Nature d'eau

日々の思いをつづる

副作用と肝外病変

2019-08-05 13:48:31 | IFNフリー治療

このブログ、そんなにアクセスもないし、もしもこれから治療に入る人が読んだとしても脅かしにならないといいんですけど。

結果から言えば経口薬治療は副作用はそれほどひどくなく、ウイルスは消えたのです。

 

インターフェロンと違って今の経口薬治療は副作用が少ない、と言われています。

実際にその通りだという声も多くて。

私はインターフェロンは半年だけで中止しましたが、それを経験しているので

今回のヴィキラックス治療に恐怖心はありませんでした。

新しい仕事を覚えている最中でしたので、そっちに夢中になっていたのも精神的に良かったのかもしれません。

 

入院中は特につらい症状はなく、その後は痒みがありました。

痒みは副作用の一つとして書いてあったので想定内。

この治療日誌を見ると2週目に入った日に寒気と気持ち悪さ、

次ぐ日も寒気、と書いてあります。そのくらいもまあ大丈夫。

2週目の後半にワンオクのライブに行く予定がありまして(治療をすると決める前からチケットを取ってあった)、

それだけは這ってでも行くと思っていたので問題なく行けて良かったです

そして3週目初日、

「関節痛、全身辛い、起きていられない」と書いてあります。

私はしばらくこの関節痛がありました。

フキンを絞るときに「痛っ」と気が付いたのですが手首や指の関節がどうにも痛い。

包丁を持つのがつらかったです。膝も痛かったかな。

副作用に関節痛はないと思ったのですが。

何度か医師にもそれを言っていて、やがて「肝外病変」という言葉を言われました。

肝外病変とはC型肝炎ウイルスが肝臓以外にも障害を起こすこと。

知らなかった。。調べると

「うつ病、糖尿病、クリオグロブリン血症、ポルフィリン症、扁平苔癬などの発生が多くなることが知られており、その他、

慢性腎臓病、肺線維症、心筋症、関節リウマチ、認知症、悪性リンパ腫などにも関係します。」


ヴィキラックスの副作用というより、年齢的に膠原病を発症しやすい時期なので

傷みがひどくなるようならいずれ検査をしましょう、と言われました。

確かにリウマチによく似た感じではありました。

でもなんだかちょっと違うような気もして、とにかく少しでも楽になるよう

市内の温泉施設で岩盤浴によく行っていました。

ウイルスが消えてくれることが第一なので、少しくらいの犠牲は払ってでも、という気持ち。

その後4週目以降は週に一度か二度くらい関節痛と記載してあり、

ほんとは毎日痛かったのだろうけど特につらい日だけ記載していたと思われます。

 

何日か痛みのない日が続き、油断して庭のフェンスの建て替えという派手なことをやってしまった日は

派手に痛くなりました

けれど心配になるほど悪化はしなかったので治療終了とともに、

ウイルスの消失とともに関節痛も緩和していきました。

 

写真を撮る余力もあった^^;

 

治療が終わった後も時折痛みはあったのですがたぶん消えるものだろう、という感じでした。

ですので結局今まで膠原病の詳しい検査はしていませんし、今は痛みはありません。

副作用ではなく、肝外病変でもなかったのかなあ。

一番疑わしいのは更年期の症状かもしれないなあ、と勝手に自分で思っていますが。

 

肝外病変もウイルスがいなくなれば改善するものなんですよね。

 

余談ですが副作用に頭痛、とありますが

私はもともとひどい頭痛もちでしたのでむしろ治療中はいつもより頭痛が少ないくらいでした。

 

なぜか治療中から今に至るまで風邪をひきにくくなりました。

 

 

 

 

 


ウイルス量の推移

2019-08-02 14:33:57 | IFNフリー治療

肝炎治療の備忘録として書き始めたのに、途中のまま放置してすっかり忘れていました。

治ったら治ったで、日々の生活に追われているわけでして。

私がヴィキラックス治療したのが2017年。今はマヴィレットの登場で8週間で治ることも可能になっているんですよね。

8週間ってあっという間じゃないですか。

短ければ短いほど助かりますが、

が!

私のようにウイルスの減少がけっこうゆっくりめな人間にとっては かえってハラハラ、不安に陥るかも^^;

私はウイルスの変異もなく、病気の進行もそれほどなく ウイルスがなかなかなくならない要素はなかったはずなんですよね~。

治療前のウイルス量は6.3~6.1。どっちかというと多いほうですね。

 

3月15日から治療開始。

 

1週目の最終日に当たる3月21日にウイルス量計測。

3月21日 3.0 → 4月4日(3週目最終日) 2.0  減ってはいるが、、

こちらの記事で書いた通り、治療開始直後にビリルビンの上昇であわや治療中止か、とひやひやしたこともあり

4月4日の結果を見ながら医師から「これからがスタートだね」と言われました。

そして4月18日(開始から5週目最終日)ウイルスまだいる。  1.2+。

うん。治療中止にならなくて良かったし、ウイルスも減っているからいいんだけど、

でもでも、なんかゆっくり過ぎない?^^; 

ネットで他の患者さんのハーボニーやヴィキラックスの治療経過をいろいろ読み漁っていたのでその時の心境は

(70代、80代のじいさんでももっとスパーッと1カ月くらいでウイルスがいなくなっているのに私ときたら。。)

 

その頃、ずっとお世話になっていた気功の先生にも相談しててよくメールをしていました。

当時の心境が書かれているのでメールをここに転載しますと↓

昨日(4月4日の結果を聞いた日)の病院での結果ですが。
先生は黄疸の数値やらいろいろ出ちゃったけどこれからがスタートだね、と。
黄疸の数値は下がったのですけれど、肝心のウイルス量が減りはしましたが微妙な減り具合でした。
正直、これだけか、、と落胆してしまいました。
この治療に入る際、どういう推移で減って行くのかまで知っていたので。
70代80代のお年寄りでももっとガッと減って行くのに、
私のウイルスは薬剤の耐性変異もないので効きが良いはずなのに、どうしてなのか?
先生の、「これからスタート」という言葉を前向きに捉えれば良いのでしょうけどね。
必ずというわけではないですが、早い段階で消えた方がいいに越したことはないので猛追ですね。
肝機能の数値は健康な人と同じくらいまで下がってはいたのです。
こんな低い数値は今まで見たことがないくらい。
一昨年あたりまではギリギリ正常値で、ほんの軽いあるかないか程度の炎症でしたけれど、

今は炎症はおさまりやっと一休みしてるのかと思うと自分の肝臓にお疲れ様と言ってあげたい気分です。

こういうわけで一筋縄でいかない治療ですが、最後まで諦めずにやるしかないです。

↑ここまで。

トラアミが正常値なのでホッとしている反面、なんか精神的に追い詰められてました。

確かインターフェロンだと出来れば3か月以内にウイルスが消えるのが望ましい、遅くても半年以内に、というものだったので

この経口薬治療だとどうなのだろう?

遅くても治療が終了するまでに「検出セズ」になればいいのか、そこら辺がわからなかったので

(お医者さんに聞くのもコワい^^;)

勝手にハラハラしていました。

そんな時の心の支えは、先に治療に入っていた諸先輩方のブログ。

このブログにも以前コメントをいただいていたかたが10週で「検出セズ」になり、その後著効されていて。

その時は自分のことのように嬉しくて泣けました。

ですのでそれを信じて乗り切りました。

 

病院側の都合で4月18日から次の検査まで3週間空いてしまったのですが

(なんでこの大事なハラハラするときに限って3週も空けるの?!)

この結果を聞きに行くとき、電車の中で「このままどこかへ逃げてしまいたい。。」と思ったのを覚えている^^;

5月9日の結果で「検出せず」になりました。

8週目です。今から思えば別にそんなに気にするほどでもなかったなあ。

しかも3週間あいているので、もしかしたら6週目や7週目で消えていたかもしれないし。

先生に、「ウイルス消えるの遅かったですね」って言ったら

「あ、早くても遅くてもぜ~んぜん関係ないから」  

 

あっさり~

 

 

もう、かなりナーバスになっていました。

いや~、でも初めての「検出せず」です。うそみたい!この文字を見られる日が来るとは。

実感わかない。。

思い描いていたような感動的なシーンも特になし。

そんなもんです。

 

 

 

 


ALTの推移

2019-05-22 11:49:32 | IFNフリー治療
ヴィキラックス治療開始が2017年春のこと。

それまではずっと病院以外でのいわゆるホリスティック医学的なもので体を保っていました。

肝炎だけでなくほかのこと、体全体をケアするものなので治療院に通っている間は自分でも安心できていたのですが。

でも保険のきかない医療はやはり家計に響きまして。

一回の施術料が1万円。それは内容からすれば良心的なお値段ですがいろいろ考えちゃうんですよね。

この先一生通い続けることは経済的に無理かなあ、と。

交通費その他を含めると15000円ほど毎回かかっちゃうし。。

お世話になった先生には申し訳ないけど通うのをやめてみたのが2015年ころ。

その後半年ほどたったら、

ずうっとぎりぎり正常値だったALT、ASTが上昇してきました。

「あ~あ、一生このままウイルス共存しながら生きながらえると思っていたのに。。」

やっぱり治療院での施術は効いていたのでしょうか?それとも通い続けていてもウイルスが暴れだしてくる時期だったのか

それは今となってはわかりません。

しばらく様子見をしていましたが、ALT70~80くらい、その後100を超えるようになってきました。

治療院の先生に詫びてまた施術してもらいに行き

そうしたら70くらいまで下がったのですが、それ以上はもう下がらなくなりました。

ただALT100を超えても体感的にはなにもないんですよね。

特に体につらく感じることもないのでのん気だったといえばのん気でした。

1年以上様子見をして、

そうしているうちに経口薬だけの新薬が出ている、との情報で治療に踏み切ったのです。


2017年、虎ノ門を訪れた時点では



ALT130  AST79  ^^;)

やれやれ、新薬が出ていなかったら今頃どうなっていたのでしょう。


本当に医学の進歩に感謝しますよ。


そしてそれまで進行を食い止めてきてくれた治療院の先生にも今も感謝しています。

服用スタートしてからの推移は





3月中はゆるやかな下降、92→82→70。  4月に入ったら一気に下がっていますね。

70から19!  一気に10代、若返ったわ(笑)



その後もさらに下がりました。

4月18日 ALT14 AST 16  

ALT<AST と初めてひっくり返ったのでこの時にウイルス消失したのかなと期待したら



まだでした~!



実は私はウイルスが消えていくのものたのたしていました^^;








総ビリルビンの上昇

2019-04-04 02:08:43 | IFNフリー治療


2017年3月15日よりヴィキラックス服用開始です。

朝9時ころ看護師さんが持ってきてくれて、いよいよだ~、とごっくん。




飲んだ後なんだか体がホカホカしてきた気がしました。

そういう作用ってありますか?

インターフェロンと違って特に苦痛なものはなし。

ホカホカと気分よくのん気に過ごしてしました。

様子を見るための入院なので許可を取って外出もOKです。

「銀座へでも遊びに行っておいで」と先生ものん気なことを言っていました。

そして2日後の17日の朝。

外来のS先生と病棟担当のF先生がお揃いでお出まし。ちょっと真剣な顔をしている。。

ヴィキラックスって総ビリルビン値が上がる傾向があるらしいです。

(すみませんが曖昧な記憶を頼りに書いてます。。特に記録とか書いていなかったので)


16日 総ビリルビン 2.3

17日 総ビリルビン 2.6 (正常範囲は0.3~1.1)


この値が3を超えたら治療中止ですと!


なんと、私は今回治療に当たり特に心配な要素は持ってなかったはず。(遺伝子IL28マイナーなのは関係ないし)

やっぱり治療って始まってみないとわからない。

何が起こるかわからないですね。。

ネガティブモンスターな私はその晩眠れなかったです。

せっかくここまで辿り着けたのに、、泣けてきました。

まだ3を超えていないのに、きっとこのまま右肩上がりで上がってしまうに違いないと決めつけ。

さんざんLINEで友達に愚痴り、「もういいわ、さっさと中止して次の薬をやるわ」となげやり^^;


翌朝、自分の中では勝手に中止と腹を決め先生のお出ましを待っていると

「ロベリアさん、下がりましたよ」 と神の声。いや先生の声。

え~~~~!

2.6から2.1へ下がっていました。


まあ、ほんと嬉しかったです。陰性になった時よりも嬉しかったかも^^;

治療ができるってことが何より嬉しかったんですよね。

毎晩東京タワーを眺めながら再びのん気な日々。





入院って上げ膳据え膳で主婦にとってはほんとに骨休みになりますね。


そうして19日退院の日。

朝、支度を終え病院の出口を出た瞬間、

まさにドラマのようなんですがその瞬間に私の携帯が鳴りました。

出ると病棟担当のF先生。

「ロベリアさん、今朝の検査、また(ビリルビンが)上がっちゃった。」

まじか。。

慌てて説明を聞きに院内に戻りました。



ああまた2.5に上がってる。

「地獄から天国、また地獄へ落ちた気分です」(←おおげさ)と言うと、

先生は慌てて「全然まだ地獄じゃないですよ~~!」

それ聞いて、そうだよね、実際ほんとに治療中止になった人だっていたのかもしれないし、また下がるかもしれないしと思い直し

とにかく元気に帰宅することにしました。

2日後、また検査です。

家についてからは鏡を見ては白目が黄色くなってないか、チェックしていました(笑)

でもやっぱり家はいいなあ、と気が楽になりそれほど悲観的にはなりませんでした。


21日の採血。


1.5に下がっていました~。これで大丈夫です。

総ビリルビンが上がりやすいのは治療開始からだいたい1週間の間らしいです。

そのための入院だったんですね。

ひやひやのスタートですが、まあ、このあともひやひやというかやきもきがあるんですが^^;





まずは1週クリアってことで^^













IL28Bマイナータイプ

2019-03-09 22:54:07 | IFNフリー治療

入院前の検査のことに遡ります。

まずは

肝炎のかたのブログで虎の門病院の熊田先生の講演会がある、という情報をたまたま知り

さっそくそれに行ってみました。

そこでインターフェロンFreeの治療のこと、

ウイルスの遺伝子レベルの検査(でいいのかな?)のことなどを聞かせていただきました。

そして、やはり虎の門病院にお願いしようかな、と。他の病院を知らないし。

今まで肝炎治療に関しての情報はわざと避けて通っていたので病院についての知識が全くないのです。


一応書き記しておくと、わざと避けていたわけ↓



13年前のインターフェロン治療後(ウイルス消えないため半年で中止)、

バセドウ病を発症した私は結局肝臓の専門医にはかからず

10年以上バセドウ病の先生に肝機能も診てもらっていました。

それは私が希望したわけではないのですが、なぜか先生が自分が両方(甲状腺と肝臓)を診る、というので

私もそれでいいと思っていました。

そして甲状腺も肝臓も数値はほぼ正常値を保って約10年くらい過ごしてきました。

それには陰ではいろんな努力をして正常値を保ってきたわけです。

ウイルスを除去することはできなくても、元気で生き続けることは不可能ではない、

そういうスタンスでそういう筋の専門家の人に体を見てもらい

自分でもできることはやってきました。

あえてインターフェロン治療に戻ることはしない、そんな感じです。

(これは私がそうした、というだけで他人に勧めることはしません。)



2016年の初冬、

当時はハーボニー、ヴィキラックス、そして第4の薬エレルサ・グラジナが販売されようとしているところでした。



治療するにあたり、ウイルス自体を詳しく調べますが(耐性変異があるか、など)

それに加えて自分自身の遺伝子も調べるとのこと。

それがこの記事のタイトル「IL28B」。

13年前インターフェロン治療をしたときにはわからなかったこと。


この遺伝子IL28Bがマイナータイプですと、インターフェロンは効かないらしいです。

30人に1人の割合でいるんだったかな、

これを聞いたときに、「私はそうなんじゃないかな」と思いました。

結果、

まさにそうでした。




や~~っとわかりました。

当時あれほど苦しんだ理由。原因がわかってすっきりしました。

効かないんじゃしようがない。

バセドウ病がひどくて再治療できない、となったけど結局それで良かったんだ。

無理にインターフェロンで再治療しても甲状腺に影響が出てしまったでしょう、

バセドウ病もこじらせると厄介です。

とっとと方向転換したのも今となってはよかったのかも。

※これは個人的な記録で、治療記録というほどのものでもありません。

単に私のケースを綴っています。

どんな病気でもそうですが、ひとりひとりのパターンがそれぞれあります。※



ちょっとだけ不安になったのは、このインターフェロンフリー治療の場合は

IL28Bマイナーでも大丈夫なんでしょうね?ってこと。影響ないという話でしたが。


ウイルス自体は耐性変異なし、だったのでどの薬でも使えるってことで

担当のS先生「ヴィキラックスでいきます」キリッ。


当時ハーボニーのCM(と言うかギリアド社のCM)をさんざんTVでやっていたのでてっきりハーボニーだと思い込んでいた私は

「なんですか、それ?」 と間抜けな返事。

え~、何?ヴィキラックスって知らないし。(講演会で説明聞いたけどね^^;)

当時この病院のチョイスがハーボニーではなくてヴィキラックスだったらしいです。


あとあと調べると ヴィキラックス Viekirax と表記されますが 

Vieは「Life」を意味し、Kira(cure)は「治癒」、axは「斧」を意味し、これらを組み合わせて命名されています。

ですって。

そんな素晴らしい思いの込められた薬だったとは。

ごめんなさい。


そして6日間の入院から治療が始まりました。東京タワーを眺めながら。  と書くとのん気ですが

そんなにスムーズに事は進みませんでした。

ひやひやすることが入院中から起きていました^^;

それを乗り切るためにも東京タワーの夜景に癒されていました。