
立川談志さん、これだけマスコミも含め大きな報道になっているのは
やっぱり天才だったんだろうな。と思います。
談志さんの枕で思白い話
「酒をやめようとか、やめた、なってのは意志の弱い奴のやること
酒は人間をダメにするものではない、人間はダメなものと確認させるために
酒は存在している。」
そうですね。酒がダメなんではなくて、人間がダメなんですよね。
それを理解させてくれる酒 こんな言い方
このフレーズいいですね。これからこれを使おう。
立川談志さんの高座で神がかり的な落語があったという
談志さんに「神が降りた」と語り草になっている高座
2007年12月18日に演じた「芝浜」
ネットでも評判になっています。
山本劫瞬さんのブログでは・・・鬼気迫る「芝浜」
『先日の「芝浜」は不思議なくらい旨く出来た。』
『あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない』
と、語ったほどの「真迫の芝浜」だっ
http://labdakidai.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/20071218_f913.html
芝浜のストーリー
魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続く。ある朝早く、
女房に叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に向かう。しかし時間が早過ぎたため市場がまだ開いていない。
誰も居ない芝浜の美しい浜辺で顔を洗って煙管を吹かしていると、
そこで偶然に財布を見つける。開けると中には目を剥く程の大金。
有頂天の魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を呑む。
翌日、二日酔いで起き出た魚屋に女房、こんなに呑んで酒代をどうするのか、
とおかんむり。魚屋は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、
女房は、そんなものは知らない、と言う。焦った魚屋は家中を引っ繰り返して財布を探すが、
何処にも無い。魚屋は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。
以来、魚屋は酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出す。
懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることが
出来た三年後の大晦日の夜、魚屋は妻に対してその献身をねぎらい、
頭を下げる。ここで、女房は魚屋に例の財布を見せ、告白をはじめる。
あの日、夫から拾った大金を見せられた妻は困惑した。
横領すれば当時は死罪にあたる。江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪だ。
長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、
妻は夫の大酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言い切る事にした。
時が経っても遂に落とし主が現れなかったため、
役所から拾い主の魚屋に財布の大金が下げ渡されたのであった。
この真相を知った魚屋はしかし、妻の背信を責めることはなく、
道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた
妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、
久し振りに酒でも、と勧める。はじめは拒んだ魚屋だったが、
やがておずおずと杯を手にする。
「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」しかし思い立った魚屋、次には杯を置く。
「よそう。また夢になるといけねぇ」 -ウィキペディアより-
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