 OSCE SMM Daily Report 2月16日に爆発(砲撃)が急増している。15日にはわずか76件だったものが3日後の18日には1400件と20倍以上に増えている。
図2 停戦違反の長期的推移をみても2月中旬の急増は異常であること
図3 砲撃地点は大半が人民共和国側で、発射しているのがウクライナ軍であること(赤線の右側が人民共和国)
最後に、ウクライナ軍による東部2州への攻撃は現在でも続いています。マリウポリやウクライナの都市での被害は西側メディアに大きく取り上げられていますが、人民共和国側の市民にも同様の被害が出ているのですが、それは西側メディアにはほとんど取り上げられません。現地に入ったフリーのジャーナリストがインターネット通じて発信する情報だけに限定されています。これもまたウクライナ側を被害者・善に、ロシア側を悪に描こうとする情報操作・プロパガンダの結果なのです。(和田)
2月24日にロシアがウクライナに侵攻を開始してから4か月になります。この侵攻は独立主権国家に対する侵略であり国際法違反の行動でした。結果としてウクライナの市民、両国の兵士に膨大な死傷者を生み、経済に重大な被害を与えました。その点でロシアは非難を免れません。
しかし、同時にメディアはロシアが全面的に悪くて、プーチンは独裁者で頭がおかしい、ウクライナは被害者で全部正義で、武器を送り込んで戦いを支える米とNATOも正しく、正義だと、客観的な事実ではなくプロパガンダだけを流し続ています。戦争が始まってそれはますますひどくなっています。いまやこのプロパガンダの氾濫を押しのけて、事実を自分で確認しながらしか戦争の真実の姿を掴むことはできません。
これまでも指摘してきましたが、この戦争の性格は複雑です。ロシアだけに責任があるわけではありません。いや、戦争の原因をつくりロシアを戦争に追いやったのは米とNATO、ウクライナの側だと考えます。なぜなら、第1に、ウクライナは2014年に国内の東部2州のロシア語系の人々(のちの二つの「人民共和国」)に対する戦争を始め、8年間にわたって停戦合意を守らずに東部2州に対する戦争をし続けていました。ウクライナの前大統領でミンスク合意の当事者であるポロシェンコ氏は最近の発言で、停戦合意は軍を強化しロシアとの戦争に備えるために時間稼ぎのためのものだった、と真剣に停戦するつもりが初めから全くなかったことを吐露しています。(https://ameblo.jp/sherryl-824/entry-12749065803.html)。今の戦争はその延長線上にあるのです。そこではウクライナ政府が加害者であり、東部2州の人々が被害者です。ロシアは侵攻開始直前に二つの「人民共和国」を承認し、その防衛要請に基づいて参戦した形をとっています。日本でもメディアが頭から存在していないと否定するウクライナの「ネオナチ」部隊は、このウクライナが仕掛けた戦争で最前線に立ってロシア語系の人々を攻撃してきた当事者です。
第2に、ロシアに対する軍事包囲を強め、脅威を与えていたのは米・NATO・ウクライナの方です。NATOは1990年代の「NATOを1インチも東に拡張しない」という約束を破って、どんどんロシア国境に詰め寄り、ポーランドとルーマニアに事実上の中距離ミサイルとして使えるSM6ミサイルを発射できる「イージス・アショア」を配備しました。ウクライナのNATO加盟で、ロシアはすぐ隣から米のミサイル攻撃を受ける危険を感じていました。さらにゼレンスキー大統領は21年春にミンスク停戦合意を守らない(戦争を続ける)と宣言し、クリミヤと東部2州を武力ででも取り返すと公言しました。ロシアが「ウクライナのNATO加盟を認めるな」「加盟をやめないなら戦争になる」と何度も警告したにもかかわらず、バイデン大統領はこの警告を一顧だにせず「NATOは常に開かれている」とウクライナのNATO加盟支持の態度を取り続けました。戦争になるとわかっているのに、それを回避する手段を全くとらなかったのです。いわば米は戦争になるのがわかっていてロシアにやらせたのです。そしてロシアが戦争を始めるや、戦争をロシアに打撃を与え、弱体化するための道具として最大限利用しようとしました。だから、ロシアは米によって戦争を強いられたとも言えます。もちろんその場合でもロシアがウクライナ全土に侵攻したことは正当化できません。
ロシア側はさらに、ウクライナ側が2月の末から3月にかけて東部2州に対する武力攻撃を準備し、東部に侵攻の主力部隊を結集させていたと主張しています。時間の問題で、ウクライナは東部2州、クリミヤをめぐってはロシアとの戦争を引き起こそうとしていたというのです。このことについて全面的に検証することは今の段階ではできません。戦争の中で信頼できる証拠で立証できないからです。しかし、ドンバスを中心にウクライナ軍の主力が結集していて、すでに戦争態勢にあったこと、戦争開始後その部隊がこの地区に立てこもって要塞化しロシアの侵攻を阻止してきたことを見れば、ウクライナ軍が侵攻の準備をしていたと言われても不思議ではありません。
ウクライナ軍が戦争を仕掛けるつもりだったというもう一つの証拠が下の記事で紹介されている欧州安全保障機構OSCEのウクライナ停戦監視団によるドンバスでの停戦違反についての報告です。この問題は6月18日にカネコア・ザ・グレート氏がブログで取り上げています。
OSCE Reports Reveal Ukraine Started Shelling The Donbas Nine Days Before Russia's 'Special Military Operation'
https://kanekoa.substack.com/p/osce-reports-reveal-ukraine-started
その内容は、ウクライナ軍の東部2州に対する攻撃は侵攻開始の2月24日以降ではなく、すでに8日前の2月16日には急増し、事実上戦争は始まっていたというのです。
カネコア氏は、2014年に米主導でのクーデターで当時のウクラナイ政権を打倒し、新政権を作ってから戦争が始まったこと。ルハンスクとドネツクの国民投票で圧倒的多数(ルハンスク96%、ドネツク89%)が自治共和国創設に賛成票を投じたこと、既に8年間で14000人の市民と兵士の犠牲が出ていたことを述べています。その双方から情報収集をすることを許された唯一の国際文民監視団(OSCE監視団)のデータから、①2月16日にウクライナ側が大規模な砲撃をドンバス共和国に始めた。②砲撃・爆発の大部分は停戦ラインの人民共和国側で起こり、ウクライナ側からの砲撃であることが明かであるとしています。この砲撃の急速な増加は、双方の緊張の激化がもたらしたのではなく、ウクライナ側からの一方的なエスカレーションであり、事実上の戦争の開始であると考えることができます。ウクライナ側もこの時期に戦争を始めるつもりだったのです。
ここではいくつかの図を引用して、彼の検証を紹介します。
図1 OSCE SMM Daily Report 2月16日に爆発(砲撃)が急増している。15日にはわずか76件だったものが3日後の18日には1400件と20倍以上に増えている。
図2 停戦違反の長期的推移をみても2月中旬の急増は異常であること
図3 砲撃地点は大半が人民共和国側で、発射しているのがウクライナ軍であること(赤線の右側が人民共和国)
最後に、ウクライナ軍による東部2州への攻撃は現在でも続いています。マリウポリやウクライナの都市での被害は西側メディアに大きく取り上げられていますが、人民共和国側の市民にも同様の被害が出ているのですが、それは西側メディアにはほとんど取り上げられません。現地に入ったフリーのジャーナリストがインターネット通じて発信する情報だけに限定されています。これもまたウクライナ側を被害者・善に、ロシア側を悪に描こうとする情報操作・プロパガンダの結果なのです。(和田)