10月10日の朝日新聞の社会面に、「維新の会」大阪市議の坂井良和氏のインタビュー記事が掲載されていた。
教育への政治介入やエリート教育、競争主義の導入を正当化する主張を展開しているが、特にここを読めば、この「教育基本条例」で何を求めているのかがよくわかる。
――試行錯誤を重ねるというが、失敗したら、巻き込まれた子どもはどうなるのか。
(坂井氏)だからこそ自由に学校を選べる環境を整える。学区を撤廃し、学校選択制を導入し、学力テストの結果も学校別に公表する。そうすれば親と子が学校を選べる。自分で選ぶのだから結果責任も取る。文句ばかり言ってられなくなる。
「教育を無責任な官僚から国民の手に取り戻すべきだ」と主張する坂井氏の本音がまさにここに表れている。彼の言う「国民」の中に、はたして当事者である親と子が含まれているのだろうか。もしも含まれているのだとすれば、「教育を国民の手に取り戻す」とは、責任を国民に押しつけることでしかなくなる。結局、国民の名を借りながら、自分の政策を教育に持ち込み、失敗した時の責任は国民に取らせるという無責任きわまりないやり方である。
格差を拡大するのではという懸念を示す質問者に対して、坂井氏はさらに言う。
「私は格差を生んでよいと思っている。税制や社会保障など、是正の制度は別にある。まずは格差を受け容れてでも、秀でた者を育てる必要がある。」
誰が格差を受け容れることになるのか。そのしわ寄せは経済的に最も苦しい者に集中していくことは明らかである。そして、「秀でた者」は、「グローバル社会に十分対応できる人材」として育てられていく。
坂井氏は言う、「人格形成だけで人は生きていけない」と。しかし、人格が未熟な“エリート”ほど恐ろしいものがあろうか。そんな者を育てることを良しとする「教育基本条例」は、絶対に実現させてはいけない。(鈴)