日本橋高島屋8階催し物会場で5月17日~22日まで「この道ひとすじ 日本の伝統展」と称して、日本の伝統工芸品の数々が集約するようだ。27回目とあるから毎年やっているようだが気づかなかった。
先日高島屋の地下食品街から地下鉄に向かおうと出たところで、ウィンドーにたくさんの茶筅が飾られているのを発見、思わず近づいていくと、茶筅が流派問わず飾られている。全部で25本、ひとつとして同じ姿のものはなく、茶筅と一言で言ってもこんなにたくさんの姿形のものがあるのだと感心した。私が認識しているのは、荒穂、数穂、煤竹くらいなものでしたから。
後日どうしてももう一度見たくて、ペンを片手に出かけた。
室町時代後期、大和高山城主の次男宗砌が茶道の祖、村田珠光から依頼を受け考案したのが茶筅の始まりで、その技は一子相伝で約500年にも渡って受け継がれているという。飾られていた茶筅の名称を上げていきます。写真でお見せできないのが残念ですが。
利休、官休庵天目、千家流荒穂、表千家天目、高穂、
石州流、五分長、宗偏流、天目、武者小路千家、
白竹八十本立、煤竹八十本立、遠州流本形、官休庵荒穂、遠州流古形、
表千家煤竹真、薮内流、表千家真中荒穂、野点用、還暦祝用、
千家流真、煤竹百本立、中荒穂、茶箱用、松尾流
これだけ並ぶと壮観である。柄の様子や先の穂の形、穂の荒さ、竹の色など、ひとつとして同じ物がないのが見事。一見して分かる違いは、天目用は柄が長く先に短めの穂がついていること、結び紐はほとんどが黒だったが、高穂、石州流が白、還暦祝用が赤ということ。でもこれは一部で実は100種近くあるようです。
茶筅がなくては茶は点てられず、シンプルな作りで小さいけれど大切な道具。来週この高山茶筅を見に高島屋に出かけてみようと思う。また見てきたら感想をアップします。
茶筅以外にも、南部鉄瓶、江戸切子、明珍火箸、桐箪笥、大島紬、印伝など様々な日本の伝統工芸が見られるようだ。お近くの方は日本の匠の技を感じに出かけませんか。
先日高島屋の地下食品街から地下鉄に向かおうと出たところで、ウィンドーにたくさんの茶筅が飾られているのを発見、思わず近づいていくと、茶筅が流派問わず飾られている。全部で25本、ひとつとして同じ姿のものはなく、茶筅と一言で言ってもこんなにたくさんの姿形のものがあるのだと感心した。私が認識しているのは、荒穂、数穂、煤竹くらいなものでしたから。
後日どうしてももう一度見たくて、ペンを片手に出かけた。
室町時代後期、大和高山城主の次男宗砌が茶道の祖、村田珠光から依頼を受け考案したのが茶筅の始まりで、その技は一子相伝で約500年にも渡って受け継がれているという。飾られていた茶筅の名称を上げていきます。写真でお見せできないのが残念ですが。
利休、官休庵天目、千家流荒穂、表千家天目、高穂、
石州流、五分長、宗偏流、天目、武者小路千家、
白竹八十本立、煤竹八十本立、遠州流本形、官休庵荒穂、遠州流古形、
表千家煤竹真、薮内流、表千家真中荒穂、野点用、還暦祝用、
千家流真、煤竹百本立、中荒穂、茶箱用、松尾流
これだけ並ぶと壮観である。柄の様子や先の穂の形、穂の荒さ、竹の色など、ひとつとして同じ物がないのが見事。一見して分かる違いは、天目用は柄が長く先に短めの穂がついていること、結び紐はほとんどが黒だったが、高穂、石州流が白、還暦祝用が赤ということ。でもこれは一部で実は100種近くあるようです。
茶筅がなくては茶は点てられず、シンプルな作りで小さいけれど大切な道具。来週この高山茶筅を見に高島屋に出かけてみようと思う。また見てきたら感想をアップします。
茶筅以外にも、南部鉄瓶、江戸切子、明珍火箸、桐箪笥、大島紬、印伝など様々な日本の伝統工芸が見られるようだ。お近くの方は日本の匠の技を感じに出かけませんか。
茶筅も伝統工芸品ですものねー。
うちの流派は煤竹のものを使います。
で、先日からそのお稽古ばかり・・・
貴人さまには普通の白竹。
お供の方には煤竹。
でも、煤竹の方が高価なんですよね。
ってことは・・・お供の方が高級品で点てるのぉ?なんてバカな事を考えながらお稽古してました。
先日、青年部行事で中国製の安価な茶筅でお茶点ててたら・・・ボキボキ折れて大変!!
やっぱ日本製に限りますね ♪
しかし、私はひと目見ただけでは違いがわかりません。先生によると藪内流のは柄の部分がやや細いそうなのですが・・・。
流の特色が出るのはいいと思うのですが、藪内流の茶筅を扱っている店は限られているので、私は家では普通の(たぶん裏千家用)の茶筅を愛用しています。
茶筅って、手がこんでいて、使い終わっても、なかなか捨てられず、再利用したりしています。
(毎四月に 茶道会館で、茶筅供養があるので、行ければいいのでしょうが)
赤の結び紐の茶筅、還暦祝いにはまだ早い私ですが、友達から頂きました。(茶巾はピンク付き)ちょっとしたお祝いに使います。
嶋台の下の茶碗は、大きくて、茶筅がすべってお茶碗の中にすべって入ってしまいます。五分長もつかったりしていますが、いい方法は無いかしら?
日本の匠の技、守りつづけてほしいですね。
tamago様の日記、次回も楽しみにしております。
茶筅、色々あるのです。びっくりでした。
この地下ウィンドーの展示は、多分17日までか、長くても22日までな気がします。写真撮るか、スケッチでもしたい気分です。
実際この伝統展に行って新しい情報があったらお知らせしますね。
月末帰国、楽しみですね~。
宗偏流では、煤竹ですか、表さんと一緒ですね。
昔は煤竹の方がたくさんありましたが、今や少なくて煤竹の方が高価になってしまいましたね。
また行ってきたらご報告します。
「貴人清次薄茶」、貴人には白竹、お供の方には煤竹。裏ではそうですね。ふと表はどうなんだろうと気になりました。もしかして反対かも?
煤竹は昔茅葺屋根だったころはそこいらじゅうにあって手に入りやすかったんですよね。今や環境が変わってわざわざ竹を燻して作らなくてはならないので、煤竹の方が高価になってしまっていますが。
裏がいつから白竹を使い始めたのかは残念ながら知りませんが、多分表千家と変えるためだったのではないかと推測しています。表と裏が分かれた時から?どなたかご存知ありませんか~?
中国製の茶筅は申し訳ないけれど質が悪いそうです。消耗品とはいえおいしいお茶をたてるためには大切な茶筅、いいものを使いたいですね♪
藪内流の茶筅、飾られていましたが、確かに並んでいる中で比べればわかるけれど、普段それだけ見せられてもわからないですよね。
流の差がある茶筅も並べてみると圧巻でした。普段何処でも売っている茶筅はやっぱりベーシックな”利休”なのかなぁ。。。。
伝統展に行ったらまた匠の方に色々お話を聞いてこようと思っています。