こんにちは~^0^
ぷち旅の続きでぇす(=^エ^=)w
今回の旅は、すご~く内容のぎっしり詰まった(?)旅なので、
長々と続いちゃってすみませんm(_ _)m
三重県の香落渓を堪能し、目的地を再び奈良県へ。
奈良の遷都1300年祭も少し興味があったのですが、私の興味をそそってくれる”奈良”というのは遷都よりも遙か昔。ざっと1800年前の古代ロマンでありゅ。
9月17日の朝日新聞ニュースで読んだある発見記事がずっと気になっておりました。
その発見というのは、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、2000個もの大量の桃の種が発見され卑弥呼の居館かも。 というもの。
邪馬台国は未だ九州説・近畿説と論争を繰り返しているが、魏志倭人伝(正式名称:『三国志』魏書東夷伝倭人条)に記された魏国から倭国へのルートの表記から九州説が有力と思っていたが、この発見により近畿説でほぼ決まり?みたいな気がしてきた。(決定的とするには、あともう一歩の証明できる何かが欠けるんだが^^;)
遺跡内出土遺物で最も古いものは、縄文時代後・晩期のものである。
粗製土器片やサヌカイト片に混じって砂岩製の石棒破片、あるいは土偶や深鉢などが遺跡内より出土し、この地に縄文時代の集落が営まれていたと考えられる。
農業用の大型水路や無数の土坑のなかには、三輪山祭祀に関する遺物のセットが多数投げ捨てられており、石塚古墳の周濠からは吉備系の祭祀遺物である弧文円板(こもんえんばん)が出土している。ピークの過ぎた4世紀末には埴輪が出土する。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、この地域に市が発達し「大市」と呼ばれたほどの大都市であったと考えられる。
桜井市は三輪山という山の麓に位置し、三輪山は多くの神話が残る山として有名でありゅ。(三輪そうめんの方がホイミ的には馴染みが有ったが・・^^;)
そう、ホイミ達は卑弥呼と聞けばウズウズと古代ロマンに萌ぇるのでありゅ(=^エ^=)w
今回発見された桃の種の写真↓
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現代の桃とは違い、小さいもの。
ウチのいくりの種そっくりだ。(スモモです。)
祭祀に使われたのではないかと考えられているが、その理由として
●見つかった桃の中には、熟れていないものも多くある(食べたのではない)
●果肉が残っているのもある。
●竹で編んだ籠も同時に出土、そこにも桃の種を確認。
●桃は古代祭祀で供え物として用いられた。
竹籠に桃を盛ってお供えしたのではないかと考えられる。
邪馬台国では卑弥呼という女王が20数カ国の多くの国をまとめていたので、その連合国の名前ではないかと思う。
しかし、連合国に敵対する国もたくさんあったので、日本列島の全てを卑弥呼一人で仕切っていたのではない。常に戦いが起きていたとされる。
だから、卑弥呼という女性があちこちに出没してても不思議ではないが、
この桜井市に本拠地を置いていた説はグーン!と上昇した。
しかも、この纏向遺跡で発見された大量の桃の種と大きな建物の跡。(およそ140畳ぐらいの広さ)
柱の跡から、高床式で出雲大社など神様的存在の人を祭り上げるために使われる様式の建物が建っていたと考えられるそう。(この当時は、出雲大社は無かったので、大社造りの先駆け?って感じでしょうか^^)
神様的存在と言えば。。。
卑弥呼しかいないじゃないですか~~~((((((≧∇≦))))))ワクワク♪
卑弥呼は神から声を聞き、それを人に伝え政治をしたとされていますもの~
当時、天皇という位は無かったし、卑弥呼でなければ誰!?って感じですよねー!!!
この発見のあった纏向遺跡はJR桜井線巻向駅のすぐ西側で、私有地のため発掘調査後は埋め直しをするらしいとの事。
もう、調査が済んで埋められちゃったかな。。と思ったが(発掘調査は昨年からされていたので)ホイミが興味があるのは、実は遺跡(人の住んだ街)よりも、卑弥呼の存在を裏付ける何か。(例えば、お墓とか)
故に、遺跡よりも、一番卑弥呼に近い有力説へ行ってみる事を優先したんだ。
そう、卑弥呼の墓だろうと考えられている古墳へ行くよ!!
(卑弥呼のお家があったかもしれない場所の纏向遺跡にも行っておけば良かったと後で悔やんでしまったんだけどね^^;)
その古墳は箸墓(はしはか)古墳という。
ナビには、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)となっており、箸墓古墳を探し出すのは大変であった^^;
最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定から箸墓古墳の築造年代は研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が有力で、現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。
倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神(すじん)天皇の祖父孝元天皇の姉妹で、『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。(すいぶん 名前にモモが登場するネ。。)
宮内庁治定では「大市墓」とされる。・・というのは先に述べたが大きな市があったとされる地名から付けている。
さて、この箸墓古墳。
辿り着いたが、近くに専用の駐車場も何も用意されてはいない。(宮内庁管轄なので、当然だが)
ぐるぐると周囲を回って、とある定休日と思われる会社の駐車場にうっかり迷い込んでしまい、仕方なく車を回させてもらおうとしていたら、車が何台もどんどん入ってきてしまった><
ここの会社の人?と運転手や乗っている人を見ると、オジジばっかり;;;
私は不法駐車と言われたら大変なので、そそくさとその駐車場から出たんですが、出るまぎわにオジジ達の車を見ますと、岡山ナンバーでした。
仕方ないので、また周辺をウロウロしてたら、だだっ広い公園みたいな駐車場を見つけ、駐車することができた。(ほっ)
池がある。その向こうの山が箸墓古墳です。
池の側の道を歩いてすすみます。
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池を覗くと何やらオレンジ色の物体が池底に沈んでいるみたい。。
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よぉく見ると、
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金魚すくいのオレンジ色の金魚がウヨウヨしてました( ̄□ ̄;)
ハンパじゃない量が居ます。オレンジ色に染まるほど・・繁殖力スゴイんですね。(お祭りの金魚ってすぐに死んでしまうイメージだったもんで^^;)
立ち入り禁止の札が立っていました。宮内庁管轄ですね、やはり。。
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山(古墳)の裾のあぜ道を通って進んでみます。
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ありました!!! 大市墓 と書いてあります。
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小さな鳥居があり、その先も封鎖されています。
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古墳に入れないのは残念。。。
と、思っていたら、どこからともなく先程のオジジがいっぱい乗った岡山ナンバーの車が少し離れた道路に何台も横付けされ、オジジ達がこちらへぞろぞろと向かって来ました><ゲッ!
どうやら、岡山からやってきたオジジ軍団は私達と同じこの箸墓古墳を見学しに来ていたようです。(ナンデ行くトコ行くトコ オジジばっかりなのさ><)
意外と卑弥呼に興味がある人が多いのですね(オジジばっかだけど;;)
もし、行ってみようかなという人は、ココ↓を目印に左側に入ると駐車場があります。(無料)敷地内にお花屋さん(?)がありました。
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こんな看板↓もちっちゃく出てます。
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ただのボタ山ですけど、機会が有れば行ってみてください。
卑弥呼のパワーを頂けるかもしれませんよ^^
さて、この後、まだまだ大和路は続きます~(長いって^^;)
*あとがき*
卑弥呼という巫女が女王に着いてから、争い事が減り国が安定したらしい。
卑弥呼亡き後、男性が王に着いたが、再び戦乱の世になりかけたので、慌てて卑弥呼に近しき女性を女王に換えたら平和になった。という話を何かで読んだ事がある。(男性よりも女性が政治をするほうが今の日本も(世界も)安定するかもょ~笑)
(でも、ひとたび女性を怒らせると天変地異を引き起こすかもしれないけれど~爆)
ま、卑弥呼という女性が仕切っていた邪馬台国は後の大和朝廷に通ずるものなので、天皇家のルーツなのかもしれないね。
ぷち旅の続きでぇす(=^エ^=)w
今回の旅は、すご~く内容のぎっしり詰まった(?)旅なので、
長々と続いちゃってすみませんm(_ _)m
三重県の香落渓を堪能し、目的地を再び奈良県へ。
奈良の遷都1300年祭も少し興味があったのですが、私の興味をそそってくれる”奈良”というのは遷都よりも遙か昔。ざっと1800年前の古代ロマンでありゅ。
9月17日の朝日新聞ニュースで読んだある発見記事がずっと気になっておりました。
その発見というのは、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、2000個もの大量の桃の種が発見され卑弥呼の居館かも。 というもの。
邪馬台国は未だ九州説・近畿説と論争を繰り返しているが、魏志倭人伝(正式名称:『三国志』魏書東夷伝倭人条)に記された魏国から倭国へのルートの表記から九州説が有力と思っていたが、この発見により近畿説でほぼ決まり?みたいな気がしてきた。(決定的とするには、あともう一歩の証明できる何かが欠けるんだが^^;)
遺跡内出土遺物で最も古いものは、縄文時代後・晩期のものである。
粗製土器片やサヌカイト片に混じって砂岩製の石棒破片、あるいは土偶や深鉢などが遺跡内より出土し、この地に縄文時代の集落が営まれていたと考えられる。
農業用の大型水路や無数の土坑のなかには、三輪山祭祀に関する遺物のセットが多数投げ捨てられており、石塚古墳の周濠からは吉備系の祭祀遺物である弧文円板(こもんえんばん)が出土している。ピークの過ぎた4世紀末には埴輪が出土する。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、この地域に市が発達し「大市」と呼ばれたほどの大都市であったと考えられる。
桜井市は三輪山という山の麓に位置し、三輪山は多くの神話が残る山として有名でありゅ。(三輪そうめんの方がホイミ的には馴染みが有ったが・・^^;)
そう、ホイミ達は卑弥呼と聞けばウズウズと古代ロマンに萌ぇるのでありゅ(=^エ^=)w
今回発見された桃の種の写真↓
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現代の桃とは違い、小さいもの。
ウチのいくりの種そっくりだ。(スモモです。)
祭祀に使われたのではないかと考えられているが、その理由として
●見つかった桃の中には、熟れていないものも多くある(食べたのではない)
●果肉が残っているのもある。
●竹で編んだ籠も同時に出土、そこにも桃の種を確認。
●桃は古代祭祀で供え物として用いられた。
竹籠に桃を盛ってお供えしたのではないかと考えられる。
邪馬台国では卑弥呼という女王が20数カ国の多くの国をまとめていたので、その連合国の名前ではないかと思う。
しかし、連合国に敵対する国もたくさんあったので、日本列島の全てを卑弥呼一人で仕切っていたのではない。常に戦いが起きていたとされる。
だから、卑弥呼という女性があちこちに出没してても不思議ではないが、
この桜井市に本拠地を置いていた説はグーン!と上昇した。
しかも、この纏向遺跡で発見された大量の桃の種と大きな建物の跡。(およそ140畳ぐらいの広さ)
柱の跡から、高床式で出雲大社など神様的存在の人を祭り上げるために使われる様式の建物が建っていたと考えられるそう。(この当時は、出雲大社は無かったので、大社造りの先駆け?って感じでしょうか^^)
神様的存在と言えば。。。
卑弥呼しかいないじゃないですか~~~((((((≧∇≦))))))ワクワク♪
卑弥呼は神から声を聞き、それを人に伝え政治をしたとされていますもの~
当時、天皇という位は無かったし、卑弥呼でなければ誰!?って感じですよねー!!!
この発見のあった纏向遺跡はJR桜井線巻向駅のすぐ西側で、私有地のため発掘調査後は埋め直しをするらしいとの事。
もう、調査が済んで埋められちゃったかな。。と思ったが(発掘調査は昨年からされていたので)ホイミが興味があるのは、実は遺跡(人の住んだ街)よりも、卑弥呼の存在を裏付ける何か。(例えば、お墓とか)
故に、遺跡よりも、一番卑弥呼に近い有力説へ行ってみる事を優先したんだ。
そう、卑弥呼の墓だろうと考えられている古墳へ行くよ!!
(卑弥呼のお家があったかもしれない場所の纏向遺跡にも行っておけば良かったと後で悔やんでしまったんだけどね^^;)
その古墳は箸墓(はしはか)古墳という。
ナビには、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)となっており、箸墓古墳を探し出すのは大変であった^^;
最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定から箸墓古墳の築造年代は研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が有力で、現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。
倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神(すじん)天皇の祖父孝元天皇の姉妹で、『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。(すいぶん 名前にモモが登場するネ。。)
宮内庁治定では「大市墓」とされる。・・というのは先に述べたが大きな市があったとされる地名から付けている。
さて、この箸墓古墳。
辿り着いたが、近くに専用の駐車場も何も用意されてはいない。(宮内庁管轄なので、当然だが)
ぐるぐると周囲を回って、とある定休日と思われる会社の駐車場にうっかり迷い込んでしまい、仕方なく車を回させてもらおうとしていたら、車が何台もどんどん入ってきてしまった><
ここの会社の人?と運転手や乗っている人を見ると、オジジばっかり;;;
私は不法駐車と言われたら大変なので、そそくさとその駐車場から出たんですが、出るまぎわにオジジ達の車を見ますと、岡山ナンバーでした。
仕方ないので、また周辺をウロウロしてたら、だだっ広い公園みたいな駐車場を見つけ、駐車することができた。(ほっ)
池がある。その向こうの山が箸墓古墳です。
池の側の道を歩いてすすみます。
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池を覗くと何やらオレンジ色の物体が池底に沈んでいるみたい。。
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よぉく見ると、
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金魚すくいのオレンジ色の金魚がウヨウヨしてました( ̄□ ̄;)
ハンパじゃない量が居ます。オレンジ色に染まるほど・・繁殖力スゴイんですね。(お祭りの金魚ってすぐに死んでしまうイメージだったもんで^^;)
立ち入り禁止の札が立っていました。宮内庁管轄ですね、やはり。。
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山(古墳)の裾のあぜ道を通って進んでみます。
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ありました!!! 大市墓 と書いてあります。
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小さな鳥居があり、その先も封鎖されています。
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古墳に入れないのは残念。。。
と、思っていたら、どこからともなく先程のオジジがいっぱい乗った岡山ナンバーの車が少し離れた道路に何台も横付けされ、オジジ達がこちらへぞろぞろと向かって来ました><ゲッ!
どうやら、岡山からやってきたオジジ軍団は私達と同じこの箸墓古墳を見学しに来ていたようです。(ナンデ行くトコ行くトコ オジジばっかりなのさ><)
意外と卑弥呼に興味がある人が多いのですね(オジジばっかだけど;;)
もし、行ってみようかなという人は、ココ↓を目印に左側に入ると駐車場があります。(無料)敷地内にお花屋さん(?)がありました。
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こんな看板↓もちっちゃく出てます。
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ただのボタ山ですけど、機会が有れば行ってみてください。
卑弥呼のパワーを頂けるかもしれませんよ^^
さて、この後、まだまだ大和路は続きます~(長いって^^;)
*あとがき*
卑弥呼という巫女が女王に着いてから、争い事が減り国が安定したらしい。
卑弥呼亡き後、男性が王に着いたが、再び戦乱の世になりかけたので、慌てて卑弥呼に近しき女性を女王に換えたら平和になった。という話を何かで読んだ事がある。(男性よりも女性が政治をするほうが今の日本も(世界も)安定するかもょ~笑)
(でも、ひとたび女性を怒らせると天変地異を引き起こすかもしれないけれど~爆)
ま、卑弥呼という女性が仕切っていた邪馬台国は後の大和朝廷に通ずるものなので、天皇家のルーツなのかもしれないね。