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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

「ダメ教員は辞めさせる」の思想は危険(下)

2011-12-20 | 大阪「教育基本条例」


 以下では、“公教育への不信”、“問題教員の存在とそれへの保護者の不信”という問題で、尾木直樹氏、内田樹氏、渡部謙一氏の論を紹介します。

□尾木ママでテレビでも知られる尾木直樹氏は、“現在の親たちが学校教育不信や教員不信を持つのは、現在の親の世代が育った環境が大きく影響し、自身が学校に通っていた70年代から80年代の校内暴力が吹き荒れた時代に、教員が何もしてくれなかったという被害感覚をもっている”という評価を下しています。(朝日新聞10/28朝刊「大阪府教育基本条例案とは:下」)

 「「尾木ママ」として知られるようになってから、若い親御さんたちの集まりに呼ばれる機会がすごく増えたのね。よく耳にするのは、「学校や先生はうちの子 をちゃんと見てくれない」「ほったらかしにされている」といった声。「言いがかりでは?」と思える内容もあるけど、みんな切実なのよ。
 
 ――なぜ切実な不満が増えているのでしょうか。

 今の若い親は、校内暴力やいじめの嵐が吹き荒れた1970~80年代を経験した世代。「学校や教師は助けてくれなかった」という思 いが公教育不信につながっているのね。教育委員会相手に大立ち回りを演じる橋下知事の姿に溜飲(りゅういん)を下げている人も多いと思いますよ。

 同じく尾木直樹氏は、歴史的に子どもの変化にも注目します。尾木氏は1997年に子どもの変化が現れたと言います。象徴的な出来事として、小学校一年の学級崩壊という、これまでなかった現象が各地で報告されるようになったとしています。教師への反発や校内暴力などは以前からあったが、明らかに違った傾向を示し、いわゆる「不良」ではなくごく普通の子が突然キレるという現象が生じてきたと言います。
 尾木氏は、その変化について90年代に始まった徹底した管理教育の影響と分析し、教員が従来のままでは対応できないほどの大きな変化が子どもと学校現場に起こったととらえています。1997年は「酒鬼薔薇聖斗事件」があった年で、こどもたちのそのような変化と無関係ではないとしています。

 尾木氏は、それだからこそ、多様化する子どもの要求に沿った教育が必要で、グローバル人材の育成という「時代遅れ」の教育目標で子どもたちを従わせる管理教育は間違いと主張します。

 また、尾木氏は最後に、「ダメ教師」「D評価」の基準はきわめてあいまい、主観的で、かつて教師をやっていた尾木氏自身が「D評価」になるかもしれないと語ります。

――親たちが不満を持っているダメな先生に、今の制度は甘いという声もあります。
 
 頑張る先生の前向きな努力を引き出す評価方法を検討するのはいいと思うのよ。でも条例案のように、一律5%程度の教師を最低ランク の「D」評価にしなけ ればいけないなんて、有害無益。抱えている事情は学校や先生ごとに様々なはずでしょ。頭のいい生徒を囲い込んで要領よく成果を上げる 先生が得をして、問題 のある生徒にじっくり向き合う先生が損をするようになったら退廃の極み。
 
 私も昔、中学校教師でしたけど、荒れた生徒や問題のある生徒にこそ愛情が必要だと考え、寄り添い続けてきたつもり。でも大阪ではD 評価かもねえ……。

□内田樹氏は、現在の卒業してからの進路の険しさを指摘しています。大学を出ても従来のようないい就職先があるとは限らないなど社会・労働環境が極度に悪化していること、それによって保護者の教育への不安も高まり、きちんと卒業して就職できる教育を学校教育に求めたいという親の率直な気持ちが、教員や学校への不信となって現れていると分析しています。(朝日新聞10/13朝刊「競争原理むしろ学力下げる」)

 「博士号を取得しながら、それ相応の職に就けず、コンビニでアルバイトをしながら食いつないでいる人達がいる。その様な国では、子供たちが勉強しようという気にならず、保護者が教師を大事に扱わないのは当然の成り行きではないか」。
 「都市の公立の学校では、両親が共働きで、子供の教育に使う時間も金銭的余裕もないし、現在のような不合理な富の分配に対して、どこにぶつける事もできない潜在的怒りの念を持っている人が増えている。それは些細な事が原因ではけ口を見つけると極めて攻撃的な態度を取り、その矛先の一つが子供の学校の教員という現象になっていると思われる」。

・内田樹氏は、『下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉』で、新自由主義的市場主義の席巻ですべてのものが商品、サービスとされ、公教育もサービスとされて、保護者や子どもが教員に対して、学校に行かせている事に対する「対価」を「良質なサービス」として求める傾向があることを指摘しています。

 従って私たちは、この問題を単なる「教育問題」としてではなく、現在のグローバル資本主義の批判とあわせて議論しないわけにはいきません。そして、このグローバル資本主義、市場万能主義、新自由主義こそは、教育基本条例で基本理念とされている「グローバル社会に十分に対応できる人材」として子どもを送り込もうという世界なのです。

・進学競争が激化し塾の台頭によって、学校教育が低くみられていること、特に都市部では、教員よりも親が高学歴の場合があり、教育者としての教員の権威が下がる傾向にあるとなどの指摘もあります。
 これらは学校教育や教員だけに責任を求めるのは間違いで、子どもの変化、またそれを規定した社会・労働環境の変化の帰結と言わなければなりません。

□元東京都立学校校長の渡部謙一氏は、「協働性こそ教育活動の命」「「一人の優れた教師より、協働する全教職員集団を」という考えを強調し、教職員同士の関係、教育管理職と一般教職員との関係、教職員と子どもとの関係、教職員と保護者との関係などを自らの経験をもとに論じています。その根底にあるのは、学校という教育現場での民主主義の重要性とさまざまな子どもの可能性に対する信頼です。そのような脈絡の中で、いわゆる「問題教員」についても以下のように語っています。

 「問題を持つ教員はどの学校にでもいるが、一人の教師のあり様はその教師集団の有様と切り離せない、その教師の問題を通してみんなが変わっていく中で当人も変わっていくのだ」

 つまり問題教師を個人の責任としてクレームや切り捨ての対象にするのではなく、教職員集団の中で互いに学びあい育っていくことが大事だとしています。

 「この生徒はダメだと言ったとき、その教師はすでにダメになっているんだ!」

 これは渡部さん自身が新任教師の時、先輩教師から叱責を受けたときの言葉ですが、彼はこれを大切にし、「ダメ教師」とは生徒への教育の情熱を失った教員であり、そのような情熱や姿勢は、教師集団による「協働」によって培われるとしています。
 逆に言えば、「協働」を破壊する条例は、現在がんばっている教師のやる気を削いでしまい、大量の「ダメ教師」「問題教師」を生み出してしまうことになります。

 渡部さんの著書は以下のような言葉で締められています。

  「教育の条理とかけ離れた管理と統制の東京の「教育改革」のもとでもそれほどには学校や教育が破壊されていないのは、教師たちのがんばりがあるからである。
 世界一過重な労働を強いられ、しかもその労働時間のうち授業以外の勤務が七割という最悪の条件の下、学校現場で毎日生徒のためにがんばっている教師がいるという事実、この事実にこそ私たちの希望がある。教師が悪いから教育がよくならないと最前線で苦闘している教師たちを攻撃してどうして教育を改革することなどできるだろうか」

 「ダメ教員は辞めさせる」という思想は、「教職員バッシング」「公務員バッシング」というイデオロギーとして危険であるというだけでなく、問題の所在をわからなくし、教員だけの責任に解消し、学校教育そのものを破壊に導いていく危険をはらんでいると言えます。

※(紹介)『東京の「教育改革」は何をもたらしたか--元都立高校長の体験から』(リブインピースブログ)
http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/aceb40208bca5e57662196b81beb186d (上)
http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/2f18542d4fa4c1eafe07e5528c6fb097   (中)
http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/c791a5c809e4a5bfa9a0db96744a6c88   (下)

--冒頭の問題提起に戻り、民意で選ばれた政権は教育に介入しても良いかという問題について、憲法学者の西原博史さんは日本国憲法の規定から、「民主的に決定された国家意志であっても踏み込めない個人の領域」が存在しており、「基本的人権」=「自分らしく生きていく権利」が守られなければならないという観点から、いかなる国家・政府の介入をもきっぱりと拒否します。日本国憲法は「個人の尊重」という普遍的な価値を基本原理に置いています。したがって、この普遍的価値はいかなる政権、国家によっても守られなければなりません。
※シリーズ:「教育基本条例」の危険(その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない
http://www.liveinpeace925.com/commentary/kyoiku_kihon_jorei15.htm

♪♪たばこを吸いながら あの部屋にいつも一人
  ぼくと同じなんだ 職員室がきらいなのさ

  ぼくの好きな先生
  ぼくの好きなおじさん

  たばこを吸いながら 劣等生のこのぼくに
  すてきな話をしてくれた ちっとも先生らしくない

  ぼくの好きな先生
  ぼくの好きなおじさん

(「ぼくの好きな先生」 RCサクセション 作詞:忌野清志郎)

(ハンマー)

「ダメ教員は辞めさせる」の思想は危険(上)


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