2020年12月に、弊地味ブログ内に
#デッツォーラ島根
というタグを立ち上げた。
2013年から2018年までの旧ブログ時代のものも
(再度アップ)含めたデッツォーラ島根に関する記事に、
全て #デッツォーラ島根 タグをつけている。
先月、正式名デッツォーラ島根エスポルチクルービ
が解散した事を知り、何かしら、
そして誰かしらの記憶に残る事に
役立てたらと思い、タグを作ってみた。
思い出せば、おそらく2013年以前にも
ファジアーノ岡山ネクストと対戦していた時分や
FCセントラル中国と呼ばれていた時代の試合を含めて
デッツォーラ島根を観た事があるのだろうが
2013年に、岡山市財田で行われた三菱対島根が
最初の思い出。雨でグラウンドが
よくなかったことを覚えている。
デッツォーラ島根のサッカースタイルは、
どちらかというと、カウンターアタック主体で、
隅田航選手や監督の若三康弘さんが連れてきた
ブラジル人の高い個人技を生かすサッカー。
その時から、チームのエースは、前述の京都サンガで
プロ経験のあるFW隅田航選手。
そこから、岡山でデッツォーラ島根の試合が
あれば、定期的に観に行っていて、弊ブログにも
デッツォーラ島根の事を書いていた。
翌2014年。当時よく観ていたアルテリーヴォ
とデッツォーラ島根が全社で対戦すると聞き
わざわざ、和歌山県紀ノ川まで観に行った事もあった。
その全社の試合後、監督の(広島訛りのある)
若三康弘さんから「ブログの子やね」
と言われ、クラブのトップの人に弊ブログを
見られているのかと思った事を強く覚えている。
それ以降、若三さんに顔を覚えてもらい、試合や
アミティエ合同セレクションで
会えばちょこちょこっと、話をさせてもらっていた。
出場停止の身なのに、試合現場近くに
居たこともあったし、握手をすれば、
「温かい手しとんな」と言われたこともたびたびあり
「龍野(FC)はどうなんだ」とよく聞かれていた事も思い出す。
時を同じくして、2015年以降のデッツォーラ島根は
同県の松江シティの存在を尻目に、少しずつ弱体化。
全社、地決、天皇杯への出場権を逃す事が増えていく。
ベンチ入り2,3人で、公式戦を戦う場面もしょっちゅうあった。
そして、2017年。その若三さんが、逝去。以降、
庄司孝選手兼監督を中心に、チームを切り盛り、
千葉県のエクサス市原から常名秀則氏が
クラブに携わるものの、2018年シーズン終了後、
島根県リーグに降格。翌19年シーズンは島根県リーグ
で優勝し、中国リーグに復帰するも、中国リーグを
戦う事なく、2020年11月にU-12部門を残し
デッツォーラ島根E.Cは、解散する事になった。
最後に観た試合は、2018年の中国リーグ
大雨の三菱対島根戦だったか、メンバーこそ
少なかったものの、3-0から追い付いた試合。
大雨と大風で来るんじゃなかったと
心から思った試合だったが、結果的には来てよかった。
が正直に、弱くなっているなとは感じていた。
2019年に、朝練の導入、事務所も移転して、本格的に
島根に根をおろすものと思っていたが。
2019年、2020年と、デッツォーラ島根を現場で
観る事なく、お別れ。ただただ、残念だ。
12月16日(水)
閲覧数564PV、訪問者数363人
#デッツォーラ島根
というタグを立ち上げた。
2013年から2018年までの旧ブログ時代のものも
(再度アップ)含めたデッツォーラ島根に関する記事に、
全て #デッツォーラ島根 タグをつけている。
先月、正式名デッツォーラ島根エスポルチクルービ
が解散した事を知り、何かしら、
そして誰かしらの記憶に残る事に
役立てたらと思い、タグを作ってみた。
思い出せば、おそらく2013年以前にも
ファジアーノ岡山ネクストと対戦していた時分や
FCセントラル中国と呼ばれていた時代の試合を含めて
デッツォーラ島根を観た事があるのだろうが
2013年に、岡山市財田で行われた三菱対島根が
最初の思い出。雨でグラウンドが
よくなかったことを覚えている。
デッツォーラ島根のサッカースタイルは、
どちらかというと、カウンターアタック主体で、
隅田航選手や監督の若三康弘さんが連れてきた
ブラジル人の高い個人技を生かすサッカー。
その時から、チームのエースは、前述の京都サンガで
プロ経験のあるFW隅田航選手。
そこから、岡山でデッツォーラ島根の試合が
あれば、定期的に観に行っていて、弊ブログにも
デッツォーラ島根の事を書いていた。
翌2014年。当時よく観ていたアルテリーヴォ
とデッツォーラ島根が全社で対戦すると聞き
わざわざ、和歌山県紀ノ川まで観に行った事もあった。
その全社の試合後、監督の(広島訛りのある)
若三康弘さんから「ブログの子やね」
と言われ、クラブのトップの人に弊ブログを
見られているのかと思った事を強く覚えている。
それ以降、若三さんに顔を覚えてもらい、試合や
アミティエ合同セレクションで
会えばちょこちょこっと、話をさせてもらっていた。
出場停止の身なのに、試合現場近くに
居たこともあったし、握手をすれば、
「温かい手しとんな」と言われたこともたびたびあり
「龍野(FC)はどうなんだ」とよく聞かれていた事も思い出す。
時を同じくして、2015年以降のデッツォーラ島根は
同県の松江シティの存在を尻目に、少しずつ弱体化。
全社、地決、天皇杯への出場権を逃す事が増えていく。
ベンチ入り2,3人で、公式戦を戦う場面もしょっちゅうあった。
そして、2017年。その若三さんが、逝去。以降、
庄司孝選手兼監督を中心に、チームを切り盛り、
千葉県のエクサス市原から常名秀則氏が
クラブに携わるものの、2018年シーズン終了後、
島根県リーグに降格。翌19年シーズンは島根県リーグ
で優勝し、中国リーグに復帰するも、中国リーグを
戦う事なく、2020年11月にU-12部門を残し
デッツォーラ島根E.Cは、解散する事になった。
最後に観た試合は、2018年の中国リーグ
大雨の三菱対島根戦だったか、メンバーこそ
少なかったものの、3-0から追い付いた試合。
大雨と大風で来るんじゃなかったと
心から思った試合だったが、結果的には来てよかった。
が正直に、弱くなっているなとは感じていた。
2019年に、朝練の導入、事務所も移転して、本格的に
島根に根をおろすものと思っていたが。
2019年、2020年と、デッツォーラ島根を現場で
観る事なく、お別れ。ただただ、残念だ。
12月16日(水)
閲覧数564PV、訪問者数363人