茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

父を想う 何が正しいのかわからない

2021-06-21 14:33:47 | m-tamagoの物想い
 昨日は父の日でした。
 皆さん、どうお過ごしだったでしょう。

 朝日新聞の天声人語も、娘が亡き父について書いた内容でした。

 その中で、父が娘に向けて詠んだ歌が書いてありました。
「転勤の娘の背に春の陽は徹る良き友を得よ良き上司得よ」
21年ぶりに読み返した自費出版の父の歌集から、どれよりもずしりと心に響いたと。

 この男性が参加していた短歌結社「歌林の会」を創設した馬場あき子さんは、
「父親って、娘が小さいときはあこがれの人なのに、だんだんうっとうしくなる。不器用で本音を言わないから、言葉を介してつながれる間柄ではないかもしれません」

 あとから知る父の想い、娘の父への想い。
 家族の数だけ、色々あるでしょう。


 私の父は、現在85歳。
 母が亡くなって8年、独り暮らしをしていました。
車で30分ほどの場所にいるので、1~2週間に1回、会いに行っていました。

 年を追うごとに様子は変わっていきました。
 最初自炊していたのが、段々お惣菜を買う生活に。
 もともと家のことは母任せでしたが、洗濯やトイレ掃除、食器洗いなど、私たちが訪ねるとわかると
片付けていたのが、行っても片付いていない状態に。
 それでも、コロナ前までは、1か月に1回友人たちと企画した場所にハイキングに出かけたり、カラオケや図書館に行ったり、毎日の買い物に散歩がてら行って、生き生きと過ごしていました。

 コロナになって、本人自身が自宅にいることが増え、私たちが訪ねる回数も減り、行く度に「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫」と言ってはいましたが、「最近はきつい。まあ年だからね」と時々いうようになりました。
時々もの忘れがあるな、と感じても、年のせいかな、と勝手に考えていました。

 ところが、ある日、かかりつけの歯科医から電話がきました。
「予約した日にいらっしゃらなかったり、明らかに様子がおかしいので、一度病院に行った方がいいですよ」

 大病のない父は、ここ数年病院にもいかず、かかりつけ医もいない状態。
私も自分や家庭のことだけで、正直とりあえず生活できていた父のことはほったらかしでした。
自宅を片付けていて、市の健康診断のお知らせを見つけ、近所の病院で診てもらいました。
 診断は「重度の糖尿病」、軽い認知もある。
数値からして服薬だけでの回復は難しく、まずは糖尿病の教育入院を薦めますとのことでした。
父は入院に消極的でしたが、一人きりにしておくのも不安だったし、何の疑問も持たずに、教育入院の申し込みをして、入院日までは訪問しつつ、服薬でしのぐことになりました。

 そして、2週間の教育入院。PCR検査とインフルエンザの検査を受けて、病院に。
入院してほっとした私がいました。
でも、これが間違いでした。
 考えてみれば、教育と名がつくだけあって、自分の血糖や体の状態を理解し、退院後どのように食生活や日常をコントロールすれば糖尿病を悪化させずに生活できるかを学ぶ入院だったのです。
 若い糖尿病患者ならいざしらず、85歳の父は認知が入っていたこともあり、言われた通り血糖値を測り、規則正しい生活をすることはできても、色々説明されても理解はできなかったのです。というより、苦痛だったと思います。
 結果、2週間後に血糖値は安定しましたが、忙しい病院の中で誰かから話しかけてもらったり十分なケアを受けることもできず、コロナ下で家族との面会もできず、入院生活で筋力が落ち、却って完全に弱った病人になってしまいました。
 そして、一人では絶対に実家に戻れない、かといって私のところですぐ一緒に暮らすことは考えられない状況下、老人ホームに入ることを勧められました。
 退院までは時間もなく、病院と地域のケアマネージャーさんと話をしたり、信頼できる知り合いに相談したりして、バタバタと老人ホームを見学し、入れるところに託することになりました。

 入居して約半年。
 入居したホームは2週間に1回15分の面会は許されるので、会えます。
 でも、体力気力共に落ちた父、衣食住整った環境で安心とはいえ、知らない人ばかりの施設で、幸せそうには見えません。コロナでなければ、自由に外出したり、面会もできたようですが、今はホームも入ってしまったら簡単には出ることができません。
 父も入居時、おまえたちがいいようにすればいいと言ってはくれましたが、今もこの選択が正しかったのかは悩ましく苦しいです。
 色々な想いが行ったり来たりします。


 かかりつけ医のいなかった父をまずどこで診てもらうか、最初に悩みました。
 歯科医の認知かもしれないとの言葉から、ネット検索して最初に見つけたのは市の総合保険医療センターのもの忘れ外来。体の全体状態と脳の検査両方してくれるとのことでしたが、混んでいて予約できたのが1か月以上先でした。
 とにかく早くと、近所の病院で健康診断を受けた結果、重度糖尿が見つかってそちらの方に目がいってしまい、教育入院を選択したわけですが、もしかしたら、認知検査を先にしていたら、もっと違った選択ができたかもしれないと思いました。
 これも出会いと、自分の知識不足、判断によるものなので、今となってはどうしようもないことではあります。


 こうなってわかったことは、
〇近くに何でも相談できるかかりつけ医はもっておいたほうがいい
〇高齢者の長期入院はしないほうがいい(医者も家族もそのリスクをしっかり把握したほうがいい)
〇最初から一緒に住んでいるか、近所に住んでいないと、急に一緒に住んだり、介護をする環境は整えられない
〇本当は住んでいた家で、信頼できる機関の訪問介護や看護を受けながら生活できるのが、本人にとっても家族にとっても幸せなことかもしれない
〇ちょっと不安があったら地域のケアマネさんに相談してみる(いいアドバイスがいただけるかも)
ということです。


 誰もが通る道ですが、老いた時、認知になった時、
どうするのか、どうしたいのか、考えておくこと、
誰かに伝えておくこと、
どこに相談したらいいかを調べておくことは
大事なことかもしれません。
それでも思い通りにいくとは限りませんが。

 こんなことを考える父の日を迎えるようになるとは。
自分も年をとったということですね。
 昨日は会えなかったので、家から、心の中で、ありがとう、ね。
 
 



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