少し前までは安いことがもてはやされていたが、最近は少し高くても安心できる、信用できるものというのが売れている。安心で安ければ尚いいが、最近安いものには何か訳があるのではないかとつい疑ってしまう。
身近なところで、食に関しては特に不安を感じる。遺伝子組替食品、輸入牛肉問題、殺虫消毒剤の使用など食を脅かす問題はたくさんあり、人々の食への姿勢も変わりつつある。
食は“生きる”ことの基本、とても大事だと思う。我が家は母が食に時間もお金もかける人だったので、御蔭様で健康で、今も食事には気をつける意識が常にある。小さい頃から好き嫌いなく食べること、米を一粒でも残すと目が潰れるという諺、戦時中は芋のつるも食べた話等、食べ物の大切さや作ってくれた人への感謝を、親も学校の先生も教えてくれた。身体の小さかった私は給食全部をなかなか食べられなかったが、残さずに給食を食べた日、必ず誉めてくれた小学校の先生を今も覚えている。
最近の子供は朝食抜き、好きなものだけ食べたり、スナック菓子やジュースばかり食べる、平気で残す、1点食い(同じモノだけを一気に食べる)などの傾向があるという。食のバランスが崩れれば、体調も悪くなり、精神的にも疲れる、身体的・精神的に崩れれば食事を美味しく食べたり楽しく遊んだり勉強したり益々できなくなる、と負のサイクルが永遠に続く。外で遊ぶことも少なくなったので、運動能力も以前に比べ相当低下しているらしい。昔と比べておなかの空き具合も違うだろう。
給食で食べ残されるものにも偏りがあり、量も大変なものだそうだ。家で色々な食材を食べ慣れないことや食べ残しても親が叱らないのが一因。でも、自分達で畑を耕し、収穫し、それを食べるという経験をした学校では食べ残しが激減したという。食べ物の育てられる過程、料理が作られる過程を知り、できれば自ら体験することが大切だと思う。昔は農家が身近にあって、家庭でもお母さんが料理する姿を見ることで自然に体感できたのだろうが、現代は都会と田舎の生活が分離し、働く家庭が増えたことで、簡単に買うだけ、食べるだけと一部分しか体験する機会がなく、そのモノの先にある人間のことや気持ちを汲み取る想像力が育たないのだろう。食べ物を育てる大変さや作ってくれる人の有り難味が感じられない=簡単に食べ残して捨てるに繋がる。
以前テレビで、手作りと冷凍ハンバーグを食べさせ優劣を聞いたところ、冷凍の方がおいしいと答えた子供がいた。その子の家では冷凍ハンバーグしか食べたことがなく、食べなれたもの=おいしいという構図ができあがっていたのである。家庭の味・手作りの味を知らない、悲しいことだと私は思った。もちろん、最近は冷凍食品の品質・味も格段によくはなっているのだろうが、母の味は格別だから。味覚は乳幼児の頃にある程度確定する、離乳食を食べ始めた頃に食したものが脳にインプットされ、一生おいしいと感じ易いという統計もある。“食育”を学校教育に取り入れるとニュースで耳にしたが、家庭生活あっての食育だろうにと思った。本当の豊かさは何処にあるのか。
子供の話ばかりしてしまったが、大人も食べ物を買う時に惑わされることが多い。
本物、天然素材、本生、もぎたて、手作り、ホームメイド、本仕込、シェフご自慢、人気飲食店評判などの宣伝文句、北海道、銀座、横浜などイメージの良い地名を品名につけたもの、読んだだけで体によさそうだと思ってしまうが、実は原材料の部分を見ると添加物だらけだったりする。もちろん、中味と宣伝文句の伴った商品もあるが、表示はどこまで正しいのか。結局イメージやパッケージだけで商品を選んでいる自分がいる。選択肢が増えた分、ホンモノを見つけるのが難しい。あまり神経質になる必要はないが、何がいいのかは都度自分で判断するしかない。
最近健康志向で、テレビでこの食品がいいと紹介されるとその日の内に商品が売り切れたりする。その気持ちもわからなくもないけれど、結局のところ、全ての食品をバランスよく食することが健康に繋がっているわけで、集中して食べても効果は低い。健康は一日にして成らず?!要は自分が食べたいものを楽しみながら、色々な種類の食材を口にするよう心がければいいということだろう。
ご存知の通り、日本茶はカテキンたっぷりで身体によい。抹茶は葉そのものを磨り潰したものだから益々身体によい。茶道の先生で長生きされる方が多いのは抹茶の効能も大だろう。私の先生も眠れなくなるからと午前中だけだが、必ず濃茶と薄茶を召し上がる。最近は日本茶を飲む家庭も減っているんだろうな。お茶を飲みながら一家団欒、いい文化なのに。
さて、今日は何を誰と食べようか? 誰と食べるか、これも健康の大事な要素。
身近なところで、食に関しては特に不安を感じる。遺伝子組替食品、輸入牛肉問題、殺虫消毒剤の使用など食を脅かす問題はたくさんあり、人々の食への姿勢も変わりつつある。
食は“生きる”ことの基本、とても大事だと思う。我が家は母が食に時間もお金もかける人だったので、御蔭様で健康で、今も食事には気をつける意識が常にある。小さい頃から好き嫌いなく食べること、米を一粒でも残すと目が潰れるという諺、戦時中は芋のつるも食べた話等、食べ物の大切さや作ってくれた人への感謝を、親も学校の先生も教えてくれた。身体の小さかった私は給食全部をなかなか食べられなかったが、残さずに給食を食べた日、必ず誉めてくれた小学校の先生を今も覚えている。
最近の子供は朝食抜き、好きなものだけ食べたり、スナック菓子やジュースばかり食べる、平気で残す、1点食い(同じモノだけを一気に食べる)などの傾向があるという。食のバランスが崩れれば、体調も悪くなり、精神的にも疲れる、身体的・精神的に崩れれば食事を美味しく食べたり楽しく遊んだり勉強したり益々できなくなる、と負のサイクルが永遠に続く。外で遊ぶことも少なくなったので、運動能力も以前に比べ相当低下しているらしい。昔と比べておなかの空き具合も違うだろう。
給食で食べ残されるものにも偏りがあり、量も大変なものだそうだ。家で色々な食材を食べ慣れないことや食べ残しても親が叱らないのが一因。でも、自分達で畑を耕し、収穫し、それを食べるという経験をした学校では食べ残しが激減したという。食べ物の育てられる過程、料理が作られる過程を知り、できれば自ら体験することが大切だと思う。昔は農家が身近にあって、家庭でもお母さんが料理する姿を見ることで自然に体感できたのだろうが、現代は都会と田舎の生活が分離し、働く家庭が増えたことで、簡単に買うだけ、食べるだけと一部分しか体験する機会がなく、そのモノの先にある人間のことや気持ちを汲み取る想像力が育たないのだろう。食べ物を育てる大変さや作ってくれる人の有り難味が感じられない=簡単に食べ残して捨てるに繋がる。
以前テレビで、手作りと冷凍ハンバーグを食べさせ優劣を聞いたところ、冷凍の方がおいしいと答えた子供がいた。その子の家では冷凍ハンバーグしか食べたことがなく、食べなれたもの=おいしいという構図ができあがっていたのである。家庭の味・手作りの味を知らない、悲しいことだと私は思った。もちろん、最近は冷凍食品の品質・味も格段によくはなっているのだろうが、母の味は格別だから。味覚は乳幼児の頃にある程度確定する、離乳食を食べ始めた頃に食したものが脳にインプットされ、一生おいしいと感じ易いという統計もある。“食育”を学校教育に取り入れるとニュースで耳にしたが、家庭生活あっての食育だろうにと思った。本当の豊かさは何処にあるのか。
子供の話ばかりしてしまったが、大人も食べ物を買う時に惑わされることが多い。
本物、天然素材、本生、もぎたて、手作り、ホームメイド、本仕込、シェフご自慢、人気飲食店評判などの宣伝文句、北海道、銀座、横浜などイメージの良い地名を品名につけたもの、読んだだけで体によさそうだと思ってしまうが、実は原材料の部分を見ると添加物だらけだったりする。もちろん、中味と宣伝文句の伴った商品もあるが、表示はどこまで正しいのか。結局イメージやパッケージだけで商品を選んでいる自分がいる。選択肢が増えた分、ホンモノを見つけるのが難しい。あまり神経質になる必要はないが、何がいいのかは都度自分で判断するしかない。
最近健康志向で、テレビでこの食品がいいと紹介されるとその日の内に商品が売り切れたりする。その気持ちもわからなくもないけれど、結局のところ、全ての食品をバランスよく食することが健康に繋がっているわけで、集中して食べても効果は低い。健康は一日にして成らず?!要は自分が食べたいものを楽しみながら、色々な種類の食材を口にするよう心がければいいということだろう。
ご存知の通り、日本茶はカテキンたっぷりで身体によい。抹茶は葉そのものを磨り潰したものだから益々身体によい。茶道の先生で長生きされる方が多いのは抹茶の効能も大だろう。私の先生も眠れなくなるからと午前中だけだが、必ず濃茶と薄茶を召し上がる。最近は日本茶を飲む家庭も減っているんだろうな。お茶を飲みながら一家団欒、いい文化なのに。
さて、今日は何を誰と食べようか? 誰と食べるか、これも健康の大事な要素。
>結局イメージやパッケージだけで商品を選んでいる自分がいる。
耳が痛いです。私もなるべく外見や宣伝に惑わされないように良く確かめて、良い物を少しずついろいろ食べようと心がけてはいるのですが、時々たまらなく、
イトメンのチャンポンメンや日清のカップ麺が食べたくなります。
子どもの頃に覚えた味はどうしようもなく抑えがたいですね。
コメントありがとうございます。
HPも拝見させて頂きました。これから徐々に見せて頂きますね。
私も時折カップヌードル食べたくなったり、ジャンクフード買べたりしています。
でも、それもまたたまにはいいと思います。おいしい♪と感じるのも体には大切なことだしー。(と自分を甘やかす)
今は便利なものがいつでも何処でも手に入りますが、実は誰かが作っているのであって、自分でも作れると感動します。便利なものと自分の手間をかけたものと上手に使い分けたいといつも思います。