茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

十六代 樂 吉左衛門 展  日本橋三越美術画廊

2024-11-06 10:06:10 | 美術館・展覧会

日本橋三越の美術画廊で開催されていた「十六代 樂 吉左衛門 展」

にいってまいりました。 2024年10月30日~11月4日

 

 

スタイリッシュでモダンな空間。

黒楽茶碗、赤楽茶碗、そして初めて目にする「今焼茶碗」が並んでいました。 

もう、ワクワクし通しでした。 

 

 

 一周して、もう一回り、友人と好きなお茶碗について話し合う。

赤だったら私はこれが好き、黒はこっち、この口づくり、すぼまった感じがいい、といった感じです。

お互い違うお茶碗を選んで、楽しいひとときを過ごしました。

 

 

 お忙しいかなと思いつつ、当代に声をかけさせて頂き、 お話を伺うことができました。

とても勉強になり、充実した時間を頂きました。

作家さんに直接お話を伺えるのが美術画廊での個展の最大のお楽しみです。

 

今回も拝見して感じた疑問を率直に伺ってみました。

 ①黒楽の胴に赤色の景色がありますが、どうやって出すのか? 

②赤楽の色合い、灰色の部分は炭や炎の色? 

③今焼茶碗とは?

 

①黒楽の景色

黒樂の景色となっている赤色は釉薬をかける時にとばしたものが、火の中で溶け落ちていく中で生まれる。

こういう景色が出るだろうという予測はつけながらも、結果は焼きあがってみるまでわからない。納得がいくまで何度でも焼く。

時には、よし!と思ったのに炎の中から引き揚げた瞬間に割れてしまう茶碗もある。試行錯誤と偶然の結果である。

友人は、ある黒楽茶碗を見て、龍が昇っていくみたいで好きだわと言いました。

黒い中に現れた赤色は見る者の想像をかきたててくれるようです。

 

②赤樂の景色

今回、全体が赤というより、灰色が目立つ赤楽茶碗が多く、この景色はどうやって生まれるのだろうかと疑問をもちました。

赤楽に出る灰色の色は、炎や炭の当りによって生まれる。

具合によって炭を茶碗に押し当てたり、よけたりすることもあるが、その時の窯、炭、炎の具合によって灰色が生まれる。

赤と灰色が縦に交互に入っているような赤楽茶碗は洋風な感じがしました。

 

③今焼茶碗とは

今回新しく発表されたお茶碗。

今焼茶碗は土の色がそのまま感じられるもので、 これまでのいわゆる樂茶碗とは異なるイメージのものでした。

 光の具合でキラキラと煌めきがありながら、 素朴な佇まいもあり、茶室で拝見してみたいと思いました。

友人は、お茶もいいけど、お花を添えても美しいかも、と言いました。

今は楽焼と言えばコレと決まっているが、長次郎や代々が焼いた茶碗も、その時代では斬新なもので今焼と呼ばれた。今回焼いた茶碗は、土は薬師寺東塔の土台の土で、黒・赤と同じだが、 その配合や釉薬が違い、新しい楽茶碗として生まれたので、今焼と名付けたと。

この命名に関しては、千家のお家元にご相談して最終的に決めたのだそう。自分としてはこういう想いで焼いたが、今焼と呼んでいいものかどうか、伺ってからと。

 

今焼茶碗のうち3つは表千家、裏千家、武者小路千家の箱書きが添えられて飾られていました。

その中では、友人は武者小路千家の、私は裏千家の今焼茶碗が気に入りました。

これらの茶碗はどうやって箱書きを頂くのかしら?と素朴が疑問が沸いてきて、「いくつか今焼茶碗を持っていって家元に選んで頂くのですか?」と聞いてみました。(今思えば、そんなこと聞くのは厚かましくおこがましかったかなと少し反省しています)

当代は

「これと思うものをお持ちして、色々お話して、頂きます。今回、どちらのお家元もすごく時間をとって下さった。最後に、じゃあ、茶室で一服点ててみようかと言われた時は本当に嬉しかった。」とおっしゃっていました。

 

箱書きは有難いことだけれど、茶碗がその流派に限定されてしまうというお話も。

確かに、箱書きがあることでその茶碗の茶道世界での格は上がるし、私たちもつい有難がってしまうのだけれど、それよりも、お茶碗そのものの良さを皆で大事に味わってほしいという想いがあるのかな、と感じました。

展覧会のごあいさつにも「茶の心」が内在する茶碗でありたい、と書かれていて、鑑賞するだけではなく、様々な方に茶碗として茶室で使ってもらえるお茶碗を作りたいとの思いが伝わってきました。

 

 裏千家では、濃茶を頂く時、樂茶碗には古帛紗を敷きません。

となると、この今焼茶碗もひかないんだろうなと思いつつ、質問させて頂きましたら、その通りでした。

 でも、樂といえば黒や赤の釉薬がかかったものとの常識が頭にあり、今焼茶碗を見たことがない方が茶室で出されたら、おや?古帛紗はひかないの?と思ってしまうかもしれないと思いました。そういう意味でも利休様や長次郎が最初に世に出した時と同じ、新しい、私たちの常識を外してくれる、まさに今、焼かれたお茶碗なんだなと思いました。

 

 

他に印象的だったお話。

 「楽の教えに教えないということがある。 釉薬の配合から土の扱いなど、自分で考えて作る。 教えると枠にはまったものしかできないから。だから、樂茶碗は、それぞれの代に特有の特徴が生まれる。」 

「それぞれの代が情熱をもって作品を作っている。父の焼貫はその時代に斬新なものとしてアートになった。尊敬している。斬新なアートが沢山ある今だったら生まれなかったのではないか。私は茶で使われる、茶室の自然な光を味わえる茶碗作りを求めた。時代により、各代により特徴が違う。」

「 茶で使われる、茶室の自然な光を味わえる茶碗作りを求め 展示では、帛紗もひきませんでした。 いかにも特別というのが嫌だし、底周りもみてほしかったから。」 

 

 お忙しいのに、とても丁寧に説明してくださり、 ご自身の思いも熱くお持ちであることがわかり、 感動しました。茶碗もですが、ご本人もとても魅力的な方でした。

 

今回の茶碗は抽選販売で、既に売約済のものもありました。

私には手がでませんが、いつかこの方が作った一碗でお茶を点てたいな、点てたお茶碗で抹茶を飲みたいな、私も茶道精進していこうと改めて思いました。

襲名記念の展覧会から3年。今焼茶碗に出会う。時の流れは早いものです。

ご参考  襲名記念 十六代 樂吉左衛門展

 

各界からのお祝いのお花も見事でした。

今後益々のご活躍をお祈りしております。

    

 

 

 

 


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