大阪の会の伊賀さんから大田原市教委へ批判の声を届けるよう要請がありました。http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/9805102e59c555823a710e68d5fceafd
私も子を持つ親としてとても黙っておれません。今朝以下の文面でファックスを送りました。
大田原市教委は4年前もつくる会教科書を採択しました。しかも採択に反対する教育委員が海外出張中に採択を決行するという、クーデターまがいの手法で。
今年も確信犯でしょう。まったく教育を何だと思っているのでしょうか?!
確信犯の大田原市教委に批判の声を寄せましょう!
*********
大田原市教育委員会 様
(FAX 0287-22-4485)
「つくる会」系教科書を採択するのは絶対にやめてください。
前略。突然のファックスをお許し下さい。
下野新聞によれば大田原市教委学校教育課は、「実質、自由社版と扶桑社版の比較になる」と発言されたそうですね。同新聞では「つくる会系教科書が採択されることはほぼ確実だ」と報じていました。
私は驚きと怒りでいっぱいです。
他にもたくさん教科書はあるのに、なぜよりにもよってあの二社なのですか。自己欺瞞で差別的な視点に立った教科書だけを比較し、採択するなんて。
思えば四年前、扶桑社の教科書採択が報じられたとき、私は大田原市教委に抗議のファックスを送りました。
この四年間、大田原市では子ども達にどのような教育がされてきたのか、その事を思うとぞっとします。
ほんとうにまた、あの「つくる会」系教科書を採択するつもりなのですが。
しかも今年は会が二つに分裂し、著作権を巡ってお互いが泥仕合を繰り広げている最中だというのに、そんな信用の置けない教科書を採択するつもりなのですか? 著作権騒動の推移次第では、途中で使用が差し止めになるかも知れない、そんな教科書だというのに。
これは大田原市民の総意なのでしょうか? 大田原市の子どもを持つ親は皆、教育委員会と同じ事を望んでいるのでしょうか?
仮にそうであれば私はそんな人たちとはつきあえないし、決してそうではないことを信じたいです。
せめて大田原市の子を持つ親の意見を酌んでから、教科書採択をしてください。子ども達は親の独占物ではありませんが、それ以上に教育委員会の独占物ではありません。
私は小学校六年生と三年生の子を持つ親です。上の子は来年には中学生になります。
私の二人の子は、私・日本人と妻・在日韓国人の両親のもとに、この世に生を受けました。私は子ども達に、自分らしくすくすくと育ってくれれば、それ以外に何も望む物はありません。すくなくとも日本人であるということと同時に在日韓国人でもあるということは、何の矛盾もないはずです。
しかしあの二つの教科書はそこに対立を持ち込みます。あの二つの教科書の理屈では、「日本人は偉い」で「朝鮮人は愚か」なのですから。あの二つの教科書は私の子ども達が、何の矛盾もなく成長することを許しません。もしあの教科書で教育を受けたとすれば、私の二人の子はどのような矛盾を内に抱えてしまうことか……。
あるいは「日本人が偉い」と刷り込まれた同級生達に、いじめられるかも知れません。
この四年間、大田原市では私の子どもと同じような境遇の子はいなかったのでしょうか。その事がとても心配でたまりません。
教育とは人の内面に関わるもので、とてもデリケートなものです。もし表面化しなかったとしても、大田原市の教育のせいで心に傷を受けた子どもが一人でもいるとすれば、それは絶対に許されないことです。
私は大田原市を起点として、私の住む大阪にまでその影響が及んでくる可能性に、笑い事ではなく真剣に怯えています。
私の二人の子を生かして下さい。あの二冊の教科書の存在は、私の二人の子の存在を全否定することに他なりません。日本人以外の人間を貶めることが教科書の存在価値ですか? それがあなた達の教育ですか?
「つくる会」系教科書採択しか視野にないというあなた達の姿勢は、自虐の極みです。
四年前の大田原市での採択時、市教委の小沼隆教育長は記者会見を開き、採択の理由について「自国の伝統、歴史を正しく学習して日本という国に愛着をもった子どもが育つと思う」と説明しました。あなたたちは私の子どもにもそれを求めるのですか?
他者との比較の上でしか己の優位性を確認できないことは、自虐以外の何物でもありません。朝鮮人を貶め、中国人を貶め、他者を貶めることにより築かれる誇り、そんなものは誇りでも何でもありません。まさに「自虐史観」の名は、小沼教育長のような方に冠せられるべきです。
自由社版と扶桑社版の教科書の採択だけは、絶対にやめてください。
お願いします。
2009年7月8日早朝
(カラン)
私も子を持つ親としてとても黙っておれません。今朝以下の文面でファックスを送りました。
大田原市教委は4年前もつくる会教科書を採択しました。しかも採択に反対する教育委員が海外出張中に採択を決行するという、クーデターまがいの手法で。
今年も確信犯でしょう。まったく教育を何だと思っているのでしょうか?!
確信犯の大田原市教委に批判の声を寄せましょう!
*********
大田原市教育委員会 様
(FAX 0287-22-4485)
「つくる会」系教科書を採択するのは絶対にやめてください。
前略。突然のファックスをお許し下さい。
下野新聞によれば大田原市教委学校教育課は、「実質、自由社版と扶桑社版の比較になる」と発言されたそうですね。同新聞では「つくる会系教科書が採択されることはほぼ確実だ」と報じていました。
私は驚きと怒りでいっぱいです。
他にもたくさん教科書はあるのに、なぜよりにもよってあの二社なのですか。自己欺瞞で差別的な視点に立った教科書だけを比較し、採択するなんて。
思えば四年前、扶桑社の教科書採択が報じられたとき、私は大田原市教委に抗議のファックスを送りました。
この四年間、大田原市では子ども達にどのような教育がされてきたのか、その事を思うとぞっとします。
ほんとうにまた、あの「つくる会」系教科書を採択するつもりなのですが。
しかも今年は会が二つに分裂し、著作権を巡ってお互いが泥仕合を繰り広げている最中だというのに、そんな信用の置けない教科書を採択するつもりなのですか? 著作権騒動の推移次第では、途中で使用が差し止めになるかも知れない、そんな教科書だというのに。
これは大田原市民の総意なのでしょうか? 大田原市の子どもを持つ親は皆、教育委員会と同じ事を望んでいるのでしょうか?
仮にそうであれば私はそんな人たちとはつきあえないし、決してそうではないことを信じたいです。
せめて大田原市の子を持つ親の意見を酌んでから、教科書採択をしてください。子ども達は親の独占物ではありませんが、それ以上に教育委員会の独占物ではありません。
私は小学校六年生と三年生の子を持つ親です。上の子は来年には中学生になります。
私の二人の子は、私・日本人と妻・在日韓国人の両親のもとに、この世に生を受けました。私は子ども達に、自分らしくすくすくと育ってくれれば、それ以外に何も望む物はありません。すくなくとも日本人であるということと同時に在日韓国人でもあるということは、何の矛盾もないはずです。
しかしあの二つの教科書はそこに対立を持ち込みます。あの二つの教科書の理屈では、「日本人は偉い」で「朝鮮人は愚か」なのですから。あの二つの教科書は私の子ども達が、何の矛盾もなく成長することを許しません。もしあの教科書で教育を受けたとすれば、私の二人の子はどのような矛盾を内に抱えてしまうことか……。
あるいは「日本人が偉い」と刷り込まれた同級生達に、いじめられるかも知れません。
この四年間、大田原市では私の子どもと同じような境遇の子はいなかったのでしょうか。その事がとても心配でたまりません。
教育とは人の内面に関わるもので、とてもデリケートなものです。もし表面化しなかったとしても、大田原市の教育のせいで心に傷を受けた子どもが一人でもいるとすれば、それは絶対に許されないことです。
私は大田原市を起点として、私の住む大阪にまでその影響が及んでくる可能性に、笑い事ではなく真剣に怯えています。
私の二人の子を生かして下さい。あの二冊の教科書の存在は、私の二人の子の存在を全否定することに他なりません。日本人以外の人間を貶めることが教科書の存在価値ですか? それがあなた達の教育ですか?
「つくる会」系教科書採択しか視野にないというあなた達の姿勢は、自虐の極みです。
四年前の大田原市での採択時、市教委の小沼隆教育長は記者会見を開き、採択の理由について「自国の伝統、歴史を正しく学習して日本という国に愛着をもった子どもが育つと思う」と説明しました。あなたたちは私の子どもにもそれを求めるのですか?
他者との比較の上でしか己の優位性を確認できないことは、自虐以外の何物でもありません。朝鮮人を貶め、中国人を貶め、他者を貶めることにより築かれる誇り、そんなものは誇りでも何でもありません。まさに「自虐史観」の名は、小沼教育長のような方に冠せられるべきです。
自由社版と扶桑社版の教科書の採択だけは、絶対にやめてください。
お願いします。
2009年7月8日早朝
(カラン)