室町時代、八代将軍足利義政の「茶とは何か」との問いに村田珠光が「茶は遊に非ず、芸に非ず。一味清浄法喜禅悦の境也」と答えたように、一碗の茶をもって精神修養の根本とされていた茶道。
江戸時代、その本来の姿を改めて形にした”七事式”(かげつ、しゃざ、まわりずみ、まわりばな、ちゃかぶき、いちにさん、かずちゃ)につけられた無学宗衍禅師の掲頌は以下のとおりです。花月をなさっている方は耳にしたことがあるでしょう。
花月 互換機鋒看子細 (ごかんきほうしさいにみよ)
且座 是法住法位 (このほうはほういにじゅうす)
廻り炭 端的底看漸 (たんてきていにしゃくをみよ) *”漸”は下に”耳”の字がつく
廻り花 色即是空凝思量即背 (しきそくぜくうしりょうこらせばすなわちそむく)
茶カブキ 干古干今裁断舌頭始可知真味 (いにしえにいまにぜっとうをせつだんしてはじめてしんみをしるべし)
一二三 修証即不無染汚不得 (しゅうしょうはすなわちなきにあらずせんおすればえず)
員茶 老倒疎慵無日 閑眠高臥対青山 (ろうとうそようぶじのひ かんみんこうがしてせいざんにたいす)
やっとここまで辿り着きました。
それぞれに込められた意味については追々。
江戸時代、その本来の姿を改めて形にした”七事式”(かげつ、しゃざ、まわりずみ、まわりばな、ちゃかぶき、いちにさん、かずちゃ)につけられた無学宗衍禅師の掲頌は以下のとおりです。花月をなさっている方は耳にしたことがあるでしょう。
花月 互換機鋒看子細 (ごかんきほうしさいにみよ)
且座 是法住法位 (このほうはほういにじゅうす)
廻り炭 端的底看漸 (たんてきていにしゃくをみよ) *”漸”は下に”耳”の字がつく
廻り花 色即是空凝思量即背 (しきそくぜくうしりょうこらせばすなわちそむく)
茶カブキ 干古干今裁断舌頭始可知真味 (いにしえにいまにぜっとうをせつだんしてはじめてしんみをしるべし)
一二三 修証即不無染汚不得 (しゅうしょうはすなわちなきにあらずせんおすればえず)
員茶 老倒疎慵無日 閑眠高臥対青山 (ろうとうそようぶじのひ かんみんこうがしてせいざんにたいす)
やっとここまで辿り着きました。
それぞれに込められた意味については追々。
大きな額に“芸仁遊”とあり
“芸”や“遊”について考えたことがありました。
このブログを拝読しそのことを思い出しました。
意味の解説を待つこととしましょう。
弘道館、まだ行った事がありません。行きたいですね~。
芸仁遊とは深いですね。芸と遊びの間に仁があるというのが理にかなっている気がします。
芸や遊についてどのようなことをお考えになったのでしょう??
私も解説を読まないとわかりません。読むとほおおおおと納得できるのですが。
でもそれを点前で実践すると考えると難しかったりして。
この機会にしっかりお勉強したいですね。
どうぞ宜しくお願いします。
自分で調べずにたまごさんに頼ってばかりで・・・すみましぇん!!
4月から月に一回、新しい先生宅にお世話になり始めての2回目。
ただでさえ緊張するのに、今日はとても密度の濃い大変な稽古でした。
茶入れ飾り・且座(私は三客)・茶通箱と目の回る、足の縺れる3時間でした。
風炉の始めなので、平点前でじっくり・・と思っていただけに、なかなか頭と身体が付いていきませんでした。 改めて勉強です。
たしか奈良の町中に彼の名を刻んだ石が立っていた。あれは近鉄奈良駅北側のお寺の前だったのでは? 今度そのお寺を訪ねてみます。
“芸”と“遊”の意味は大変奥深く難しいですね。当時、筑波の研修施設で約40日間研修を受けていたのですが、休日になるとそれが知りたくて弘道館に通っていました。
七事式、知るほどに作った方達はすごいなぁと思います。茶道に対する姿勢が違いますね。それにしても禅語は難しい。
私も頑張らなくては。
茶入れ飾り・且座(私は三客)・茶通箱とは最初から随分充実していますね。
私も2度目のお稽古をして、風炉に慣れてきました。今回も色々先生に細かいところをご指導頂きました。