写真の花はジニア、アークトチス、アゲラタム、ビデンス、シマイトススキ、ハロラゲス、アサギリソウ、ブラキカム、コクリュウです。
としさんのブログで「気」について書かれていました。
気については私もかなり興味があります。
コメントを入れようかと思いましたが、また人様のブログで長文を書いてしまいそうなのでちゃんと自分のブログに書きます(笑)
鍼の先生の治療で鍼とともに「気功」もやってもらっていました。
治療で先生が手の平を当てると体温以上の熱が感じられます。
まさに手のひらから「気」が発せられているのですね。
熱さが感じられるだけでなく、中の内臓?がぐるぐると動き出します。
見えないけど、確かに「気」が入ってきているのですね。
見えないといえば、電気も見えないけど、普通に信じられてますよね。
コンセントにプラグを差込み、スイッチを入れれば当たり前のようにTVがつく。
そういうことは当たり前に信じられています。
それと同じく存在する「気」。
私がリンクさせていただいている方のブログに詳しく書かれています。
けっこう難しいので何回も読まないと頭に入らないのですけどね(^_^;)
でもよく日常でも「気が合う」なんて言い方をしますよね。
人と人の間で、気が通じ合っている瞬間ですよね。
あと「手当て」。言葉通り、痛い患部に手を当てるだけでも楽になる気がする。
まさに人の手から「気」が発しているのですね。
仲のいい友達にふと電話すると、「今、電話しようと思ってたところ」なんて言われることもあります。
気が通じてたというか、アンテナがピッと立って受信してるんだな、と思うこともあります。
ネットをとおしても「気」が通じるってあるような気がします。
仕事に対しても気力が肝心だと思うんです。
やる気があれば、こなせる。でもどうでもいいと思ってるとノルマもこなせません。
私は真夏と真冬になると、一時的に園芸熱も。やることがなくなったように、気力がなくなります。
もう園芸もだめかな、、とか弱気になりますね。
寄せ植えの注文も一人でチラシを作り始めたものですが、当初はチラシをポストインしたり、お店にいきなり入って売り込みをしてみたり(断られますが)、かなり積極的でした。
でも今は、、
言い訳するわけじゃないですが、IFN治療後から自分から積極的にお客様を取ろうとは一切してません。
頼まれたらやるだけ。 当然どんどん減ってきます。
ほんの数件のお宅の寄せ植えを作っているだけです。
まさに気力ダウン状態ですね。
どうしても最初のようにお客を増やそうと積極的になれないのです。
停滞の時期というのもあるのでしょうが、その時期が長すぎるかな、とも
ただ最近ちょっと感じているのは、コンテストに出てるような力の入ったものを作れなくても、今自分がいいと思うものを突き詰めていけばいいのかも、ということです。
園芸も独自の世界。
自分が表現できて、さらにそれに賛同してくれる方が少しいてくれればいいのです。
自分にとっては、今は植物は何かの「気」をくれるもの。
そういう視点で園芸を続けることは可能だな。
もう、力強く突き進むもの、ではないのです。私にとっては緩やかに進む空間であって欲しいのです。
3年前の秋の寄せ植えです。単純に楽しんでた頃ですね。
としさんのブログで「気」について書かれていました。
気については私もかなり興味があります。
コメントを入れようかと思いましたが、また人様のブログで長文を書いてしまいそうなのでちゃんと自分のブログに書きます(笑)
鍼の先生の治療で鍼とともに「気功」もやってもらっていました。
治療で先生が手の平を当てると体温以上の熱が感じられます。
まさに手のひらから「気」が発せられているのですね。
熱さが感じられるだけでなく、中の内臓?がぐるぐると動き出します。
見えないけど、確かに「気」が入ってきているのですね。
見えないといえば、電気も見えないけど、普通に信じられてますよね。
コンセントにプラグを差込み、スイッチを入れれば当たり前のようにTVがつく。
そういうことは当たり前に信じられています。
それと同じく存在する「気」。
私がリンクさせていただいている方のブログに詳しく書かれています。
けっこう難しいので何回も読まないと頭に入らないのですけどね(^_^;)
でもよく日常でも「気が合う」なんて言い方をしますよね。
人と人の間で、気が通じ合っている瞬間ですよね。
あと「手当て」。言葉通り、痛い患部に手を当てるだけでも楽になる気がする。
まさに人の手から「気」が発しているのですね。
仲のいい友達にふと電話すると、「今、電話しようと思ってたところ」なんて言われることもあります。
気が通じてたというか、アンテナがピッと立って受信してるんだな、と思うこともあります。
ネットをとおしても「気」が通じるってあるような気がします。
仕事に対しても気力が肝心だと思うんです。
やる気があれば、こなせる。でもどうでもいいと思ってるとノルマもこなせません。
私は真夏と真冬になると、一時的に園芸熱も。やることがなくなったように、気力がなくなります。
もう園芸もだめかな、、とか弱気になりますね。
寄せ植えの注文も一人でチラシを作り始めたものですが、当初はチラシをポストインしたり、お店にいきなり入って売り込みをしてみたり(断られますが)、かなり積極的でした。
でも今は、、
言い訳するわけじゃないですが、IFN治療後から自分から積極的にお客様を取ろうとは一切してません。
頼まれたらやるだけ。 当然どんどん減ってきます。
ほんの数件のお宅の寄せ植えを作っているだけです。
まさに気力ダウン状態ですね。
どうしても最初のようにお客を増やそうと積極的になれないのです。
停滞の時期というのもあるのでしょうが、その時期が長すぎるかな、とも
ただ最近ちょっと感じているのは、コンテストに出てるような力の入ったものを作れなくても、今自分がいいと思うものを突き詰めていけばいいのかも、ということです。
園芸も独自の世界。
自分が表現できて、さらにそれに賛同してくれる方が少しいてくれればいいのです。
自分にとっては、今は植物は何かの「気」をくれるもの。
そういう視点で園芸を続けることは可能だな。
もう、力強く突き進むもの、ではないのです。私にとっては緩やかに進む空間であって欲しいのです。
3年前の秋の寄せ植えです。単純に楽しんでた頃ですね。
うーん、素晴らしいです。うまく書かれています。
>自分にとっては、今は植物は何かの「気」をくれるもの。
>もう、力強く突き進むもの、ではないのです。私にとっては緩やかに進む空間であって欲しいのです。
夜中に書かれただけあって、気持ちが素直に表現されていますね。感動しました。
今、「すべては音楽から生まれる」(茂木健一郎著)をまた読んでいますが、その中に、
{我々は、ふだんつらいことが続くとネガティブ思考に陥り、この世に生を授かった奇跡に対する
感謝と感激の念を忘れてしまうことがあるが、美しい音楽や風雅な風景に遭遇すると、
生きている喜びを感じることがある}というくだりがあります。植物を愛でることも
同じではないでしょうか。
平穏な心を取り戻すには、ヨガや気功のようなもの、音楽や自然との触れ合いなど
いろいろありますが、読書などで視野を広げることによって、ものの見方が変わってくることも
あると思います。我々はつい自分のマイナスの部分ばかり目が行きがちですが、
人と比較すると恵まれている部分もたくさんありますよね。
気を学び、身につけていくことも、未熟な我々人間が生き長らえていく中での修行だと思います。
気功はあると思いますだってさすっていたらしんどいのが治る時あります<体 (*^_^*)
就寝時も丹田を手で押さえて寝ていますよ~
私は自分と人との比較がないからどんな状況にいても比較的心は平和です。
仕事もプライベートも
「人は人、私は私」「それぞれのスタンスを大事に、、でいます。
みんな事情も考え方もちがうのですから 人は(*^_^*)
あのひとはこうだ、このひとは勝ち組でこのひとは負け組みだ、、、そういうのも~まったく何もないです(*^_^*)
だから常にマイペースで過ごし易いですよ☆
これは、脳の何とか言うところから物質が出るためだ。というようなことを教わったことがあります。
痛み止めの効かなくなった患者さんに自分の手が効く。人間とはなんと不思議で素晴らしいんだろうと感動を覚えたのを思い出しました。
これも一種、「気」のなせる技でしょうね。痛みを飛んでいけ、悪いものよ出ていけ、と思う気がなくさすってもやはり効果は薄いんだろうなと思います。それこそ気の合う人かどうかでしょうね。
それを思うと、合わない先生の元で同じ治療だからと我慢しても治りは良くないのかな?先生の気が伝わってくる所で治療する方がやはり効果的でしょうか。医者を替えることは治療方針を変えることのみを目的にするのではないかもですね。
お花、本当にきれいですね。やはり、趣味(お家)でされておられるだけではなかったのですね。
園芸がロベリアさんの「気」をくれる大切な空間であることは素晴らしいことですね。
空間の良いところは、形でないのでその時の心持ちで如何様にもなることでしょうか。
込み上がる情熱を発散することも、疲れた体や心を癒してくれることも。
ロベリアさんが必要とするときに、ずっと隣にあるものですね。
昨日は寝不足のまま娘とスパリゾートハワイアンズへ行ってました。寒かった。。。
わはは。夜中の更新や書き込みはやばいです(笑)
でも気持ちが集中するので確かに考えていることの本質を書き易いと言うか、素が出ますね。
>{我々は、ふだんつらいことが続くとネガティブ思考に陥り、この世に生を授かった奇跡に対する
感謝と感激の念を忘れてしまうことがあるが、美しい音楽や風雅な風景に遭遇すると、
生きている喜びを感じることがある}
ほんとにネガティブに陥るとそれが基本になってしまいそうになり、怖いですね。
なるべく自分が気持ちいいと思えるきれいなものに触れたいです。もう夏の混雑した行楽地にはうんざりしたのでしんと静まった空間を探してほっとしたいです。
「気」の存在を知れたことも恵まれたことですよね。
視野を広げ、つまづいても他の道を探しつつ生きながらえていい時間を過ごしていきたいです。
>気功はあると思いますだってさすっていたらしんどいのが治る時あります<体 (*^_^*)
本当ですよね。すごく分かります。人の手ってなんて気持ちいいんだろうっていつも思うんです。
IFNとレベちゃんやってたときは体が硬直?固まってしまいがちで痛かったのですが、息子たちにさすってもらうとずいぶん楽になったものです。まさにハンドパワー(古っ)
>私は自分と人との比較がないからどんな状況にいても比較的心は平和です。
素晴らしい!それが出来てるだけで神のようです。
それって自分の人生をすごく全うできる生き方ですよね。
自分を生きることのできる方は魅力的です。
今までの文章を見てても個性があって魅力的ですが、実生活も誰よりも濃いもので、オリジナルな人生なのでしょうね。
なんだか変なくらい寒いです。そちらも寒いのでしょうか。
急激な気温の変化にやられないように、お互い頑張りましょう~。
あのゴーヤ料理、結局コンソメで味付けしたのですけど美味しかったですよ。
(まだゴーヤ料理 笑)
そうなんですよ。人の手はなんて不思議なものなんでしょう。
お医者さんにかかった時、脈を取るために手を取ってもらうだけでもほっとする時があります。何かのスイッチが入るかのように。
>これは、脳の何とか言うところから物質が出るためだ。
科学的にも証明されることなんでしょうかね。でも理論で証明されるとますます納得できますね。
子供の頃によく言ってた「痛いの痛いの飛んでけ~」ってほんとのことだったんですね。
痛い箇所をさすりながらその言葉を唱えると、ほんとに痛みは飛んでいく。原点に返ってやってみるというのも大事なんですね。
確かにいたずらに病院を変えてばかり、というのも感心できませんが、変な我慢を強いられてまで治療を続けるのは治癒の妨げになると思います。気持ちの問題も大きいですよね。
病は気から、基本はそれですよね。
園芸は、気がついたら一心不乱になってることも多いもので。
そういう時は疲れを感じないし、疲れても心地いい疲れなんです。
園芸を始めた頃はくたくたになって夕ご飯の支度をしながら座り込んでしまったり、、と無茶をしましたが、そういうことでは体を壊したりしないのです。
>空間の良いところは、形でないのでその時の心持ちで如何様にもなることでしょうか。
素晴らしい名言ですね!
確かに空間は自在です。形として目に見えるものではないですが、だから変化自在なんですよね。
どんな小さな作品でも、例えばお料理ひとつにしても、その時の自分の気が反映されているような気がします。
ロベリアさんが作られる園芸の一つ一つも、きっとその時のロベリアさんの鏡なんですね。
以前働いていたころ、 某産業界で世界的トップのある方にねぎらいの握手をして頂いたことがあります。そういう方々のお仕事を手伝わせて頂く機会は他にも何度もありましたが、その方はちょっと格別でした。それまで「随分厳しくて、働かせる人だなぁ」(笑)なんて思っていたのですが、その手の温もりと言葉掛けにすっかりファンになりまして、見方が変わりました。確かに握手なんて数多くされているんだろうけれど、なにかちゃんと伝わってくる気を感じました。その瞬間、ちゃんと向いていてくれているという感じがしました。
我が家ではどちらかのパワー不足の時、よく握手?をします。変でしょ?(笑)
でもそれで結構パワーを補えたりするんですよ。あ、肩もみもありますけれど、それとはまた別の意味で有効です(爆)
別にそんなに仲が良い訳でもないけれど、まぁ、生きていくうえでの同士なので、お互い元気になれれば一番かと(笑)
わいるどさんの
>「人は人、私は私」
TVの朝ドラで、「天ぷらと寿司、比べたってしょうがないでしょ」という台詞がありました。
視聴率の低い、如何にも教育的指導風に作られているこのドラマですが、これ結構、最近気に入ってます。食べ物で表現しているのがいかにも俗世的で・・(笑)
それぞれよいところがあって、それぞれに違うと・・。
そうですよね。作り出すものってその人の性格出るし、作ったときの心情が映し出されますよね。
園芸もいまだ発展途上なので、その時その時の悩みながら作ってる様子が出てると思うんですよ(^_^;)
あとはやはり病気で弱気になってると、繊細そうな植物を選んでる。。(笑)
それも性格ですね。そういうときにこそ力強い印象のお花を選ぶ人もいるでしょうね。
miyaさんのお話、いいエピソードですね。
握手した時に間違いなく手を通して気が流れてきたのですね。
やはりそういう方はすごいオーラを発してると思うし人に与える影響も大きいでしょうね。
言葉だけのやり取りでは伝わらなかったものが、握手一つで伝わった瞬間。「握手」を見直しました。
おうちでも実践なさっているのですね。
ともに生きていく同士、、わかります。やはり補い合いながらじゃないと、、人間一人では生きていけないですものね。
>「人は人、私は私」
そうですね、かねこみすずさんの詩でもありますね。
「みんな違って みんないい」
比べることって意味のないことですね。そんな暇があったら自分のやりたいことをみつければいいですね。
朝ドラ、見たことはないのですが、如何にも教育的指導風ですか(^_^;)
でも難しい言葉より単純な言い回しにズバリ正解があるようですね。
受取る側に寄ってはいいドラマなんでしょう~。私もこのセリフ、よーく憶えておきます(*^_^*)
今日は午後から鎌倉へ行ってきました。
鶴が丘八幡宮と小町通を散歩がてらブラブラ歩いてきました(約7千歩)
時折の小雨に会いましたが気持ちよかったですよ。
前にお話したカルチャーセンターの「アロマ気功教室」を7月末に見学に行ってきました。
各講座の見学は普通30分間出来るのですが、この講座は途中でドアを開けると「気」が逃げる~
と言うことで、気功が始まる前に(開始15分で)部屋を追い出されてしまいました~(泣)
だから、あの後、何が行われたのか???です。
実際に気が発する所を体感したかったのに~残念!
でも、先生のお話はばっちり聞いてきました。
その話の中で、「8月に良い気を発しているのは鎌倉」とおっしゃっていましたよ。
今日は八幡宮のうっそうと茂った木々の中を歩きながら木々の精気を感じてきました。
心と身体が浄化されていくような気分になりました。
日ごろ、垢まみれになっていますから、たまにはリセットしなくちゃね。
renshiさんのお話の中で、がん患者さんが手当てによって痛みが和らぐと言う話。
今読んでいる本によると、セロトニン神経の働きだそうです。
まさにハンドパワーが身体に入り、安心ホルモンのセロトニンがたっぷり体中に充満
するのかも分かりませんね。
無心になれること(園芸等…)は必要ですね。
私も好きなことをしている時に時間が経つのも忘れてしまうことあります。
頭の中、空っぽにして取り組むって、とても気持ちいい。
あはは、皆さんのまとまった文章に比べると、何とまとまりのない文章よ。
でも、いいんですよね。
「天ぷらと寿司、比べたってしょうがない」んだから~