大阪府泉南地域のアスベスト(石綿)被害の訴訟の高裁判決が8月25日にあった。大手メディア各紙が報じたが、毎日新聞が一番大きく取り上げた。
「アスベスト:大阪・泉南訴訟 被害者、逆転敗訴 高裁、国の不作為責任認めず」
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/08/26/20110826ddm041040098000c.html
「アスベスト:大阪・泉南訴訟 被害者、逆転敗訴 その朝、80歳無念の死」
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/08/26/20110826ddm041040180000c.html
記事によれば、高裁は「化学物質の危険性が懸念されるからといって、ただちに製造、加工を禁止すれば産業社会の発展を著しく阻害しかねない」と指摘したという。さらに「健康被害が発生した場合も、規制権限の不行使がただちに違法にはならない。許容される限度を逸脱して、著しく合理性を欠くときに限り違法」とした、という。
「解説」は、「司法判断の流れに逆行」として、「今回の判決は産業発展を重視し、規制に関する国の裁量権を広範に認めた。」と述べている。
判決の日の早朝、原告のひとりで80歳の女性が亡くなった。5人の子どもを育てるために、石綿の舞う職場で働いたという。亡母に代わって法廷に駆けつけた娘さんは、「ミイラのようにやせ細り、なぜあそこまで苦しまなければならなかったのか」と号泣したという。
他の原告のひとりは、「(高裁は)経済発展のため泉南の人間は野垂れ死にしてもいいと判断したのか、と思った」と述べた。原告らは「人の心ないのか」と憤ったという。
(8月26日に朝日新聞で読んだときにも涙なしには読めなかった。重要なことが含まれているからという思いでいくつもの新聞記事を丁寧に読んだが、貧困の中で53歳で癌で亡くなった母親とダブって、どうにも涙が止まらなかった。泉南に近い泉北で生まれ育って、日本が「公害列島」と呼ばれた頃の、当地の中小企業・町工場の状況とそこで働く人々の様子も思い出す。)
重要だと思う点は2つある。ひとつは、今後どれだけ生ずるか予想もつかないほどの原発被害、それをにらんだ判決ではないか、ということである。これまでの公害関係の訴訟での「司法判断の流れに逆行」ということが、意図的におこなわれたのではないか。
まさに、原告らの言う通り、「人の心ないのか」!!!
もうひとつ重要だと思うことは、「経済活動の自由」を他のあらゆることに優先する社会に私たちは生きているということである。人の健康や命よりも! それが、これまでのあらゆる公害訴訟の中で明らかにされてきたし、今回もまた、これまで以上に明瞭に示された。そして、今の原発事故においても、日々示されている!
私たちが生きているこの社会は、「人の健康や命に支障がない限り経済活動は自由に認められる」というような社会ではない。「経済活動の自由が阻害されない程度に人の健康や命に配慮する」という社会である。
そのような社会を根本的に変えることのない反原発・脱原発では、原発による被害がなくなったとしても同様のことは繰り返し起こるだろう。これまでも繰り返され、今回のアスベスト被害でも繰り返されたように。(原発による被害は、本当になくなるかどうかもわからず、なくなるとしてもそれにはとてつもない時間がかかるのだが、それは今はおくとして。)
社会変革のための反原発・脱原発を!
社会変革のために、公正を求めるあらゆる運動の結合・協力を!
(ヒデ)