もう終わってしまいましたが、横浜高島屋で開催されていた催しもの、京都展に出かけました。期間中、表千家が茶席をご担当されており、一服頂いてきました。 鶴屋吉信製の”千代菊”。甘みも程よく、とてもおいしいお菓子で抹茶を楽しみました。
京都の名店といわれる様々なお店が出店されておられました。やはり十月という季節からか、来年の干支の”丑”にまつわるお道具や置物がたくさん見られ、来る年に思いを馳せつつ、美しいデザインと職人の技を堪能することができました。
また、千家十職である永楽のお茶碗も売られていました。やはりケタが違います。参考作品として16代即全の作品が飾られたコーナーもあり、名品をしばし楽しみました。
毎年、版画の年賀状を作成している私、そろそろ来年の年賀状のデザインも考えなくてはと思っていたところでした。
最近パソコンで読み込むものも多いようですが、どうもいいなあと思う和風のデザインに巡り合うことが少なく、今回のお道具や置物は、想像力をたくましくさせてくれました。牛といえば、赤ベコ、梅、北野天満宮、菅原道真などと連想。その中で、”十牛図”を象った香合があり、そういえば!復習の機会を得たとばかりに、家に戻って本をめくりました。来年は丑年でもあり、十牛図に関する道具を目にすることも多くなるかもしれません。
”十牛図”とは、禅の悟りへの段階として、人間が真の自己を自覚する過程を十枚の絵によって解き、示そうとしたものです。
中国北宋の末(12世紀頃)、廓庵禅師の作とされ、序は、その弟子の慈遠の作とされています。日本では室町時代に有名になり、禅の悟りへのプロセスとして流布、茶人の間でも親しまれるようになりました。
真実の自分と迷える自分、これが自然の中でどう関わっていくのかが描かれています。最終的には、人間としてありのままの姿こそが尊いということになるようです。
図のデザインは色々出回っていて、解釈の書き方にも色々あるようですが、十の段階についての詳細は、以下のHPをご参考までに添付します。
1.尋牛 牛を尋ねる
2.見跡 足跡を見つける
3.見牛 牛を見つける
4.得牛 牛を手に入れる
5.牧牛 牛を飼いならす
6.騎牛帰家 牛にのって家に帰る
7.忘牛存人 牛を忘れて人のみ存在する
8.人牛倶忘 人も牛も倶に忘れる
9.返本還源 元に返り、源に還る
10.入廛垂手 廛(店)に入り、手を垂れる
<ご参照>十牛図の説明
http://wwwdoi.elec.nara-k.ac.jp/html/hiranoya/cow/cow.html
<参考本>
淡交 別冊 茶の湯と禅
来年もまた、茶道や日常生活を通じて、日々自分探しをしていくことになるのでしょう。牛というとノロノロしたイメージがあって、どちらかというとてきぱきとして俊敏な方が好きな私には干支の中でもあまり身近に感じられない部分があったのですが、よくよく考えると私たちの生活の中でも、牛乳や牛肉といった食材として馴染みですし、牛車や農耕の労働としても使われてきたし、日本人と深くかかわってきたのではないかと思い返しました。そこで、どう牛と日本人が関わってきたのか気になって検索してみたところ、うまく纏まったページを見つけましたので参考までに添付します。
少々気が早いですが、年賀状のデザインも纏まってきて、来る丑年が益々楽しみになりました。
牛と日本人
http://contest2004.thinkquest.jp/tqj2004/70409/rekisi.htm
京都の名店といわれる様々なお店が出店されておられました。やはり十月という季節からか、来年の干支の”丑”にまつわるお道具や置物がたくさん見られ、来る年に思いを馳せつつ、美しいデザインと職人の技を堪能することができました。
また、千家十職である永楽のお茶碗も売られていました。やはりケタが違います。参考作品として16代即全の作品が飾られたコーナーもあり、名品をしばし楽しみました。
毎年、版画の年賀状を作成している私、そろそろ来年の年賀状のデザインも考えなくてはと思っていたところでした。
最近パソコンで読み込むものも多いようですが、どうもいいなあと思う和風のデザインに巡り合うことが少なく、今回のお道具や置物は、想像力をたくましくさせてくれました。牛といえば、赤ベコ、梅、北野天満宮、菅原道真などと連想。その中で、”十牛図”を象った香合があり、そういえば!復習の機会を得たとばかりに、家に戻って本をめくりました。来年は丑年でもあり、十牛図に関する道具を目にすることも多くなるかもしれません。
”十牛図”とは、禅の悟りへの段階として、人間が真の自己を自覚する過程を十枚の絵によって解き、示そうとしたものです。
中国北宋の末(12世紀頃)、廓庵禅師の作とされ、序は、その弟子の慈遠の作とされています。日本では室町時代に有名になり、禅の悟りへのプロセスとして流布、茶人の間でも親しまれるようになりました。
真実の自分と迷える自分、これが自然の中でどう関わっていくのかが描かれています。最終的には、人間としてありのままの姿こそが尊いということになるようです。
図のデザインは色々出回っていて、解釈の書き方にも色々あるようですが、十の段階についての詳細は、以下のHPをご参考までに添付します。
1.尋牛 牛を尋ねる
2.見跡 足跡を見つける
3.見牛 牛を見つける
4.得牛 牛を手に入れる
5.牧牛 牛を飼いならす
6.騎牛帰家 牛にのって家に帰る
7.忘牛存人 牛を忘れて人のみ存在する
8.人牛倶忘 人も牛も倶に忘れる
9.返本還源 元に返り、源に還る
10.入廛垂手 廛(店)に入り、手を垂れる
<ご参照>十牛図の説明
http://wwwdoi.elec.nara-k.ac.jp/html/hiranoya/cow/cow.html
<参考本>
淡交 別冊 茶の湯と禅
来年もまた、茶道や日常生活を通じて、日々自分探しをしていくことになるのでしょう。牛というとノロノロしたイメージがあって、どちらかというとてきぱきとして俊敏な方が好きな私には干支の中でもあまり身近に感じられない部分があったのですが、よくよく考えると私たちの生活の中でも、牛乳や牛肉といった食材として馴染みですし、牛車や農耕の労働としても使われてきたし、日本人と深くかかわってきたのではないかと思い返しました。そこで、どう牛と日本人が関わってきたのか気になって検索してみたところ、うまく纏まったページを見つけましたので参考までに添付します。
少々気が早いですが、年賀状のデザインも纏まってきて、来る丑年が益々楽しみになりました。
牛と日本人
http://contest2004.thinkquest.jp/tqj2004/70409/rekisi.htm
十牛図は、以前からとても興味あり、判り易く段階を追って、
教え導いていますね。 つい先日、スジャータさんの個展があり、
十牛図を表した、牛の香合が展示されていました。家族に丑年の者が
居れば、間違いなく求めていたでしょう! とても素敵な品々でした。
スジャータさんの個展で十牛図を表した香合があったとは、拝見したい~。
確かに家族に丑年がいれば、身近に感じるでしょうね!!
「稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一」
で、眺めると[十の五蘊物指]に・・・
数字の世界も禅の世界も深いですね。