朝日新聞の”ひととき”という欄は様々な人の思いが書かれていて毎日必ずといっていいほど読むコラムである。
先日の題は”孫の成長 母の衰え”というもので、総勢5人の孫の、成長と変化に喜びと驚きを感じ、一方妹さんと交代で通っている82歳の一人暮らしのお母さまはできることがゆっくりと減っていく状況を見ての思いを綴っておられた。ベビーカーに乗る赤ちゃんと車いすに座る年配の方、同じ車に乗っているのにどこが違うのか、赤ちゃんを見ると他人の保護が必要でただただ可愛い、人から愛される能力は生きていく上ですごい力になるから、自分も人様の手を借りるようになったら外見は勘弁していただいてこの凄い力を発揮したい、そうすれば世話してくれる人は楽になるんじゃないか、成長と衰えを往復しながら考えたとあった。
この話を読んで、今流行っている”手紙”という詩を思い出した。最初にこの歌を聞いた時、私は涙した。私自身、今子育てをしながらその大変さに母を思うことが多くなり、一方で誰よりも頼りになり強いと感じていた母の老いを感じているところだったから、より心に染みるものがあったのだと思う。
*************************
手紙~親愛なる子供たちへ~
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたに色んな事を教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに聞いて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ足も弱り 飲み込むことさえ出来なるかも知れない
足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
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娘を見ているとその成長は目覚ましいものがあります。生まれた頃、3キロにも満たなかった体が、9キロにもなり、寝っぱなしだったのがどんどんハイハイし、時折つかまり立ちをするようになり、目を輝かせて色々なものをキョロキョロみて、笑ったり泣いたりする。その大変さと驚きの中で、自分の幼少時代を振り返り、自分もこうだったのだろうか、こういうときは母はどうしていたのだろうか、と様々な思いを巡らせています。こんなに母を必要としていた頃があったはずなのに、いつしか反抗したり、一人で育ったような顔をして好き勝手なことをしたり、寂しい思い、辛い思いをたくさんさせたのだろうと思います。面と向かって謝ることはできそうもないけれど、いつか手紙に心からの侘びと感謝を書こうかしら。私自身もこれから娘が大きくなってそういう思いをするのかもしれません。
母は、達筆で毎日習字の練習も欠かさなかった祖母が病気になり、ペンを握れなくなったとき泣いたと言いました。親の弱さを目の当たりにした時、絶望的な気持ちになるものかもしれません。年をとって祖母の年になってどういう思いでいたのか、やっと分かった、納得できたともいいます。その年になってみないと実感できないことというのもきっと多いのだと思います。
これから益々老いていく両親を支えるだけの強さと心の余裕を保ちたいものです。そして、まだまだ頑張り時の私ですが、やがて出来ないことが増えていっても、上手にそれを受け入れて、それを補うだけの経験と精神力を蓄積しておきたいものです。人の助けになれるように、人の助けを上手に借りられるように。
”ひととき”を読みながら、人の一生というものに思いを馳せながら、そろそろ折り返し地点の自分は何ができるのか、何をすべきか、考えるひとときになりました。
先日の題は”孫の成長 母の衰え”というもので、総勢5人の孫の、成長と変化に喜びと驚きを感じ、一方妹さんと交代で通っている82歳の一人暮らしのお母さまはできることがゆっくりと減っていく状況を見ての思いを綴っておられた。ベビーカーに乗る赤ちゃんと車いすに座る年配の方、同じ車に乗っているのにどこが違うのか、赤ちゃんを見ると他人の保護が必要でただただ可愛い、人から愛される能力は生きていく上ですごい力になるから、自分も人様の手を借りるようになったら外見は勘弁していただいてこの凄い力を発揮したい、そうすれば世話してくれる人は楽になるんじゃないか、成長と衰えを往復しながら考えたとあった。
この話を読んで、今流行っている”手紙”という詩を思い出した。最初にこの歌を聞いた時、私は涙した。私自身、今子育てをしながらその大変さに母を思うことが多くなり、一方で誰よりも頼りになり強いと感じていた母の老いを感じているところだったから、より心に染みるものがあったのだと思う。
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手紙~親愛なる子供たちへ~
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたに色んな事を教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに聞いて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ足も弱り 飲み込むことさえ出来なるかも知れない
足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
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娘を見ているとその成長は目覚ましいものがあります。生まれた頃、3キロにも満たなかった体が、9キロにもなり、寝っぱなしだったのがどんどんハイハイし、時折つかまり立ちをするようになり、目を輝かせて色々なものをキョロキョロみて、笑ったり泣いたりする。その大変さと驚きの中で、自分の幼少時代を振り返り、自分もこうだったのだろうか、こういうときは母はどうしていたのだろうか、と様々な思いを巡らせています。こんなに母を必要としていた頃があったはずなのに、いつしか反抗したり、一人で育ったような顔をして好き勝手なことをしたり、寂しい思い、辛い思いをたくさんさせたのだろうと思います。面と向かって謝ることはできそうもないけれど、いつか手紙に心からの侘びと感謝を書こうかしら。私自身もこれから娘が大きくなってそういう思いをするのかもしれません。
母は、達筆で毎日習字の練習も欠かさなかった祖母が病気になり、ペンを握れなくなったとき泣いたと言いました。親の弱さを目の当たりにした時、絶望的な気持ちになるものかもしれません。年をとって祖母の年になってどういう思いでいたのか、やっと分かった、納得できたともいいます。その年になってみないと実感できないことというのもきっと多いのだと思います。
これから益々老いていく両親を支えるだけの強さと心の余裕を保ちたいものです。そして、まだまだ頑張り時の私ですが、やがて出来ないことが増えていっても、上手にそれを受け入れて、それを補うだけの経験と精神力を蓄積しておきたいものです。人の助けになれるように、人の助けを上手に借りられるように。
”ひととき”を読みながら、人の一生というものに思いを馳せながら、そろそろ折り返し地点の自分は何ができるのか、何をすべきか、考えるひとときになりました。
お嬢様、健やかに成長されているご様子で、何よりです☆
お母上様にとっては、m-tamago様のお嬢様の成長を目にすることが一番嬉しいことなのかもしれません。
ご無沙汰してごめんなさい。相変わらず毎日あっという間に過ぎていきます。
そうなんです、やはりその年にならないとわからないことってたくさんあって。そういう意味では人間変わらないようでも少しずつ成長して変化しているんだなあと思います。
子の成長は必至だったからあまり覚えてないけど、孫の成長は余裕を持って楽しめるらしいです。