マイケル・ボルトンは当初ハード・ロックをやっていたようなのですが、あまり売れず1980年後半にAOR路線に切り替え大ブレイク!
ハードロック時代はジャケットの風貌や日本でも人気がでないことなどから私的にはサミー・ヘイガーと被る感じがするアーティストでしたが、もともと歌唱力には定評があったようです。
私が記憶にあるのは1983年のソロアルバム「マイケル・ボルトン」からですがそれ以前にもハードロックバンドやソロ活動をしていたようです。
そしてしばらく情報がないなと思っていた頃でした。
1987年ハードロック路線から一転、アルバム「いざないの夜 - The Hunger」でオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」をカバーした持ち前の歌唱力できっかけをつかむと、1989年のアルバム「ソウルプロバイダー」が遂に全米トップテン入りする大ヒット!あっという間にトップ・アーティストの仲間入りを果たしてしまいました。
当時はAOR全盛期だったせいもありますが、私もその圧倒的なヴォーカルに魅せられCDを買いあさりました。
一時期はサミー・ヘイガーと並ぶぐらい私のなかでは好きなアーティストでした。
その人の来日公演を見逃すわけには行きません。
1994年3月16日、国立代々木競技場第1体育館。
来日公演初日のチケットをゲット!!!
しかし、この日は行く相手がいなくやむを得ず一人で行きましたが、やはり回りはほとんどがカップル。ちょっといや、かなり寂しい思いをしました。
この時は突然後ろのサブステージのようなところに現れ、観客は熱狂!
ただ、そこからステージに戻るのに小さな箱のようなものに乗っていった記憶がありこれはあまりカッコよくなかったように思います。
しかし、思ったとおりコンサートの内容は素晴らしく、バックコーラスの女性人とともにものすごい声量は洪水のごとく、「圧倒的な歌唱力!」という表現がぴったりのマイケル・ボルトンのコンサートでありました。
ハードロック時代はジャケットの風貌や日本でも人気がでないことなどから私的にはサミー・ヘイガーと被る感じがするアーティストでしたが、もともと歌唱力には定評があったようです。
私が記憶にあるのは1983年のソロアルバム「マイケル・ボルトン」からですがそれ以前にもハードロックバンドやソロ活動をしていたようです。
そしてしばらく情報がないなと思っていた頃でした。
1987年ハードロック路線から一転、アルバム「いざないの夜 - The Hunger」でオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」をカバーした持ち前の歌唱力できっかけをつかむと、1989年のアルバム「ソウルプロバイダー」が遂に全米トップテン入りする大ヒット!あっという間にトップ・アーティストの仲間入りを果たしてしまいました。
当時はAOR全盛期だったせいもありますが、私もその圧倒的なヴォーカルに魅せられCDを買いあさりました。
一時期はサミー・ヘイガーと並ぶぐらい私のなかでは好きなアーティストでした。
その人の来日公演を見逃すわけには行きません。
1994年3月16日、国立代々木競技場第1体育館。
来日公演初日のチケットをゲット!!!
しかし、この日は行く相手がいなくやむを得ず一人で行きましたが、やはり回りはほとんどがカップル。ちょっといや、かなり寂しい思いをしました。
この時は突然後ろのサブステージのようなところに現れ、観客は熱狂!
ただ、そこからステージに戻るのに小さな箱のようなものに乗っていった記憶がありこれはあまりカッコよくなかったように思います。
しかし、思ったとおりコンサートの内容は素晴らしく、バックコーラスの女性人とともにものすごい声量は洪水のごとく、「圧倒的な歌唱力!」という表現がぴったりのマイケル・ボルトンのコンサートでありました。