空飛ぶ自由人・2

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マニラの旅・その9 ハッピーランド

2025年02月28日 23時00分00秒 | 旅行関係

昨日の続き。

スモーキー・マウンテンからジープニーに乗って、

5分ほど移動したところに、
ハッピーランドがあります。

アジア最大のスラム街
タガログ語で「ハピラン」(Hapilan )は捨てる、という意味で、
それをもじって「ハッピーランド」(Happy Land)と名付けられました。

今回、マニラに来て驚いたのは、
著しい経済的発展で、
日本顔負けの規模のモールや


高層マンションが立ち並び、
何十億ドルもの資金が投資され、
空を背景にクレーンがそびえ立って、


建設ラッシュが続いています。

しかし、その経済的発展に取り残されたのが、
ハッピーランドのような、
貧困地区

ここに2万人の人が住んでいます。

ここは商店街。

生鮮食料品を含め、
あらゆる日常生活に必要なものが売られています。

一方、ゴミは相変わらず持ち込まれ、

景観を汚しますが、誰も気にしていません。

日中からビリヤードを楽しむ人々。


一応、ちゃんと娯楽はあるんですね。

これはパグパグと言って、

ファストフード店から出て来た食べ残しを集めて
水洗いし、味付けして、油で揚げたもの。


1袋10ペソ(27円)程度で売られています。

前にYouTube で観た時、
特殊な例だろうと思っていましたが、
町のあちこちで売られていたので驚かされました。
主にチキンの食べ残しで、
残った肉と骨をかじります。

普通の食堂もあります。

「昭和」というより、「戦後」の感じ。
日本は戦後復興で立ち直り、
1960年代の高度成長期に、
みんなで豊かになりましたが、
フィリピンでは、
上流の繁栄が、
今だ下流には及んでいないようです。
格差を肌で感じます。

ボランティアが子供の世話をしています。

ある人の話では、
夫の仕事は見つからず、学校に通わせ、
家族全員を食べさせるためのお金は、
ひと月に4500ペソ(約12150円)しか
稼ぐことができないといいます。
一日150ペソ(400円)。
部屋代は大体月1500ペソ(4千円)。
トイレなし、電気は先払い式。水は購入。

ガスはプロパン。

小さいのも売られています。

しかし、人々は思いのほか楽しそうで、
子供たちは路上で遊び、
インターネットカフェで楽しむ人、
食堂で笑いあう人々・・
金銭的に余裕のない生活であっても、
人々はその中でも幸せに生きているようです。

先にあげたYouTube でも
インタビューされた住民は「幸福だ」と言っていました。
外の世界を知らないからだろうか、
とも思いましたが、
一家が仲良く一緒に暮らしていれば、幸せなのは確か。
日本のように、
立派なマンションに住んでいても、
家族バラバラなら、幸福とは言えないでしょう。

ただ、衛生環境が悪いのは確かで、
細い道は野良犬の糞や、
ゴミ、残飯などが散らかり悪臭とハエが群がり、
とても衛生的とは言えません。


感染症や栄養失調で亡くなる住人も多いといいます。
乳児死亡率は、日本と比較すると、13倍も高い。

学校に行けない子供も多く、
将来を考えると、やはり希望はうかがえません。

公立学校は無料ですが、
学用品や制服を買うお金がなかったり、
子供も労働力として働かされるケースもあり、
日本のように、皆が学校に通えるわけではない。

フィリピンでは、高校や大学を出ていないと
安い賃金の肉体労働か、日雇いの仕事しかありつけない。
その日暮らしのこの地区の人々にとって、
子供を学校に通わせるのは難しく、
子供も仕事や生活の手助けに駆り出さざるを得ない。
そして、貧困層の子供が大人になり、
不安定な安い労働として生きていくことになる。
貧困はこうして連鎖していく・・・。

こうした貧困問題に対して、
政府は特に有効な方策は立てられない。
なにしろ、数が多すぎる。

改善策は明快で、
産業を興し、雇用を増やすこと。
しかし、まだ日本のような高度成長時代は来ていないようです。

お金があっても幸せでないのは当然ですが、
お金がないために生ずる不幸は
何としても無くしたい。

生まれる国は選べない。

この現状を見ると、
日本での暮らしがどれほど恵まれたものかが、分かります。
日本人の不幸は、
自分たちが幸福であることを自覚できないこと、
だと言います。


マニラの旅・その8 スモーキー・マウンテン

2025年02月27日 23時00分00秒 | 旅行関係

マニラ5日目は、
今回の旅のハイライトとも言える
スモーキー・マウンテン


旅行は、その地でしか見れないものを見る、
というのが楽しみの一つですが、
これこそ、マニラでしか見られない光景

スモーキー・マウンテンは、
かつては海岸線に面した一漁村でしたが、
1954年にゴミの投棄場になりました。
不法投棄ではなく、
公共が集めたゴミの正式な棄て場所。
マニラ首都圏で出たゴミが大量に運び込まれ、
山となりました。

スモーキー・マウンテンという名前は、
捨てられたゴミが自然発火してくすぶり、

煙が立ち上っていることから、
そう名付けられました。

その棄てられたゴミの中から
リサイクルできるものを拾い
それらを換金してわずかな日銭を稼ぐ貧民
(スカベンジャーと呼ばれる)が住み着き、
急速にスラム化しました。

その中には子どもも沢山おり、


1980年代から
フィリピンの貧困の象徴として
世界に報道されるようになりました。

↓は、有名な写真らしい。

政府は国のイメージが損なわれると、閉鎖を決断し、
1994年、ごみ捨て場の利用が停止され、
翌1995年に、住民を強制退去の上、
閉鎖されました。

今では別の場所がゴミの投棄場所となり、
「スモーキーバレー」と呼ばれています。
そこは立ち入り禁止です。

住民は強制退去の代償として公共住宅をあてがわれましたが、
一部の住民は別の処分場周辺に移住し、
従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けているそうです。
つまり、それしか金を稼ぐ方法が見つからないのです。
現在も「第2のスモーキーマウンテン」と呼ばれる場所が存在し、
そこでは以前と変わらない状況が続いているといいます。

ホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせ、合流。
マニラ在住10年のKさん

 ガイド料は8400円。日本で予約しました。
オーストラリアのパースから来た
日本人父娘と一緒です。二人だと追加料金3000円。

Grabタクシーで現地に向かいます。

この地区は「トンド地区」と呼ばれ、
そこに行ったというと、
フィリピンの方からさえ、
「えっ、どうして、そんなところに?」
と驚かれるそうです。

タクシーを降りて、下のような場所に。
「これがスモーキーマウンテンです」
と山のような場所を示します。

閉鎖した政府は土をかけて覆い、
草が生えて、山のように。

つまり、ここは、
スモーキーマウンテン」と言うべきところ。
日本だったら、「夢の島」に当たります。

周辺はやはりゴミが持ち込まれており、


そこからペットボトルを選別して、
生計を立てている人たちがいます。

売っているのは、ゴミの中から発掘したもの?

山を登ります。

ゴミ山だった残滓が見られます。

そのゴミ山の上に住む人たちがいます。

簡単な作りの住居。

不法占拠なので、
郵便は届きませんが、
Amazonの配達はされるそうです。

電気は来ていますが、
ガスはプロパン。
このホースのようなものは、生活用水。

食用ではないので、
飲み水はタンクで運びます。

その水で煮炊き。

ベッドのスプリングを活用。

お菓子など、食べ物を売るお店もあり、


ゲーム用のパソコンも、

カラオケもあります。

これは何でしょう?

これ、WiFiの装置。
コインを入れると、数分間、
周辺数メートルでWiFiが使えます。

集会場もあり、

キリスト教会による
フードサービスもあるそうです。

子供たちも沢山暮らしています。

これは闘鶏用の飼育しているオス鶏。

人間、どこででも暮らしていけるのですね。

この後は、ハッピーランドへ。

 


映画『セプテンバー5』

2025年02月26日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ミュンヘンで起きた
オリンピック史上最悪の事件を描く。

1972年9月5日、
パレスチナ武装組織「黒い九月」のメンバー8人が
選手村に侵入、
イスラエル選手団の2人を殺害、
9人を人質にとって籠城した。
イスラエルに拘束されているパレスチナ人及び非アラブ人の囚人、
西ドイツで投獄されている赤軍派の創設者、
アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフを含む
328人の解放を要求。
交渉は決裂してテロリスト達は海外への逃走を図り、
飛行機でエジプトの首都カイロへ脱出することを要求し、
当局はそれに合意。
午後10時ごろ、占拠部隊と人質は
2機のヘリコプターで空港まで行き、
その後は用意された飛行機に乗り移って
国外に脱出する手筈だった。
だがこれは表向きの話で、
実際はバスでの移動途中、
もしくは空港で犯人グループを狙撃し、
人質を解放する計画であった。
空港で西ドイツ警察による救出作戦が行われ、
銃撃戦や犯人の自爆攻撃により
合計17人(人質9人含む選手11人、警察官1人、犯人5人)が死亡する
大惨事となった。

                                
スティーヴン・スピルバーグの「ミュンヘン」(2005)と同じ題材だが、
テロリストと人質の描写はなく、
五輪の競技を中継するための
ABC(American Broadcasting Company )のTVクルーの視点で描く。


元々オリンピックのスポーツ中継チームで、
ニュース報道に慣れていないメンバーが、
突然、世界が注目する事件を
中継する事となった戸惑いが支配する。
ほとんどが調整室内の描写で、
情報が少ない中、
瞬時に判断して映像を放送しなければならない。
エスカレートするテロリストの要求、
錯綜する情報、冷戦下で機能しない現地警察、
刻一刻とテロリストが定めた期限が迫る等、
事件の発生から終結までの1日を
ノンストップで描き出す。
全世界がテロリズムの脅威を、
生中継を通して初めて目の当たりにする。

放送のルールが明確化されていない時代に
「報道する事の自由」「報道される被害者の人権」
「報道がもたらす結果の責任は誰にあるのか」といった
現代のSNS社会にも通じる、
倫理観への問い掛けが投げかけられる。
問題は、報道内容により、
警察の動きが犯人側に筒抜けになったこと、
また、人質の安否を巡り、
確認取りに忙殺され、
結果として誤報をすることになる。

この事件以降、五輪選手村の警備は厳重となった。

テレビの放送クルーだけに絞り、
場所も限定して、
すさまじい臨場感の描写は、
製作側の志の高さを伺える。

脚本・監督を担当したのは、新鋭ティム・フェールバウム
キャスト陣にはピーター・サースガード、
ジョン・マガロ、レオニー・ベネシュなど
評価の高いバイプレイヤーたちが集結している。

先のゴールデン・グローブ賞の
作品賞にノミネート

5段階評価の「4」

拡大上映中。

 


マニラの旅・その7 食事あれこれ

2025年02月25日 23時00分00秒 | 旅行関係

食事の話をします。

私は、個人旅行の場合、
地元の人が行く店に行って、
地元の人が食べるものをいただくようにしています。
その方が安いし、探究にもなる。

そこで、まず、初日、ホテルに荷物を置いた後、
ホテル近くの↓ここへ。

                                                                      ジョリビー(Jollibee)は、フィリピンのファーストフードチェーン店。
創業は1975年で、
あのマクドナルドもかなわないほど、
フィリピンの国中に浸透していて、
どこにでもあります。


古い2006年のデータで、
フィリピンに1287店、
フィリピン以外の諸外国に161店舗を構えています。
まだ日本には進出していません。

蜜蜂をイメージしたマスコット。

マクドナルドを超える人気を保持している理由は、
地元の食文化に根ざしたメニュー展開にあるといいます。


メニューはハンバーガーとフライドチキンがメインで、
それ以外にライスやスパゲッティなどを扱っています。
フィリピン人好みの甘い味付けや、
フライドチキンと主食であるご飯を添えたセットメニューが人気です。

そこで、一番人気のスパゲティとチキンのセットを注文。

219ペソ(590円)。

出て来たのが、これ。


赤いのは、トマトケチャップではなく、
バナナで作られた「バナナケチャップ」を使用しているため、
やや甘めの味付けです。

食べてみると・・・

ん?

何、これ。

おいしくない。

スパゲッティは細く、歯ごたえがなく、春雨のよう。
チキンはジューシーというより、
水っぽい。

これが一番人気?

日本のように、食後の皿などを
自分で片づける文化はないようです。

翌日の夕食は、
これも大きなチェーン店の中華。

暑いので、スープ麺ではなく、
やきそばを注文。95ペソ(260円)。

え?

まずい。
一番上に表示されているのだから、メインのメニューなのに。

ホテルの朝食。

ビュッフェではなく、
このメニューの中から選択。

これが、ソーセージセット。

ごはんは型で盛られ、
これが、おいしくない

主食の米が、この炊き方?
日本人は世界で一番おいしいご飯を食べているのかもしれない。


懲りたので、翌日は米を避けてパンにしましたが、
これがパサパサボソボソ


飲み物と一緒でないと、飲み込めません。

ミンドロ島でのホテルの朝食のパンも
同じでしたから、

フィリピンでは、この食パンが標準らしい。


日本のやわらかい食パンを食べたら、何と言うのでしょうか。

他の日のホテルの朝食。

フロアが違い、いつもと違う感じ。

果物は追加料金。

結局、同じ。

なぜかコーヒーだけはうまかった。

食事がまずいという話を、
日本人ガイド(スモーキーマウンテンを案内してくれた、
在フィリピン10年の日本人ガイドのKさん) にしますと、
「フィリピン人の味覚は、アメリカ人並ですよ」
と、アメリカにとばっちり。

昼食に食べたケッタッキー・フライドチキンの

サンドに付いてきたのは、
生姜味のジュース。

シロップを加えて飲みます。160ペソ(430円)。
不思議な食感。

別の日、モールのちゃんとしたレストランで食べたレチョン


豚の丸焼きをぶつ切りにしたもので、
皮と肉が合わさっておいしそう。

一事前調査で一番期待していた食べ物ですが、
こんなものが出て来ました。

とんかつ用の豚肉の切り身を
油で揚げたようです。
これが、硬い。
パサパサボソボソで、
これも飲み物で流し込まないとと飲み込めません。

飲み物付きで550ペソ(1500円)。

最後に空港の制限区域のレストランで

食べたチキンのセットも、
パサパサのボソボソで、
やはり飲み物と一緒でないと飲み込めません。

でも、これがトップメニュー。

飲み物込みで410ペソ(1100円)。

どうやら、フィリピンの人は、
パサパサのボソボソに抵抗感はないようです。

ミンドロ島のレストランで食べた

海鮮の串焼き。


飲み物込みで420ペソ(1130円)。                      これが今回の旅行で一番おいしかった。

ミンドロ島での夕食は町に出かけて、↓この店で、

チキンを。飲み物込みで105ペソ(280円)と、地元価格。

で、結局は、日本食
PITXで食べた
丸亀うどん


おにぎりと天ぷらと飲み物を付けて494ペソ(1330円)。

うどんは日本同様、太目で、
味は日本より濃い感じ。

そして、三越のフードコートで食べた
さぼてんのカツ丼

やっぱりうまい。


飲み物込みで410ペソ(1110円)。
これは日本の味でした。
                                       
たとえば、外国人が日本の国民食の牛丼を「まずい」と言ったら、
不愉快になるように、
他の国の国民が喜んで食べているものを
けなすのは心苦しいですが、
「だし」という繊細なうま味で育った日本人の舌には、
合わなかったのがフィリピンのソウルフードでした。

帰国後、体重を測ったら、2kg減っていました。

 

 


小説『秘色の契り』

2025年02月23日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

2012年、オール讀物新人賞を受賞し、
2015年、受賞作を含む短編集「宇喜多の捨て嫁」で
直木賞候補になった木下昌輝
4度目の直木賞候補作。

徳島蜂須賀藩二十五万七千石は、
後継者問題を抱えていた。
先代藩主が子をもうけずに病死し、
末期養子を迎えないと、
藩が改易となってしまうからだ。

末期養子・・・武家の当主で嗣子のない者が
       事故・急病などで死に瀕した場合に、
       家の断絶を防ぐため緊急に縁組された養子。

藩の五家老の評定のやり方に不満を持った
物頭の柏木忠兵衛は、江戸に赴き、
秋田藩主の弟・佐竹岩五郎を次代の藩主に迎える。
第十代藩主となった岩五郎=蜂須賀重喜(しげよし)は、
儒学や囲碁、茶道、戯画などに通じていたが、
政(まつりごと)には興味がないと宣言する。
しかし、忠兵衛や林藤九郎、樋口内蔵助、寺沢式部たち中堅家臣団は、
家老たちの専横に抗して、
藩主の直仕置(直接政治)による藩政改革をめざした。
それを成し遂げるには、
五家老を退けねばならぬだけでなく、
ようやく腰を上げた蜂須賀重喜の改革案は、
斬新すぎて、身分制度を根底からくつがえすもので、
藩を二分しかねず、
忠兵衛たちは、早すぎると戸惑う。

須賀藩は三十万両もの借金を抱えていた。
藩を存続するには、
特産品の藍の流通形態を変えなければならず、
それは、商人との軋轢を伴うものだった。
藍の流通は大阪商人ににぎられていて、
利益は薄く、藍玉の生産農家は
苦しい生活を強いられていた。
藩改革は藍の問題と密接につながる。

それまでの藩主は、
家老たちに政治を任せっきり。
家格に縛られている藩は改革しがたい。
忠兵衛たちの目指す藩改革は成し遂げられるか、
藍流通の改革は成功するか、
二つの改革を巡って、
藩主、五家老、若手たちの確執は続く。

重喜は言う。
「改革で大切なのは、人の心よ。
 どんなに正しい法度であっても、
 人の心がついてこなければ意味がない」と。

なにやら、現代日本の政治改革につながるような内容で、
示唆するところは大きい。
改革には、守旧派の抵抗が必定。
今の体制で利を得ている者は反対する。
「今のままが一番いい」のだからだ。
現状の日本の政治を見ても、
利権を守ろうとする人々との闘争がどうしても必要になる。

しかも当時は藩と家を守ることが最優先される社会構造で、
家格によって藩の役職も世襲されていた時代だ。
下級武士の能力が発揮されるには、
明治維新まで待たねばならない。

政治には関わらないと行っていた重喜が
次第に改革に目覚め、
若手たちよりも先に行ってしまうなど、
面白い展開もある。

当時、「主君押し込め」というものがあった。
主君が家臣たちと対立した結果、
座敷牢に押し込められ、
新藩主と交代させられる。
その危険もある。

副題に「阿波宝暦明和の変」とあるように、
江戸中期、宝歴3年(1753年)から、
明和6年(1769年)に起こった、
徳島県蜂須賀藩を舞台に、
藩政改革に挑む若い家臣たちと、
彼らとともに闘った藩主となった養子の物語。
現代的である。

題名の「秘色(ひそく)の契り」とは、
柏木忠兵衛たちが
藍で染めた手拭いで誓いを結んだこと。
何だか誤解を生みそうな題名だが。