今日は七夕。そして私の亡き母の誕生日である。
母の生年月日は昭和七年七月七日。あえて元号で書くのは、母がいつも私にこう語っていたからである。「七と言えばラッキーセブン。それが三つも続いたのに娘時代は戦争のせいで不幸続きであった」と。そして母が五歳のこの日、蘆溝橋事件が起こり、日本は中国との戦争に突入していった。
母は比較的裕福な家に生まれた。どれくらい裕福だったかと言えば、他の子どもの弁当はごはんに梅干しが一つ乗っているだけの「日の丸弁当」だったのに、母の弁当にはいつも卵焼きがおかずに入っていたというぐらいの裕福さであった。しかし、戦況が激しくなるにつれ、その生活もいつしかままならないものになっていった。
供出、食糧難、疎開、空襲…。
母の戦争体験の話はいつもとても真に迫っていた。母が雪降る里への疎開を語ると私の目の前には豪雪が見え、大阪大空襲を語ると真っ赤に焼けた空が見えてくるのであった。まるで映画を見るように生々しく劇的で、何度聞いても飽きなかった。
戦争の話をした時、母はいつも最後にはきまって「日本が負けてよかった」と締めくくっていた。「もしも日本が勝っていたら、今頃はまだ戦争をし続けていただろう。そしたら、まあちゃん(私の兄)も兵隊に取られてしまう。平和になってよかった」と。
母はもういないが、戦争を憎み平和を愛しむ母の心は、私の中に深く刻まれ、決して忘れることはない。それはもはや私自身の一部だからである。(鈴)
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