Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

ことのながれはというと、

2012年03月14日 | 灯遙って?

古くからこのブログを見てくださっている方はご存知な方も多いかもしれませんが、

わたくしときたら、社会に出てからそこに属していながらも、何かに染まることを嫌って生きてきました。

中か高か、学生だったころから徒党を組むことがどうも苦手で、

そこそこ大人になってからその気持ちがあっても、

ボランティア、NPO、宗教等々いかなる団体にもどうしても身を置けずにいました。

 

若い時こそ、肩書きに憧れた時期もありましたが、

『資格』には興味がなく、実践により技術を身につけ「運」とともに歩んできました。

決して口は達者な方ではない(今でも)のですが、正論を言うもので煙たがれることもしばしば。

出る釘は叩かれ、出すぎた杭は折られ、でも己の信念は曲げられず、現在に至っています。

 

2008年

自分の中で何となんの線が繋がったのか、

「スピリチュアルな生き方をしよう、もうそこにしか道はない」と思ったのが始まり。

そこからの様々なご縁が私の成長を助けてくれました。

 

 

昔、○○という人が○○という光をおろすことができるようになった。

同じ人間だもの、自分にもできるはず。

 

時々こういう逸脱した根拠のない自信を持つことがある私(汗

 

セルフアチューンメントを試してみたり、

書籍やインターネットで学んでみたり、

ヒーリングを受けさせてもらったり、

会話の中からヒントを頂戴したり。

それら経験をもとに試みた結果、

今や独自のスタイルで光を受け取りヒーリングすることができるようになりました。

 

ここに至るまでヒーリングに限らず、とある方とのお話の中で色々なヒントを頂いたおかげがあります。

この方の下で学んではいませんから所謂「師」ではないのですが、

そう言っても過言ではないくらい有り難い存在で、本当に感謝しています。

身を任せてもいい程に信頼できる方は、そういないのではないでしょうか。

安心できるヒーラーをお探しの方はご紹介させて頂きます、ご一報くださいませ。

 

話を戻します。

時はぐんと過ぎ、

昨年(2011年)秋頃から、「ヒーリングをする」というメッセージが続き、

体調の優れない方を見つけてはヒーリングをさせて頂きました。

こちらに来られなかったり、遠方の方には遠隔でさせて頂きました。猫ちゃんにも。

この猫ちゃんの体調は著しくなかったので一度お宅にお伺いした時、

始める前から初対面の私のひざの上でくつろいでいて、動物に好かれた記憶のない私も驚きでした。

年が明けても「ヒーリングをする」というメッセージは頻繁に続いていきました。

 

あるご家庭に、日課のようにさせて頂いていたのですが、

その時刻に出来そうもないときがあって、今日はお休みさせてもらおうと思っていたら、「時間を設定」と浮かびました。

 

んなことしたことないし、やり方なんかしらない。

 

ためしにガイドさんにできんの?って質問したら「できる」って返ってきた。

 

まじで!?

 

思うがままにやってみた翌日確認してみるとちゃんと届いていた。

単純にできてる。

そう確信した瞬間だった。

なおも「ヒーリングをする」というメッセージは続く。

もちろん、自分にもするがそういうことではないようだ。

 

誕生日を迎えるにあたり何方かのセッションを受けようと思ったのだが、

誕生日を一ヶ月を過ぎた頃にやっと実現した。

相変わらず、自分のことに対しては行動が遅い。

チャネリングによるメッセージを頂戴するとすべてが納得できるもので、

それでこうなのか、と苦笑いする部分もあった。

想像すらもしていない存在から守護頂いていたが、

その呼称を単なるキーワードだと思って事前にメモしていた存在で驚きが2倍。

意外なのはもうひとつ、何かを教えていく立場にあるようだった。

教えるものはなんでもいいそうだ。

 

先に記したように、形に拘らず、漠然と右往左往しながら、なんとか自分のスタイルでやってきた私が、

誰に何を教える事ができましょう。

それに、何でもいいと言われるのは、「晩ご飯、何食べたい?」「う~ん、なんでもいい」と同じくらいほんとに困る。

そんなもやもやした幾日が過ぎていく間に、

「まったくこいつはしかたないやつだ」と天が采配してくれたのか、

ヒーリングできるようになりたい人と、それを後押ししてくれる友人の出現だったわけだ。

すんません、ありがとございやす

他にも、自分が経験し学んでいったことを教わりたい人もいるようで、

培ったことがこんな風に役立つのかと人生の面白さを感じている。

 

さて、ここからが問題だ。

アウトプットってやつだ。

 

途中で地震があったものの、

とりあえず今日はこの事と次第を記録したかったようだから、ここまでにしておこう。

そいでは、また。

 

ここまで付き合ってくださって、ありがとうございます。