数日前、県道を通行中に接吻地蔵の看板が目に入る・・
思えば、今年の桜咲く頃に友人がこのお地蔵様が観たいと言うので案内をしたのです。
ところが近くを通ったのですがたどり着けなくて(昔撮影に来たのに)次回にしようと諦めたのでした。
今日は確認に行って来ました。
この付近は限界集落ですね、もう何軒も家が朽ち果てています。
20年くらい前に訪ねたときはまだ集落を形成していましたが・・・
この付近の山間にはたくさん集落跡があります。地蔵さんや石碑がたくさん有りますし、分校もあったようです。
昭和の頃でしょうか多くの人々は、都会に出ていったのでしょうね。
県道近くで老婆に会いましたね、20年くらい前でしたら、沢山写真を撮らせてもらいましたよね。
社会派の写真を撮っていましたから、おばあちゃんと過疎集落といい恰好の被写体でしたが・・
ここの道祖神も合併前(明科町)は観光スポットとして結構大きく紹介されていましたが、合併以降だんだんと小さきものは忘れ去られて行くような気がしますね。
おばあちゃんが僅か2軒ほどになった集落に向かって山道を帰って行きます、日本の山間地のほとんどが、このような光景でしょうか・・