
修学旅行で訪れた二条城、大きな建造物、鶯張りの廊下、時を経て煤けた障壁画、二の丸御殿の前で記念撮影、そんな覚えしかない。修学旅行の醍醐味は友との旅行の楽しさ、歴史的建造物もそれほど真面目に見ていないことに今更ながら気づく。そこで、今回改めて二条城を見に行った。
二条城は1603年(慶長8年)、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代家光が伏見城の遺構を移すなどして1626年(寛永3年)に完成したもの。家康が建てた慶長年間の建築と、家光指導による絵画・彫刻が総合された桃山文化の芸術品となっている。
1867年(慶応3年)十五代慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)に京都市に下賜された。1994年(平成6年)にはユネスコ世界遺産に登録され、2003年(平成15年)に築城400年を迎えた日本が誇る歴史的建造物である。
障壁画の修復も着々と進んでいるようで、修学旅行で訪れた時よりも障壁画にプラスチック覆いなどの保護が進み、近づいたり触ることができなくなっていた。少々寂しい。
二条城には葵と菊、二種類の象徴的な紋が存在する。そして書院の造りや障壁画にも実は様々な意図が見え隠れする。権力のゆらぎ、儚さが透けて見える。そこが興味深くもあり、切なくもあり。
唐門の立派な菊紋飾金具は大政奉還後、二条離宮と称されてからのもの。それまでは当然葵のご紋だった。菊紋の裏をみると、葵のご紋を打ち直して作ったものであることがわかるという。紋に注視して歩いたが、菊のご紋ばかり。私が葵のご紋を見つけたのは屋根瓦だけだった。もしかしたら他にも小さなところに隠れていたのかもしれないが。
襖絵模様、二の丸御殿を彩る狩野探幽らの障壁画、将軍が外様大名と面会する大広間は松鷹図、力強く威圧的な絵となっている。一方、親藩や譜代大名と面会する黒書院は桜や牡丹など花鳥の世界を描き、雅で優しい絵となっている。権力は時に調度品によって強調され、演出される。
大名の控え室、「遠待の間」の中でも天皇の勅旨が通される勅使の間は、芙蓉の花が描かれ貴族的。如何にも朝廷に合わせ歓迎しているかに見える。しかし、勅使が上台に座ると南向きでなく西向きになるように作られている。通常、天皇や将軍といった貴人は北に座し、南を向くように座ることになっている。ここに幕府のただではひれ伏さぬ意図が見え隠れしていると言われる。
霧雨降る中、夕暮れ近く、既に人も少ない二条城を堪能した。年を経て、視点も変わり、改めて京都は季節や年齢によって様々な楽しみ方ができるものだと帰路に着いた。年をとるのも悪くない。
長々私の京都紀行におつきあい頂き、ありがとうございました。
二条城は1603年(慶長8年)、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代家光が伏見城の遺構を移すなどして1626年(寛永3年)に完成したもの。家康が建てた慶長年間の建築と、家光指導による絵画・彫刻が総合された桃山文化の芸術品となっている。
1867年(慶応3年)十五代慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)に京都市に下賜された。1994年(平成6年)にはユネスコ世界遺産に登録され、2003年(平成15年)に築城400年を迎えた日本が誇る歴史的建造物である。
障壁画の修復も着々と進んでいるようで、修学旅行で訪れた時よりも障壁画にプラスチック覆いなどの保護が進み、近づいたり触ることができなくなっていた。少々寂しい。
二条城には葵と菊、二種類の象徴的な紋が存在する。そして書院の造りや障壁画にも実は様々な意図が見え隠れする。権力のゆらぎ、儚さが透けて見える。そこが興味深くもあり、切なくもあり。
唐門の立派な菊紋飾金具は大政奉還後、二条離宮と称されてからのもの。それまでは当然葵のご紋だった。菊紋の裏をみると、葵のご紋を打ち直して作ったものであることがわかるという。紋に注視して歩いたが、菊のご紋ばかり。私が葵のご紋を見つけたのは屋根瓦だけだった。もしかしたら他にも小さなところに隠れていたのかもしれないが。
襖絵模様、二の丸御殿を彩る狩野探幽らの障壁画、将軍が外様大名と面会する大広間は松鷹図、力強く威圧的な絵となっている。一方、親藩や譜代大名と面会する黒書院は桜や牡丹など花鳥の世界を描き、雅で優しい絵となっている。権力は時に調度品によって強調され、演出される。
大名の控え室、「遠待の間」の中でも天皇の勅旨が通される勅使の間は、芙蓉の花が描かれ貴族的。如何にも朝廷に合わせ歓迎しているかに見える。しかし、勅使が上台に座ると南向きでなく西向きになるように作られている。通常、天皇や将軍といった貴人は北に座し、南を向くように座ることになっている。ここに幕府のただではひれ伏さぬ意図が見え隠れしていると言われる。
霧雨降る中、夕暮れ近く、既に人も少ない二条城を堪能した。年を経て、視点も変わり、改めて京都は季節や年齢によって様々な楽しみ方ができるものだと帰路に着いた。年をとるのも悪くない。
長々私の京都紀行におつきあい頂き、ありがとうございました。
重厚できれいなところですよね。さすが徳川家&天皇家の持ち物だったもの。
>今行ったらまた違った感覚でみれるんでしょうね♪
たぶん。同じモノなんだけど違った視点で見られて面白かったです。
二条城、確かにあんなに空いているのは珍しいかも。いつも観光バスがひしめいていますもんね。
夕暮れ近かったし、雨だったせいかもしれません。
十ウンねんぶりの二条城は懐かしく楽しいものでした。
本当に、一生懸命観てきたつもりなのにそこ見ていなかった~ってことありますね。見ているようで見てないこと。
>そして確かに年を重ねてからの方が沢山の事が解るような気がします。
本当に。今まで色々なことを漫然と見ていた気がします。
これからまた年を重ねて違ったことが見えてくるのかと思うと楽しみです(●^-^●)
行った記憶がありますよ。
きれいなところだな~って
思ってました。
今行ったらまた違った感覚で
みれるんでしょうね♪
静かに見て廻ると感慨深いものがあるでしょうね。
再訪したいところです。
美術館で一生懸命 眼を凝らして観てきたつもりなのに
「高台は割り高台だったね」なんていわれると
あっ!そこ見ていなかった~何んてこと良くあります。
ましてやたまごさんがおっしゃるように
以前見て感じた事が 年をとってから見るとまた
ちがう味わいに感じる事ってありますね。
そして確かに年を重ねてからの方が沢山の事が
解るような気がします。
>年をとるのも悪くない
同感です(^^)
私、ラーメン大好きですよ。結構こってりしたものが好き。
二条城は周囲を歩いたら結構な時間がかかりそうですよね。修学旅行では二条陣屋という忍者屋敷にも行きました、こちらは小さい中に様々な細工があって面白かったです。
清流園、ちょうどその日もお茶会があったようなのですが終了していて入れませんでした。残念。
本当に広くて散歩にもいいですね。後ろから歩いてきた外国の方がexitはこっちで間違いない?と不安そうに尋ねてきました。確かに広くて何処が出口って思うかも。
“麺馬鹿一代”というラーメン店があります。
カウンターで食べる ネギラーメンは
紙エプロン着用で手荷物やコップはカウンターの下
決して逃げないようにと注意の後は
火柱昇る迫力ですよ!
ラーメンはお好きですか?
二条城の清流園で開催されるお茶会もいいですよ。毎年秋に市民大茶会として催されます。広々とした庭がきれいです。