Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

可能性

2012年03月06日 | Weblog

最近よく思うのです。

すべての(と云っていい)人が、「・・・という可能性」で話をしていると。

どんな偉大な科学者でも「・・・であっただろう」

どんな偉大な考古学者でも「・・・と思われる」

どんな偉大な医者でも「・・・かもしれません」

と、断言はされないのです。

 

かと思えば、

昨年震災まもなく、『放射能はカラダにいい!』と云って聞かない東京大学教授がいたり、

『プルトニウムより塩の方が危険』と北海道大学教授が全国ネットTV番組で言っていたり、

平気(かどうかは知らんが)でとんでもないことをあたかも真実のように話す人もいる。

 

未来を占ってみても、地震を予知してみても、歴史を語ってみても、

絶対はない。

 

絶対数が100のうち、

99%の「確率」で「そうであろう」と言えるとしても、1%の「そうじゃない」ことがあるわけです。

 

なんだよ、結果的には2択じゃねーか。

もっともらしい話を聞かされようがナニされようが、「そうか」or「そうじゃないか」しかねーじゃん。

説得力がいくらあったって、「そうじゃない」場合がゼロじゃない限り、

可能性で話をするんなら、みんな同じじゃん。

 

『いま、手術をしないと命の危険が危ないです!』

 

危険が危ないってことは大丈夫じゃん。

いや、そうじゃなくて、

それほんとか?

余命数ヶ月って宣告されて数年生きたら『奇跡です!』って言うんだ。

うそこけ、なにもしなかったらどうなったかなんて誰にもわからんじゃんw

 

で、なんにつけ最後は自己責任になるわけで、

その昔ヒトラーは「彼らが私を選んだ運命だ、自業自得だろう」

そして某都知事は「文句は、俺を選んだ都民に言え」こう話されたそうです。

 

なんじゃそりゃ。

 

もうひとつ、やっぱりオイラのアタマでは理解できないのが、

前回の知事選で私は高橋さんに票を入れてませんから、私は高橋さんを選んでいません。

それをどうして結果がそうだから私が選んだことになるの?

いまや、泊稼働だ、瓦礫受け入れだと危険千万!

お願いだからヤメてくれ。

受け入れるのは人様にしておくれよ!

 

おっと、話が逸れました。

ま、とどのつまり、バリバリ左脳人間でなくていかったって話?

ちがうって。

公の場で発言しているおエラ方があーなんだから、

私たちも思うことを発言していいじゃん!ってことで、

いったん、スタジオにお返ししま−すw